「逢瀬」
────やはり、誰かいる………。
夜半、ヘルムートは南側の海を望む二階の窓から、密かに外を伺っていた。昼間、港町へ買い物に出かけた時、顔見知りの商店主に声をかけられたのだ。
「あらあなた、奥の別荘の人よねえ?」
クールークの南、風光明媚な海岸線で知られる観光地の一角に、ささやかな別荘街がある。裕福な商家の主やら、皇都の下級貴族などが、隠し財産に求めたり、妾宅にすることが多いらしい。性質上、小綺麗だがさほど大きくない物件ばかりで、ヘルムートが現在暮らしている住居も、その別荘街の一番奥の小さな二階家だった。
「さっき、あなたの隣の家に、届け物に行ったんだけど……、柵の外からあなたの家を覗こうとしてる人がいたのよ。泥棒みたいに見えちゃったけど、まだこんな昼間だし、家の人もいるみたいだったから、大丈夫かと思って……。隣の家の奥さんと話をしてるうちに、コロッと忘れて帰って来ちゃったわ。まあ、私の気のせいだったかも知れないけれど」
「そうですか……。気を付けてみることにします。どうも、ありがとう」
後ろ暗い事情があるだけに、世話好きの店主の見間違いとも思えなかった。それとなく外を気に掛けているうちに日が暮れ、夜になり家人も皆寝静まり───
ささやかな前庭を挟んだ正門の陰に、人影が見え隠れする……。
地位や名誉と共に放棄してきた皇都の屋敷ならばともかくも、こんな時間に、彼らのこの別荘を訪れる者などあるはずがない。単なる別荘荒らしの盗人であれば話は早い。捕らえてそれなりの処分をするだけだ。だが、あるいはヘルムートらの消息を突き止めてきた軍関係の者たちだったら……。
────知られたならば、出ていかなければならないだろうか……
物音を立てないよう細心の注意を払いながら、ヘルムートは階下へ降りた。窓から外を伺うと、人影はまだ門の辺りにいるようだ。
裏口から忍び出て、外の小道に出る。そのまま表に回り込んで……
「ここで何をしている!」
言葉と同時に、剣を突きつけた。
「────ッ……!!」
並木の影の中、黒い塊にしか見えないその人影は、びくりとして動きを止めた。
「逃げても無駄だ。この道の先はガケ………」
「……ヘルムート………!?」
「な、何……?」
人影が、ヘルムートの名を呼んだ。しかもその声には、聞き覚えがある。
「まさか、君は………!?」
「僕だよ、ヘルムート!」
動きを止めた一瞬の隙に、人影はどさりとヘルムートに体当たりをしてきた。勢いで剣を取り落とし、驚きのあまりに抵抗もできず、そのまま固く抱き締められる。
「……アキツ………本当に……?」
なりゆきのままに相手の背に回した手がその髪に触れる。細く柔らかな髪の感触、抱きついてくる僅かの身長差、触れ合う身体の形と体温。それは紛れもなく、あの少年だった。
暗がりの中でしばし佇んでいると、少年がふうっと息をついた。その隙に身体を離して、足下に転がる剣を拾い上げ、鞘に収める。……その一連を、少年が固唾を飲んで見守っているのがわかる。
ヘルムートが三歩後ろに退がると、少年は三歩進む。そうして木立の影から出ると、ようやく十六夜の月に少年が照らし出された。
「アキツ………」
色々と、訊きたいことがありすぎた。そして、二年の時を隔ててしまった戸惑いも。問いかけるようにその名を呟くヘルムートに、少年はふふ、と笑う。
「会いに来ちゃった」
「……どうして……」
「話せば長くなると思うんだけど……」
そう言いながら、少年はまたヘルムートに触れてきた。腕を引き寄せて甘えるように抱きついてくる。
「今、紋章砲の謎を追って旅をしてるんだ。……正確には、それをしようとしてる人の、手助けをしてるんだけど。群島からクールークへ入ってグラスカの近くまで来て……。もしかしたら、クールークへ来たらどこかで会えないかなって、こっそり思ってた。そうしたら皇家ゆかりの人が手がかりをくれて……じっとしていられなくて、ちょっとだけパーティを離れて下の街で噂を聞いて、ここまで来たんだ。
……あれ……あんまり長い話じゃなかったね……?」
首を傾げてヘルムートを見上げ、少年は笑った。以前と変わらないその仕草に、ヘルムートも自然と笑みがこぼれる。
「ああ……だが、夜はまだ長い………そうだろう?」
「うん………そうだね……」
ヘルムートの腕に添えられた手に、力がこめられた。
少年を連れて戻った自室の灯りは消えたままで、少し傾き始めた月明かりが斜めに差し込んでいた。
「夜盗を捕まえるために、寝静まったフリをしていたから……」
「そんなに僕、怪しく見えたのかなあ……。誰かいないかな〜と思って家のまわり一周しただけだったんだけど」
「…………………」
壁のランプに灯りを点そうとすると、少年がそれを止めた。
「このままでいいよ。月が明るいし………」
闇の中、月明かりを頼りに並んで寝台に腰をかける。
「ヘルムート、ここに一人で暮らしてる………わけじゃないよね?」
「ああ。父と………トロイ様と一緒だ」
その名をヘルムートが口に出すと、少年は息を飲んだ。
「………やっぱり、生きてたんだ………」
たっぷりの沈黙の後、溜息のように呟いた。
戦いの後、混乱に乗じて付近の海を捜索した元部下たちが奇跡的に救出したトロイを伴い、僻地のこの別荘で三人で隠遁生活を送っていたこと。
伝え聞く皇都の状況を憂いつつも、今も療養生活を送るトロイを放ってはおけないのと、未だ過去の戦いに対する気持ちの整理がつかないことを理由に、身を隠したままでいること……
少なからず苦さの混じる近況だったのだが。
「……でも、ヘルムートが無事でいてくれて、本当に良かった……」
それに、僕のこと忘れないでいてくれた。
と、少年は笑った。
暗がりの中で、その笑みは気配だけだったが、ヘルムートには確かに伝わってきた。
「ああ……。忘れない、と言っただろう、別れる時に。忘れるわけがない………」
「うん、そうだったね」
オベルを密かに出立した時には、部下の探し当てたトロイの生存を少年にも告げるわけにはいかず、どこへ行くとも言えなかった。また会おうなどと、夢物語のような約束もできなかった。
それでも、お互いのことは忘れないと、それだけは言葉にして約束しても叶えられると思っていたから。
「忘れないでいてよかった……」
言葉を切って、少年は忍び笑いを漏らす。
「それに……忘れてはいなかったし、もう一度会えたら……ってずっと思ってたんだけど、思いがけず手がかりをもらってここまで来て、本当に会えるかもって段になったら急になんだか不安になって……。どうしよう、引き返してこのまま帰ろうかな……って思っ
てたんだ」
「……どうして………」
「おかしいよね。せっかくやっとここまで来たのに。……もしヘルムートが僕のこと忘れちゃってたら、とか、クールークに戻った今は敵同士だって言われたらどうしようとか、そんな不安はずっとあったんだけど……」
あっでもヘルムートのこと信じてなかったわけじゃないんだよ本当だよと言い訳する少年に頷いて、先を促す。
「……だから、どうしてなのかわからないけど、なんだか会うのが、怖くなって……」
「アキツ、それは」
俯いて言葉を途切れさせる少年の名を呼ぶと、少年は顔を上げてにこりと笑った。
「……でも、そんなこと、全然心配しなくたってよかったんだってわかった。二年のあいだ離れていたけど、僕はずっとヘルムートのことが好きで、好きすぎて、一人でぐるぐる悩んじゃってただけで、僕の気持ちもヘルムートの気持ちも変わっていないんだってわかったから。
……もう、大丈夫………」
言いながら少年はヘルムートに身を寄せ、確かめるように腕に、肩に、頬に触れてきた。
促されてヘルムートも少年の髪に触れると、その吐息を間近に感じた。
「……ヘルムート…………」
二年間の不在を埋めるかのような抱擁は、いつまでも続くはずはないと分かっていながら、それでも────
「………あんまり、長くなかったね……夜………」
「ん………そうだな……」
身を起こすと、離れた肌に残る温もりが名残惜しさを訴える。
「そろそろ、戻らないと……。キャラバンが出発する、までには……」
そう言いながらも、少年はヘルムートを離すまいとしがみついてくる。
少し高めの体温と、腕に触れる柔らかな髪。
切ないほどの愛おしさをこらえながら、ヘルムートは少年の肩を押さえ、そっと身を離す。
「……また、来るといい………。私はここにいるから………」
「うん、そうだよね……」
そうは言っても、言葉で言うほどそれが簡単でないことは、二人とも解っていた。少年は今も戦いの中に身を置いているし、クールークの内情が不安定な今、ヘルムートたちの身の振り方も、とても安定しているとは言い難い。
それでも、言葉にして約束しておけば、いつか叶えられるのではないかと。
「また来るよ。……そうだね……、今度来るときは、もう全部決着が着いてるかも知れない。そしたら僕、ずっとここにいたいな。それとも、ヘルムートがまた群島に来るのもいいかも知れないね……。
もう、どこにも行かないで、ずっと一緒に……」
十六夜の月はとうに雑木林に隠され、代わりに夜空が薄群青に染められてゆく。ゆるやかに夜が開かれてゆく様を見ていると、まるで逢瀬が夢だったかのように思えてくる。
「……ずっと一緒に………か……」
それは約束と言うより、祈りだったのかも知れない。
二人の祈りの言葉を聞き届けた月は、それを抱いてまた巡るのだろう。
《END》 ...2007.07.28
やっぱり「コイバナ」と「面影」と続きものみたいになった……。
おまけ→だいなし小間使いエンド
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