ハロウィーン・イヴに銀の月 後編
 

 

 

廃屋の一階の、玄関ホール。今夜もそこは、月の光でいっぱいだった。
長老猫と、その孫娘だという真っ黒な猫に連れられて、僕は階段下のすみっこにある暖炉の前にやってきた。ここが、入り口なんだろうか?

「それでは少年、精霊石を出してくれんか」
おもむろに振り返って、長老が言った。
「精霊石……? あ、もしかして、これですか?」
僕は首にかけていた鎖を服の中からひっぱりだした。先にぶら下がっているのは、水色の石のイヤリング。ヴァージルが姿を消した、その跡に落ちていたものだ。
「これが、精霊石??」
「そうじゃよ。そもそもそれのお陰で、わしとおまえさんはこうして話ができておるのじゃ」
「ええっ、言葉が通じていたのはこの石のせいだったんですか!?」
ヴァージルと一緒にいたときは、そんな不思議があたりまえだったし、ヴァージルが消えてからも、僕は素直に不思議現象を受け入れていた。それが、ただのイヤリングだと思っていたこの石のせいだったなんて!
「おまえさん……けっこう天然じゃな………」

「おじいちゃん、やっぱりここみたい!」
黒い猫が、長老をせかすみたいにそう言った。
「ふむ……。ここなら何とかなりそうじゃな」
こく、と猫たちはうなずき合って、精霊石を持って暖炉の前に立つように僕に言った。
「……ここで?」
「うむ。暖炉の方を向いてな」
僕がイヤリングを握り締めて暖炉の前に立つと、猫たちは暖炉の飾り台の上にひらりと飛び乗った。
「おじいちゃん、あたし、初めてなんだけど……」
「大丈夫じゃ。ハロウィーンも近い。大気に力が満ちておる。わしら猫が魔法を使うのには、うってつけの夜じゃ」
孫娘猫の方は、なんだか不安そうだ。
「あの………」
僕は声をかけてみた。
「魔法を使うの?」
「うん。あたしたちに伝わる、扉を開ける秘密の魔法。昔はみんな使えたんだけど、『あの方』がいなくなってからは、扉は開かなくなってしまったの」
「そうなんじゃ。きっとあの方の力が、倫敦に満ちていたんじゃろうな。しかしこの子は、わしらの中でも特別強い力を持っておる。それと、精霊石があれば、なんとかなるやもしれん」
「そういうことだったんですね」

「ねえ探偵さん、」
黒い猫は、不安を振り払うようにしっぽをぱたぱたさせて、僕に身を寄せてきた。
「あたし、まだ1歳だから、『あの方』に会ったことないの。たまにおじいちゃんたちが話してるのを聞くだけなんだけど………ちょっと、憧れのヒトなの。だから、あたしがんばるね! 探偵さんもがんばって!」
「ありがとう……」
励まされてしまった。なんだか胸の奥がじわりとあったかくなって、嬉しかった。そっと黒い猫の喉を撫でると、彼女はくすぐったそうに くふふ、と笑って僕の手に頬擦りしてくれた。

「さて、それでは」
長老猫の言葉に、孫娘のしっぽがぴん、と伸びる。僕も精霊石を握り直して、暖炉の前に立った。飾り台の両端で、二匹の猫は左右対称のポーズをとった。
ゆらり、と長老のしっぽが揺れた。
少し遅れて、黒猫のしっぽも同じ動きをした。

ゆらゆら。     ゆらゆら。

なにか図形を描いているようにも見える、不思議な動き。
じっとみていると、めまいがしそうだ。

と、手の中の石が、ぽっと温かくなった。それと同時に暖炉の奥が、水面に石を投げた時みたいにゆらっと動いた。
「入り口………!」
見覚えがあった。誰も入ってこないような路地の奥の壁に空いた穴で、大人も抱えきれないほどの太い幹を持つ大樹の根元の洞で。薄い膜が張ったみたいに見える、これが入り口だった。
「せ、成功なの………?」
床に降りた黒猫が、暖炉を恐る恐るのぞきこんだ。
「うむ、大成功じゃ! おまえさんならできると思っておった!!」
孫娘の快挙に、長老猫は嬉しそうだった。
「そうじゃ、精霊石はどうなっておる?」
僕が手を開くと、手のひらの上で、半透明の水色の石が、淡い光を放っていた。寒色なのに、あったかい感じがする。
「この光があれば、きっとあちらへ行っても自分のままでいられるじゃろう。とりあえず、扉を開いておけるのは、今夜の月が消えてしまうまでじゃ。……だが、あちらはこことは時間の流れが違うゆえ、無意味なことじゃな……。とにかく、強く想うことじゃ。精霊界ではそれが大きな力になる。わしらもここで、おまえさんの無事を祈っておるぞ………」


古い暖炉に開いた入り口は、今の僕には少し小さ目だった。長老猫と孫娘に見送られ、身をかがめて僕は入り口へと飛び込んだ。



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落ちているような、浮かんでいるような、不思議な感覚から解放された僕が目を開けると、そこは見覚えのある街だった。霧がかかっているのに見通しがきかないわけではなく、空を見ても太陽も月もないのに、街全体がほのかな光に包まれている……。いつかも来たことのある『もうひとつの倫敦』、その街の劇場の前に、僕は立っていた。
この街のどこかにいるのだろうか、ヴァージルは………。

────会えるかどうかは分からない。時の流れが違う故に、向こうがおまえさんのことを憶えているかどうかも分からない────
長老猫の言葉が耳によみがえる。

────だが、精霊界はとにかく『意志の力』がモノをいう。強く念ずることじゃ。そして信じることじゃ。お主ほどの知恵があれば、それもまた力となるじゃろう……。


ヴァージルに会いたい………………会いたい。その気持ちだけは確か。想うことがここでは力になるって、いつかヴァージルもそんなことを言ってなかったっけ?

ともかく、動かないことには始まらない。無意識のうちに握りしめていた手を開くと、ヴァージルの精霊石が、淡い光を放っていた。
タイムリミットは、この光が消えてしまうまで………?
僕は、以前もそこでヴァージルを見つけたことのある公園の散歩道へ行ってみようと、薄ぼんやりとした倫敦の街へ走り出して行った。





*************************







たったったったったったったったった………………




静まり返った街角に、自分の足音だけが大きく響く………………。
人どころか、人ならざる者の気配さえしない。
公園、裏通り、霊園、港、高台………思いつく限りの場所を、僕は探し回った。
ヴァージルが住んでいた古アパートにももちろん行ってみた。でも、そこは植物たちが生えているだけで、ヴァージルの姿はなかった。 



 ぼくは  ……… ここに、  、、、 いる  ……、、




精霊石のタイムリミットって、どれくらいなんだろう。まったく見当もつかないのに、ヴァージルはどこにも見つからない。焦りと緊張で、よけいに鼓動が早まって、心臓が破裂してしまいそうだ。
この街のどこかにいる。そんな気がするんだ。
だけど…………一体どこに?

商店街の大通りの真ん中で僕は足を止めて、呼吸を整えながら空を見上げた。太陽も月も星もない。薄くもやのかかった────と言っても、倫敦のスモッグの空とは全然違う。底の知れない深さを感じさせる空。深呼吸を繰り返しながら、僕は必死で頭を整理した。

あと、まだ探していないところは…………?

この街で……見慣れたこの、倫敦の街で………………。




…………見慣れた?







ふと、僕の脳裏にひらめくものがあった。

そうだ、確かにここは、見慣れた街だ。
だけど………どこかが違う。
仕立屋の隣に、質屋があるのはおかしい。
あそこはマーレイさんの会計事務所のはずだもの。

それでも《見慣れた》と感じるのは、以前はそこが会計事務所ではなく、質屋だったことがあるから。質屋がつぶれて、その後に会計事務所が入ったんだ! そうなったのは、確か5年前。万博で、人工太陽暴走事件の起こった少し後のことだ。

………そう。そういえば、今まで走り回ったこの精霊界の倫敦は、みんなそうじゃなかっただろうか!? 市庁舎前には趣味の悪い前市長の銅像、ハイド・パークには今はもうとっくに解体されてしまった水晶宮が、まるで時が戻ったみたいにあたりまえにそこにあった。
ううん、時が《戻った》んじゃなくて、《止まった》っていう方がしっくりくる気がする。

それじゃ、5年前で時が止まってるのは?
5年前の倫敦を、まるで夢を見ているみたいに精霊界に作り出しているのは?



……ヴァージルしかいない。
ここはヴァージルの夢の中。ヴァージルの《想いの力》が作り出したヴァージルだけの街なんだ。
……でも、だとしたらその街のどこに、ヴァージルはいるんだろう? 今まで探した所の他に、ヴァージルがいそうな所ってどこかあるんだろうか?

大通りをぐるりと見回して、その道に気付いた。
あんまり見慣れすぎて、通い慣れすぎていて見落としていたのかもしれない。
それは、僕が居候しているアパートのある住宅街への階段だった。

心臓が、おかしなリズムでどきんと鳴った。
まだ探していない所があった。
信じられない気もするけど────それは、僕の部屋。
まさか、とは思いながらも、足は勝手に自分のアパートへと動き出していた。



*************************



そこもやっぱり、5年前のままだった。
家具や置物の位置が微妙に違っていて、でも懐かしい感じがする。
一歩ごとにドキドキが大きくなっていくみたいだ。
階段を昇り、事務所のドアを開ける。と、そのとたん、握り締めていた手の中の精霊石がすぅっと冷たくなった。
ま、まさかタイムリミット!?
慌てて手を開くと、精霊石は相変わらず静かに青く光っている。しかも、光が前より強くなっているみたいだ。
これは……近いってことなのかな。
たぶんそうだ。きっとそうだ。
なんだか少し、どきどきが落ち着いたような気がした。
しっかりしろ、少年探偵。
僕は自分に言い聞かせながら、自分の部屋への梯子を上った。




今はもうほとんどを処分してしまった、懐かしいガラクタだらけの僕の部屋。
窓からほのかな光が差し込み、部屋全体を青白く照らし出していた。
そして、窓辺に腰掛けて空を見上げているその人は………
あれ?
ヴァージルじゃない………?

その後ろ姿は、銀の髪を背中の真ん中くらいまで長く伸ばした小さな女の子だった。白いノースリーブのワンピースから、細い手足がのぞいている。この子が……誰もいない、5年前のままの倫敦の街を作り出したんだろうか?

僕の気配に気付いたのか、その子は、ゆっくりと、振り向いた…………。

「……あ……エリック…………」

信じられない! しゃべる声は幼かったけれど、その口調、そして振り向いた彼女の顔立ちは、紛れもなくヴァージルだった。
その子は立ち上がって、僕の方に近寄ってきた。
「……どうしたの……エリック? なんだか大きくなったみたいだよ………」
僕はなんだか、泣きたいような、笑いたいような、おかしな気分になった。
「そりゃそうだよ。だって、ヴァージルがここに、精霊界に来てから、もう5年もたつんだもの。それに、ヴァージルだってだいぶ小さくなってるじゃないか」
「ん……ああ…。そういえば、そうだったね………」
僕は思わず笑い出した。姿はとても可愛らしい女の子なのに、中身はヴァージルのままなんだもの。
やっぱり、………好きなんだ……って、その時改めて思ったんだ。


「ねえヴァージル、倫敦へ戻って来ない? 昔よりかは暮らしにくくなったかもしれないけど……僕が守るから。ヴァージルと一緒にいたい………僕、ヴァージルのこと、好きなんだ」

「うん、そうだね……。帰ろうか、倫敦へ」
やっとここまで来た。やっと会えた。僕がそんな万感の思いを込めた告白は、やけにあっさりと肯定されてしまった。
「………………………」
なんとなく、気が抜けてしまって……あ、そうだと気が付いて、僕は精霊石をヴァージルに差し出した。
「これ、返すよ。これのお陰で、僕はここまで来られたんだ」
「……そう……持っていてくれたんだね。……ありがとう……」
石を受け取ったヴァージルは、もう小さな女の子の姿ではなく、短い髪のちょっと見では男だか女だかわからない元の姿に戻っていた。

ただし、元と違う所は、僕も5年前よりだいぶ背が伸びて、ヴァージルと肩を並べるくらいの身長になっていたってこと。



*************************


その後、人間界の倫敦へ戻った僕たちは、猫たちの熱烈歓迎を受けた。
長老猫は嬉しそうで、孫娘の黒猫もみんなに感謝されていた。
そうして、ヴァージルはまた何事もなかったかのように以前の古アパートに棲みついて、ようやく落ち着いた頃。

そういえば、と僕は思い出した。
僕は確かヴァージルに「好きだ」って言ったはずだけど、その返事は聞かされてないなぁって。そりゃ、こうして倫敦に戻ってきてくれたんだから、それが返事だって思っていいとは思うけど。

「……ごめん……言わなくてもいいと……思ったんだ………」
「うん。自惚れるつもりはないけど、わかってるから、いいよ」
「うん……。それじゃあ、僕がどうして、精霊界であの姿になっていたと思う……?」
あの姿……髪を長く伸ばした、小さな女の子の。
「僕は、ずっと………夢を見ていた……。あの街は、あの姿は、僕の理想だったんだよ………」
あの姿が、理想だった?そう、精霊界では、想うことが力になる、形になって現われる。ヴァージルが、あの姿になりたかったって、そのわけは………

「………僕が、10歳だったから…………?」
「……あたり。」
ヴァージルは、ふわりと笑ってくれた。
「あの姿で、以前のキミと並んで歩いたら……きっとちょうどいいよね………?」
うわ………。
僕は顔が熱くなるのを感じた。
ヴァージルが、どれくらいの時を精霊界で過ごしたのかはわからない。5年よりも長かったかもしれないし、ほんのちょっとのことだったかもしれない。
でも、ヴァージルも、ずっと僕のことを思っていてくれたんだ。
それだけで僕はもう、5年間のヴァージルの不在がはじめからなかったような、とても満たされた気持ちになった。


倫敦は、人間にとってどんどん便利な街になっていく。
ヒト以外のものにとっては、どんどん住みにくい街になっているかもしれない。でも、ヴァージルがここにいる。相変わらず植物たちに囲まれて、たまに僕と一緒に事件を解決したりする。
ヴァージルがいれば、きっと大丈夫………そんな気がする。
想うことが力になるのは、こっちの世界だって同じことだと、僕は思っているから。

 

 

 


《END》 ....2002.08.03 UP ...Prototype 1999.10?

 



■後書らしきもの■(2007.07.05追記)
思えばこの小説が、HP立ち上げのきっかけのひとつでした。
倫敦クリアして、EDに納得いかな〜〜い!!と叫び、アタシが主人公だったら精霊界に乗り込んでヴァージルさらい返してくるわよ!?と突っ走って書き始めたSSでした。当時はまだネット歴半年くらいで、当初は同人誌で発表しようと思っていたのですが、作品がマイナー、カップリングがマイナーで、同人誌を発行するのがかなりためらわれ、HPならわりかし何でもアリだし、同人誌より多くの人に見てもらえるかなぁと思い立ったのでした。
発表した当時には「乙女ヴァージル可愛いvv」との感想をいただけて、とても勇気付けられました。書いていた時は「実は女の子」のつもりだったのですが、今見るとどっちでもいい感じですね……。精霊界にいたときはたまたま女の子の姿でいた、ととれなくもないです。
私は本当どっちでもいいです。私の中でヴァージルさんは男性でも女性でもなく性別を超越した一匹の不思議生物へと変容してしまいました。
なのでカップリングとはいえ女性向けとかそういうつもりは全然ないんですけどとりあえずごめんなさい(笑)。

 

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