ハロウィーン・イヴに銀の月 前編
(エンディング5年後 主人公×ヴァージル若干カップリング)

 

 

10月半ばの倫敦の街────ハロウィーンが近いせいか、少しざわついた雰囲気の人々の間に、ひとつの噂話が広まった。

「高台の廃屋が、ついにとり壊されるらしい」。

確かに、あの廃屋を修理するよりは、一度とり壊して立て直してしまった方が手っ取り早いだろう。何やら幽霊じみたものがしばしば目撃されていたこともあって、街の人達はおおむね「ま、いいんじゃない」という意見を交わし合っていたのだが。
職業柄その情報をいち早く耳にし、賛成とか反対とか、それ以前に衝撃を受けている少年がいた。
「高台の廃屋……あの、『20年前の事件』を解決した………たくさんの猫たちが楽しそうに集まっていた……………それに、ヴァージルと一緒に探検した………………」
倫敦の街ではちょっと名の知れた少年探偵・エリック。高台の廃屋に関して、この少年探偵には少々思い入れがあったのだ。



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栄えある倫敦万国博覧会の会場で、目玉の展示物だった蒸気機関『人工太陽』が暴走した事件から5年が経った。
いっときは蒸気機関や、機械文明そのものに対する批判が倫敦を席巻したものの、やはり豊かさ、便利さに慣れた人間がそれを手放すことはできなかった。『人工太陽』に代わる改良型の蒸気機関が開発され、倫敦の人々はさらなる繁栄を享受することになった。

────その一方で、失われていくものも数知れない。それはオレンジ色に染まる夕焼け空だったり、街中にところどころ残っていた空き地だったり。大人たちが「ノスタルジー」と呼ぶものたちだ。大人たちは……みんなは、そういうものが無くなっても平気なんだろうか。
僕は平気じゃない。もう決して子供と言える年齢ではなくなってしまったかもしれないけれど。
あの屋敷………やたら広くて、陰気くさくて。幽霊が出るのは本当。だって、むかし一度だけあそこに忍び込んだ時に見たもの。大騒ぎしながらやっつけたっけ…………ヴァージルと一緒に。
廃屋の噂だけで色んなことを思い出してしまって、僕はもうどうしようもなくなってしまった。
行ってみよう……。あの時と同じように、みんなが寝静まった頃に。そういえば今夜は満月じゃなかったっけ。これもあの時とおんなじだ。
行こう、その思ったのが昨日でも明日でもなく、今日だった。それが僕の奇跡の夜の、始まりだった。


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真夜中、高台の廃屋に、僕は一人で忍び込んだ。青白い満月の光が窓から射し込んで、廊下のガラクタや置き去りにされた家具を照らし出す。窓から出てテラスを伝い、びっしりと錆の浮いた梯子を登り切ると、ようやく屋上にたどり着いた。
窓の外に出てからずっと声が聞こえていたから、覚悟はしていたけど………すごい数の猫たち。月明かりに照らされた、テニスコートほどもある屋根の上に、思い思いにグループを作って、3・40匹ほどはいるだろうか。脆くなった梯子の段がぼきりと音を立てて折れ、猫たちが一斉に振り向いた。

「────人間!!」
「人間が来た!!!」

敵意と警戒と威嚇のこもった視線に、僕は一瞬ひるんでしまったけれど、大丈夫。僕には猫たちの言葉が分かった。言葉が通じるんならなんとかなるだろう。僕は屋根に登りきり、引きつって見えないように祈りながら、精一杯笑ってみた。
「────こんばんは、いい月夜ですね」

僕の言葉が通じたのか、猫たちがざわめいた。それはそうだ。普通は、猫と話せる人間なんていない。これで猫たちが警戒を解いてくれればいいんだけど………。僕が必死に、ヴァージルがどういうふうに猫たちに接していたかを思い出そうとしていると、猫たちが道をあけるように左右に割れた。道の先には、煙突………屋根より少し高いそこで、一匹の猫が僕を見つめていた。猫たちの集会につきものの、会議を取り仕切る役割のボス。しかも僕は、その猫には見覚えがあった。僕は猫たちを驚かせないようにできるだけゆっくりと歩いて、煙突の前に立った。

「よう来なすった、少年探偵」
灰色と黒の縞模様の長老猫は、僕を見て目を細めた。
「僕のこと……覚えていてくれたんですか」
「もちろんじゃ。猫と話ができる人間はそうおらんからの。あの時は本当に世話になった」
「いえ、僕はただ、ヴァージルに言われる通りにしただけで」
長老猫のしっぽがゆらゆらゆれる。見ていると、不思議な気分になってくる。
「それで……あの、ここが取り壊されるって聞いて、もう一度来てみたくなったんです。あの時と同じ、満月の夜に。」

「ふむ……」
と、長老は空を仰いだ。
「あの日の集会は、年に一度の特別なものじゃったからのぅ。あの方も姿を見せてくださって、ことの他盛り上がったものじゃったな」
『あの方』っていうのは、もちろんヴァージルのことだ。猫たちをはじめ、植物や動物や目に見えないものたち……つまり、人間以外のものたちに、ヴァージルはとても尊敬されていたんだ。

「それで、おまえさんはあの方を偲んでここへ来たんじゃな?」
「え? ……う〜ん……そうですね…………」
長老の言おうとしていることはわかったけれど、その言い回しになんとなく引っかかるものがあった。『偲ぶ』って、たしか『思い出してしみじみと懐かしむ』ってかんじの言葉だったよね。
「『偲ぶ』っていうのとは、なんとなく違う気がする……」
「ほぉ……?」
長老の目が、また細くなった。


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いなくなってしばらくの間は、いつもいつも思い出してしまっていた。人工太陽事件の衝撃より、ヴァージルが姿を消したことの方が僕にとっては大事件だった。そのあと何か月か経って、寂しいけれど段々とヴァージルの不在にも慣れてしまい、思い出すのは時々になった。
でも、思い出せば今だって………。
懐かしい、と思う気持ちはもちろんある。でも、それ以上に、苦しいような、後悔してるみたいな、おかしな気分になる。
そして……。

「会いたいです、もう一度。」
『偲ぶ』なんて、穏やかなものじゃなかった。


      会いたい………   どうして?
      会いたい………   会って、どうする?


あ、やばい、と自分の中の冷静な部分がつぶやいた気がした。会いたい、と思って、でもそれ以上を考えるのを、僕はいつも無意識に避けていたんだ。だって、会えない。たぶんもう二度と。そう思っていたから。

この時。
猫の長老と話をして、「会いたい」と口に出して言ってみて、僕は自分の気持ちに気付いてしまった。
    
  
      会いたい………   どうしてなのか。
      会いたい………   会って、どうするのか。


全部わかってしまった。僕は、ヴァージルのことが好きなんだ。
いなくなってしまうずっと前から、ヴァージルのことが好きだったんだ………。



一瞬で、いろんなことがわかってしまった。僕はよっぽどおかしな表情をしていたんだろう。長老がヒゲをしごきながら、くつくつと笑いだした。
「おまえさん、今はじめて気付いたのか……? 名探偵の卵のくせに、自分のことにはよほど鈍いようじゃのぅ」
「……………」
こればっかりは、仕方がない。そういえばアリエスにもよく「アンタってほんとに鈍いわね!」って怒られたっけ。
「あの方は、わしらとヒトの間に立つもの。おまえさんと一緒にいることで、ヒトとのつながりもより確実になるだろうと期待しておったのじゃ。おまえさんが、あの方を好いておることはわかっておった。あの方のほうも、おまえさんを信頼しているように見えたものじゃったが……」
そうなんだ。あの頃の僕は、人嫌いのヴァージルが、自分にだけ笑顔を見せてくれて、なにかと頼ってもらえるのが嬉しくて、ヴァージルを守れるのは僕しかいない、とかなんとか思っていたんだ。コドモ心に。
「でも、戻ってこないってことは、やっぱりもうどうしようもないんですよね。ヴァージルにとっては、倫敦で暮らすより精霊界にいた方がいい、そういうことですよね……」
我ながら後ろ向きだとは思うけど、ここ2、3年ずっと、ヴァージルのことを思い出すたび、この結論で終わってしまうようになっていた。

「のう少年、」
ひとりでどこまでも沈んでしまいそうだった僕に、今度は耳の後ろを掻きながら、長老猫は語りかけてきた。
「わしも、あの方とのつき合いは長かった。ヒトの身でありながら精霊に近い心を持つあの方は、わしらと同じに、どんなものにも執着したり、心を縛られたりするようなことはなかった……。だが、その中でおまえさんだけが特別じゃった。
………いや、今でもそうだとわしは思っておる」

「……それは、どういう……… 」
「精霊界へ行ってみないか少年?」
「!!」

あまりに突然のその提案に、僕の心臓はどきん!と鳴った。
そのまま2倍のスピードで打ち始める。
だって、まさか………精霊界へ!!

行ってみようかと思ったこともあった。一度でいいからヴァージルに会って、どうして倫敦に戻ってこないのか聞いてみたかった。でも、手段がなかったんだ。

人工太陽の事件の後、倫敦はほんとうに人間だけの街になってしまったみたいだった。それまでは街のあちこちに「入り口」があった。探し方のコツを知っていて、注意深ければ見つけられる、あちらの世界との境目。子供がうっかり迷い込んで、失踪事件になったこともあった。でも、ヴァージルが姿を消してから、どんなに探しても入り口はもうどこにも見つからなくなってしまった。そうしていつしか、入り口を探すことも、ヴァージルに会うことも、僕はあきらめてしまっていたんだ。
けれど………。

「い、行けるんですか精霊界に!?」
ドキドキのあまり、心臓が口から飛び出してしまいそうだ。
「もちろんじゃ。わしらの持っている力と、おまえさんの持っている力を合わせれば、もう一度扉を開くことはできるじゃろう。ただ………」
長老のしっぽがぱたん、と下りた。
「向こうの世界が……あの方がどうなっているかは、全くわからんのじゃ」
「どういうことですか?」
「言葉のとおりじゃ。向こうの世界は、こちらとは時の流れが違う……。それに、姿形も、こちらの世界にいるときとは違うものになってしまうのじゃ」
「そういえば、そうでしたね」

昔何度か、精霊界に入ったことがあった。全てが薄い霧に包まれていて、戦場みたいな荒地や、農村の風景も見えたけれど、いちばん「確率」が高いのが、『もうひとつの倫敦』だった。こちら側の倫敦の街とそっくり同じなのに、どこかが違う。いつのまにか同じ所をぐるぐる歩いていたり、高台への階段を昇りきると地下鉄のプラットホームに出てしまったりする。
不思議な、夢の中のような世界。
でも、もう一度あそこへ行ければなんとかなる。そんな気がした。

「向こうがどんなんでもいいです!お願いします!!」
僕はそう言うしかなかった。

 

 


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