「The Worldはただのゲームなんかじゃない」
そう言ったのは僕だ。
もうこの世にはいない女性を恋い慕い、世界を創り、娘を創り、そうして自分も電脳の海の波間に消えたハロルド・ヒューイック。そんな紙一重の天才と言われる彼が創ったThe Worldだから、何が起こっても不思議じゃない────
そう思っていたんだけど。
僕自身もこんな風に「取り込まれて」しまうなんて…
「クビア……クビア!大丈夫!?」
繋がるだけでいい、そう言ったから極力抑え目に、腕輪がちょっと光るくらいにしよう…そう思ってデータドレインを使ったけれど、僕自身も八相との戦いで喰らったことのあるその「力」はやっぱり相当のダメージを与えてしまったみたいだった。
「…っ…は…あ、あぁ………」
力を失って仰向けに倒れようとするクビアの背を僕は抱き留めた。
苦しそうに息を継いで、でも握った手は離れない。
「ん……っ……、…だい、じょうぶ……」
時折身体の表面を細い光が駆け抜ける。
「…もう、ちょっと……処理中…」
データが破損したとかではないみたいだ。
「…クビア……?」
僕の腕に支えられたまま、クビアはうっすらと目を開けた。
まばたきを二度、三度……やっとその琥珀色の瞳が僕の目を捉えた。
「カイト……」
「大丈夫…!?ごめん、僕……」
「うん、大丈夫……それに…」
素手で触れているクビアの手はさっきよりも体温が上がったみたいに感じる。
「僕も……カイトの手、…あったかい……」
「…本当!?」
データのインストールとかが上手くいったんだろうか。
「ん……」
クビアは身体を起こして辺りを見回した。
草原フィールドの日差しの暖かさとか、風が吹いてるとか、草の匂いとか…クビアも「感じる」ようになったんだろうか。
「不思議だよ……。このフィールドの何もかもがCGだっていうのに、こんなふうに感じるものなんだ……」
僕がリアルの身体で感じてきた経験の積み重ね・記憶によるものだとクビアは言った。
晴れていれば暖かい、風が吹いて髪が揺れる、草を踏むと匂いが立つ。そういうものだと「知っている」から。
「…それってつまり、要約すると……思い込みってことになるんじゃ…」
「そう言っちゃ身も蓋もないでしょ。実際はかなり複雑な処理をされてる。それより、カイトが世界をこんな風に感じてるっていうことの方が僕にとっては大事だよ」
バカなこと言ってる僕を諭すように言って、クビアはにこりと笑った。僕に向けられる真っ直ぐな気持ちはいつも胸の裡をくすぐったくさせる。
「クビア…」
風が吹いて、ふわふわと気ままに跳ねる癖っ毛が揺れる。
僕は思わずクビアの髪に手を伸ばしていた。
少し藍色がかった黒髪は、思っていた通り細くて柔らかい。
「…………」
今までだって、何かの弾みで触れたことはあったし人の身体と同じ感触を得ていたはずなのに、この時急に生々しく…本当の人間の身体と変わらないリアルな実体感があるように思えた。
髪の間に覗く少し尖った耳も、マフラーの隙間から見える細い首筋も、触れれば、人と同じように…
「…やっ……カイト…くすぐったい、…」
「…っ……!」
クビアの声に僕はとっさに手を引いた。
僕は今、何をしようとしていた…?
くすぐったい、でいいんだよね?と首を傾げながら笑うクビアを直視できない。
温かいてのひらも、無邪気に笑う琥珀色の瞳も、風に遊ぶ黒い髪も、僕がここに、The
Worldにいる限り、僕にとってはリアルの人間と何も変わらない・・・触れることも、感じることも、感じさせることも。
「…カイト?」
薄い桜色の唇が動いて、少しハスキーな声が僕の名を呼ぶ。
頭に血が上って、頬がカッと熱くなる。
それがPCボディなのかリアルの身体で感じていることなのかもわからないまま、僕は立ち上がった。
「……ご…ごめん!!!」
「え、なに?」
足元に落ちていた右手の手袋を拾い上げ、僕は猛ダッシュでクビアに背を向けて走り去りながらログアウトした。
《3へ》 ... (2011/05/19)
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蛇足。
カイトの感覚神経・伝達変換プログラム的な何かと、リアルの身体に蓄積された感覚の記憶なんかをまるっとコピー&インストール。みたいな。無意識下の記憶や反射による反応も含まれるため、カイトの実体験にはよらない現象も起こるかも知れません。
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とても行き当たりばったりに書いていました。カイトさんに逃げられてどうしようかと途方に暮れる。知覚心理学とか読んだら人間の知覚スゲーってなったけどそこらへんはまあ適当に!SFだし!ファンタジーだし!
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