| 水晶宮のレディ・エルム EPILOGUE |
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************************** 「わたし、ずっと夢を見ていたみたい……。万博会場で迷子になって……くたびれてちょっと休みたいな、って思っていたら、きれいなお姉さんが手招きしてくれて………それから…………?」 ********************** 万博のお祭り騒ぎに紛れて起こった『ウェストン家令嬢誘拐事件』は結局のところ、未遂と誤解と偶然の重なり合った、セシル嬢の家出(?)ということで片が付いた。 倫敦の誇る名探偵、ジョン・エヴァレット氏の優秀な弟子たちが、万博会場で迷子になっていたセシル嬢をウェストン家に送り届けたのだ。 まあその過程で起こった色々な出来事については、 「黙ってればわかんないよねっ。そしたら大人はツゴウのいいように解釈してくれるでしょ」 ということで、子供たちだけの秘密になったのだった。 人嫌いのヴァージルが珍しくエリックのアパートを訪ねてきたのは、それから2、3日後のことだった。 「報酬? ううん、もらってないよ。だってさ、あんな事件になっちゃったし、あれきりセシルとは会ってないし……」 「あのね……、もしもキミが、探偵として彼女に報酬を請求するんだったら……、ちょっと頼みたいことがあるんだ………」 「ヴァージルが!? 何か欲しいの!?」 およそ俗世間とは縁がなく、自分が精霊「探偵」であることに自覚さえなさそうなヴァージルのそんな頼み事に、エリックはとても驚いた。 でも、ヴァージルの要求したその「報酬」は本当にささやかなもので。 「ん……欲しいわけじゃなくて……ちょっと貸してくれるだけでいいんだけど………」 「ヴァージル!」 「あ………エリック…………。」 「セシルに会ってきたよ! ……宝石としてはそんなに高価なものじゃないけど、大切なおばあさんの形見だから、譲ることはできないって。でも、ヴァージルの言うとおり、一日僕に預けるくらいならいいってさ! 借りてきたよ。セシルのブローチ」 「あ、ありがとう……。そう、これなんだ………」 待ち合わせは万博会場。精霊界への入り口を根元に隠したニレの木のそばで、エリックがヴァージルに手渡したもの。 それは、あの日セシルが胸元に飾っていた緑色の石のブローチだった。 ぽってりとした輝きの半透明のその石は、雨上がりの草原の色にも似た鮮やかな緑色で…… 「クリソプレーズ……『緑玉随』っていうんだけどね…………」 ヴァージルが両手でブローチを優しく包み込んで、そっとその手を開くと、薄緑色のかげろうが立つみたいに、ゆらりと何かが現れた。 それは両手のひらに乗るくらいの小さな少女で、金色の長い髪にひらひらした薄緑色のワンピースを纏い────エリックが驚いたことに、身体の向こう側が半透明に透けて見える。 「……初めまして……、だね、キミとは…」 「ええ、こちらこそ、初めまして。あなたがウワサのヴァージルさんね」 半透明の少女はヴァージルの手の上で、優雅にスカートをつまんでお辞儀をした。 「こ、この子は………精霊??」 「……そう……。この宝石の……」 「あら、この子、人間なのにあたしが見えるのね? あなたと一緒にいるせいなのかしら?それとも……」 じっと、精霊の少女が黒目がちの瞳でエリックを見上げた。 「……な、なに…………?」 端から見ると、にらみ合っているように見えたかもしれない。 エリックと精霊の少女の間の沈黙を、ヴァージルがさえぎった。 「……たとえキミの姿が見えなくても、キミの力を感じ取ってしまう子供はいるんだよ……」 「ええ、わかっているわ。このあいだの事件は、あたしのせいね」 「セシルの事件が? どういうこと??」 「……つまりね……」 自分のせいと言いつつも、ちっとも悪びれたところのない精霊の少女を見下ろして、ヴァージルが説明してくれた。 「……人間たちは精霊を見たり、精霊界への入り口を見つける力をなくしてしまったけれど……きみたちくらいの子供は、ちょっとしたきっかけで精霊の姿が見えたり、入り口を見つけてしまうことがあるんだ……」 「そのきっかけっていうのが、つまりあたしのことなのね」 精霊の少女が、なぜか自慢げに言い放った。 「例えば、このヴァージルさんは、とっても強い力を持っているの。キミひとりだったら、精霊界の入口を見つけたり、あたしの姿を見ることはできないんだけど、ヴァージルさんと一緒にいれば、ヴァージルさんの力の影響でそれが可能になるのよ。セシルもそれとおんなじ。セシルはあたしの存在には気付いていなかったけど、あたしと一緒にいたせいで、普段は見えないものが見えてしまったの」 「普段は見えないもの………精霊界の入口?」 「……うん……それから………レディ・エルム………」 「え? 誰?」 いきなり耳慣れない名前を告げられて、エリックは驚いた。 「エルム……ニレの木?」 「そう。今ならキミにも見えるはずよ」 ざわりと、風が吹いたような気がした。 ここは建物の中だから、そんなはずはない。 エリックの心に直接、風を送り込んできたような────……… 「あなたが、レディ・エルム………」 振り仰いだニレの木の横枝に優雅に腰をかけ、穏やかな眼差しでエリックを見おろしている女性…… 「……ごめんなさいね。私があの子を招いてしまったようなもの………」 「いいえレディ! あたしが止めてあげればよかったんです。あたしのせいでセシルは……」 ふわりと枝から降り立ち、ニレの木の精霊────レディ・エルムはクリソプレーズの精霊に優しく手を差し伸べた。 「あなたは、あの子がとても好きなのね……」 「……ええ……だからたぶん、あたしはセシルと一緒にいない方がいいのかも知れない……。またこんなことが起こってしまったら、あたし………」 さっきまでは、アリエスにも似た気の強そうな様子を見せていた精霊の少女が、うつむいて声をふるわせた。 「……そんなに責任を感じることはないよ……。あの子と別れることもない………。キミがもう少し成長して、自分の力を抑えられるようになるまで、レディ・エルムに鍛えてもらうっていうのは、どう……?」 精霊の少女は、ぱっと顔を上げた。 「そんなこと、できるの!?」 「ええ、もちろん。私も伊達に長生きしているわけではないわ」 包み込むようにレディ・エルムが微笑むと、辺りの空気までもが柔らかくなるようだった。 「それじゃわたし、しばらくレディにお世話になるわね」 ヴァージルの手から、レディ・エルムの手に移り、クリソプレーズの精霊は小さな手を振った。 「……うん……この石は、とりあえずあの子に返しておくよ……」 「ええ。そのうちきっと戻るから、大切にしてって伝えてね!」 そうして、宝石に宿っていた精霊の少女と、この地を見守るニレの木の精霊は姿を消した。 ふわりと、穏やかな風が吹いたように感じた。 もちろんそれも気のせいだったけれど、エリックには、確かにそこにふたりが『いる』ことが感じられた。 ────ヴァージルが一緒じゃないと、たぶんわからないんだろうな……。 でも、今この時のこの感じ、そして、ふたりがここにいるということ。 それを忘れないでいれば、きっとまた会えるとエリックは思うのだった。 その後、セシルに「空っぽ」になったクリソプレーズを返すと、ためつすがめつ眺めながら、セシルはつぶやいた。 「………なんか、違う……」 一緒にいたヴァージルが微かに嬉しそうに見えたのは、エリックの気のせいだったろうか。 「……キミがその気持ちを忘れないでいれば……きっと戻ってくるよ……」 セシルは不思議そうに首をかしげた。 精霊界に迷い込んだこと、仔猫の姿になっていたこと、ヴァージルに助けてもらったこと、どれもはっきりとは憶えていないようだった。 「……忘れないで…………」 ヴァージルが、セシルの髪を優しく撫でた。 「うん………」 目を閉じて微笑ったセシルは、ちょっとだけ、クリソプレーズの小さな精霊の少女に似ているような……そんな気が、エリックにはした。
というわけで、やっと完結です!ここまでおつき合い下さってありがとうございました。ネタ出しが2000年春(たぶん)なので、3年ごしになりました〜。 このお話のために、いっぱい資料集めました。そしたらゲームの倫敦と実際のロンドンがごっちゃになってもう何がなんだか。でも、『倫敦』というゲームの魅力は、もしかすると本物と違っているかも知れないけど、私たちが思う「19世紀ロンドン」というものに対するイメージにものすごく近いことだと思っています。 |