ワンダーランド・シューティングスター
【5】 ネバーランド


 まるで悪い夢の中を彷徨っている気分だった。
 遊園地を駆け抜ける。来た道を引き返し、今まで遊んだアトラクションを次々と覗いて回る。


『↓ NeverLand
      WonderLand →』


 もしかして僕はまた失ってしまったんだろうか。
「───メアリー!!」
 心配で胸が絞られるように苦しくて、思わずそれを抱き締めた─── ……
「……あれ?」
 預けたはずの人形を、僕は持ってきてしまったらしい。エメラルド色の瞳が僕を見返す。
 ごめん、ごめんね……妹を探す僕のように、君を探している人がいるはずなのに。
 人形の存在が僕を少し冷静にした。足を緩めて辺りを見回しながら歩く。
 妹が僕を放って勝手にどこかへ行くわけがないんだ。人ごみに紛れてしまったか、あるいは───誰かに攫われたか。美しい悪魔の女の誘惑の笑みを思い出す。あいつがまだ、この遊園地にいるのか……?

 お化け屋敷、観覧車、ジェットコースター……妹の好きなアトラクションを巡る。
 と、通りかかったイベントステージをふと見上げて、僕の心臓は飛び出しそうになった。
──── 白衣の彼女……と、メアリー!!
 ステージの上で妹と手を繋いでいる彼女の白衣の裾が風に翻る。うつろな瞳で彼女を見上げる妹の唇が、「ねえさま、」と動いた。
「メアリー!?」
 僕の呼ぶ声にも妹は反応しない。代わりに白衣の彼女が振り返った。
「ああ……君、また会ったね!」
「妹に何をした!?」
「いもうと?」
 彼女は不思議そうに首を傾げた。
「ねえ、この子はわたしの弟だよ。やっと見つけた」
 それは嬉しそうに彼女は笑う。
「な、何……言ってるんだよ……それは僕の妹だ、メアリーだ!」
 勘違い? 見間違い……? でもそう言えば、彼女と妹、髪が同じ色合いをしている。姉妹と言われたら納得してしまうかもしれない。
 けれどメアリーは僕の妹だ。悪魔に奪われ、ようやく取り戻した、世界で一番大切な僕の妹だ。
「返せ……メアリーを、僕の妹を返せ!!」
「……っ……!?」
 白衣の彼女から笑みが消えた。ステージの上から僕を睨み付ける。
「どうしてそんなこと言うの……!? やっと会えた、取り戻したのに……!」
 不穏な風に長い白衣と三つ編みが舞う。彼女は僕の妹を両手で抱えるように抱き寄せた。妹は自分の足で立っていたけれど、彼女のなすがままに抱き寄せられ、後ろに隠されてしまった。話をしても聞いてもらえそうにないと、僕は客席をすり抜けてステージに上がる。
「返してもらうよ、メアリーを……僕の妹を!」
「いや!!!!」
 拒絶の叫びを僕に投げ付けた彼女の手に、淡い銀の光を纏った杖のようなものが現れた。あれは………望遠鏡? 女の子でも片手で持てるくらいの小型で細身の筒状のそれを彼女が一振りすると、先端から光のシャワーが吹き出した!
「渡さない……! わたしの弟だもん……!!」
 溢れる光が野外ステージの半天井に当たって拡散し、辺りを覆い尽くす。眩しくて目を開けていられないほどのそれが一気に粒となって弾け、気が付くとステージを囲む空間はまるでさっきのプラネタリウムのようになっていた。
 宇宙空間にステージだけがぽっかりと浮かんでいるように見える───
「君は…… 『魔法使い』 だったのか……!」
 しかもこれは相当強力だ。空間をまるごと書き換えてしまうなんて。
「だからって、メアリーを渡すわけにはいかないよ……!!」
 彼女と妹に近付こうと一歩足を踏み出すと、まるで磁石が反発しているかのような圧力を感じる。
「来ないで! 来ないでよ……!!」
 彼女が望遠鏡を振りかざすと、宇宙に瞬く星がひとつ、彗星のように尾を引きながら僕を目掛けて落ちてきた。
「うっ……わ!!」
 慌てて真横に飛び退いて避ける。彼女は魔法の杖のように望遠鏡を操って、次の星を落とそうとしていた。僕を狙って光を放つ一等星トマス、二等星ミカエル、そして太陽みたいにオレンジに輝く巨大な惑星。
「やめろって……! 目を覚ませ!!」
 僕も叫ぶ。メアリーと彼女のために。大事なものを探して彷徨って、取り戻したいと切望する僕と彼女のために。
 彼女の魔力に呼応して、僕の中から力が溢れてくる────まだ僕の中にほんの僅か残っていた、悪魔から授かった魔法の力。彼女のそれと比べたら砂漠の砂粒ほどかもしれないけれど、今はこれで十分だ。
 光の壁を張り、彼女に向かって駆け出した。
 小さいけれどスピードのある六等星がばらばらと降り注ぎ、壁に当たって弾け飛ぶ。
「行っけええぇぇえええ!!!」
 僕を目掛けてダイナミックに落下する一等星と二等星をなんとか凌いで空を見上げると、オレンジ色の巨大な惑星がひときわ強い光を放った。
 さすがにあれは防ぎきれない……!
 ポケットを探るとキャラメルがひとつ。妹が疲れて歩かなくなった時に出すとっておきだったけれど仕方ない。僕はそれを力いっぱい、星に向かって投げ付けた。細い一筋の光を引きながら、真っ直ぐに惑星に吸い込まれていく。
「────!?」
 オレンジ色の惑星が輝きを失い、彼女は頭上を振り仰ぐ。僕を攻撃するはずだった惑星は、キャラメルとぶつかって撃ち落とされた。
「そんな……っ……!!」
 惑星がゆっくりと沈んでいくのに気を取られた彼女の隙を突いて、僕は一気に距離を詰めた。
「目を、覚ませ……、この子は君の弟じゃない……!」
 彼女の白衣の肩に手を掛ける。初めて間近で見る彼女の瞳は綺麗な深い青色で、
──── ああ……やっぱり、もしかして ────
「目を覚ませ……、『     』 ……!!」
 予感が確信に変わる。僕がその名を呼んだとたん、彼女ははっと息を飲んだ。
「あ……、わたし……の、なまえ……?」
 僕にその名を教えてくれた女の子の幼い声と青い瞳が彼女のそれと重なる。
「………思い出した?」
「ああ……どうして────」
「教えてもらったんだ、君自身に」
 逆上していた彼女の魔力が鎮まり、青い瞳に正気の光が戻ると同時に星々が光を失っていく。宇宙を映した空間に細い割れ目が幾つも走り、まるで鏡のように割れて砕け散った。ネバーランドの突発プラネタリウム、上映終了だ。僕も残っていた魔力を使い切ってしまった。再び悪魔と契約することがなければ、二度と魔法を使えることはないだろう。

 力が抜けたのか、彼女はステージの床に座り込んでしまった。僕も彼女に合わせて膝をつく。
「……大丈夫?」
「うん……。 あ……ねえ、それは…?」
「え?」
 彼女は僕の持っていた人形を指した。僕は無意識のままずっとそれを抱えていたらしい。
「これは、誰かの落し物みたいなんだけど……」
「これ……、これだよ……! 探してたの、ずっと……!」
 桃色のドレスの女の子の人形を渡すと、彼女は白衣のポケットから手品みたいにもう一つ人形を取り出した。同じくらいの大きさ、同じ色の金の髪をした男の子の人形。黒いベストとシルクハットに、片眼鏡が印象的だ。
「これが、わたしの弟たち……。やっと揃った……やっと」
 人形を二つまとめて抱き締める彼女の目から涙が零れた。
「ごめん、わたし……ごめんなさい。忘れたことも忘れちゃってた……何を、どうして探していたのかも。君とメアリーに酷いことした……」
「大丈夫だよ……僕もメアリーもなんともない。損害はキャラメル一個だけだ」
 僕の言葉が可笑しかったのか、彼女は涙を拭きながらほんの少し笑った。彼女の後ろで立ったままぼんやりしていた妹に手を差し伸べると、ふわりと倒れ込むように僕の腕の中に飛び込んできた。
「おにいちゃん……!」
──── 取り戻した……もう大丈夫。
 僕は妹を抱き締める。彼女は 『弟たち』 を。
「わたし、行くね……!」
「行くって?」
 人形を二つ大切そうに抱きかかえたまま彼女は立ち上がった。涙はもうない。遊園地を彷徨っていた時の遠くを見ているような目でもない。力と知性を秘めた決意の眼差し ──── 深い青のそれは、プラネタリウムなんか比べ物にならない本物の宇宙の深淵を思わせた。
「もう一つ、取り戻さなきゃいけないものがあるの。思い出したから……行ってくる」


 そうして、『魔法使い』の少女は姿を消した。僕の手に魔法の望遠鏡を残して。
──── これ、君に持っていて欲しいの。ここから必要なのは、魔法の力じゃないから ────
 試しにアッシェンプッテル城の塔のてっぺんに筒先を向けて望遠鏡を覗き込む。

 ……もう魔力を持たない僕には、そのレンズに何も映すことはできなかった。




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