「昔日の藍を」




「エル様……何故……」
いつぞやも世話になったユンコウの路地裏の宿屋、狭い部屋でベッドに腰を掛け、女は肩を落とした。
「私を置いて……しかもこんな男に伝言を頼むなど………」
「そりゃ、顔が良くて腕も立つ頼れるおにーさんだったからだろ」
こんな男呼ばわりされたロイドが軽口を叩くと、女は───フィーダは眦を吊り上げ傍に置いていた剣を抜いた。
「貴様……やはりあの時に殺しておくべきだったなぁ……!?」
言うと同時に、首筋にぴたりと刀身があてられた。精神的ダメージを負っていても剣の腕は鈍らないのは流石……とはいえ、今は本気で殺す気はないようだった。



崩れ落ちるドラグーン城から脱出したロイドが行き会ったのは、姿を消したエルを半狂乱で探すフィーダだった。声を嗄らして主(あるじ)の名を呼び、自身が出てきたらしい下水道へ引き返そうと必死で瓦礫を掘り返していた。

────フィーダに伝えてください。私は一人で行きます。あなたもどうか無事で……今までありがとう、と。

少女の凛とした声が耳に残る。どうしても一人で行かねばならないのだと。
軽い足音が遠ざかるのを見送る……。
少女が辿って行ったのは、城主のウォンさえも知らなかった古い時代の抜け道で、用心棒という名目でドラグーン城を探り歩いていたロイドがたまたま見付けたものだった。確かめたことはないが、ユンコウの南の港まで通じている可能性もある。ストークホルムの村娘、元王女のエルは、そこから人知れず船に乗り、海を渡り、そして……?
もとより少女を保護してやるような義理もないので行かせてしまったが、フィーダとは別の抜け道を教えたのには多少の罪悪感もあったので、瓦礫の山でエルを探す女騎士に伝言を伝えたのだ。



「………………っ……」
首筋にあてられた刃はひやりと冷たく、背筋を伝う寒気と共に何故かロイドに高揚感をもたらした。悲願だった親友の仇を討ち果たした今なら、殺されても悔いはない───何よりも、フィーダの美しく冴え渡る翠玉のような瞳がすぐ近くでロイドを真っ直ぐに見据えている。
「何故……………!」
すい、と刃が引かれる感触に思わず肌が粟立ったが、皮一枚も切れていないのは流石だった。
「フン……………」
つまらぬ真似をしてしまったとばかりに溜息を吐きながら、フィーダは剣を鞘に収めた。その仕草に、僅かに動揺を見て取ったのは、ロイドの願望だっただろうか。

ドラグーン城で剣を合わせ、間近に視線を交わした───いや、それよりも前、ルワールの城で遠目にその姿を垣間見たその時から───

────フィーダ……フィー……ラ?

不意に胸に差した思い。
いつか見たことのある色……聞いたことのある声……いつか、どこかで……
例えばそれは明け方に目を覚まし、それまで見ていた夢を断片的に思い出しながらも全貌が掴めないまま次々と消えていくもどかしさ───始めは白昼の幻のように浮かんでは消えるぼんやりとした記憶だったが、彼女と向き合うたびに、ロイドの中で鮮明になっていった。

────遙かな、始まりの昔。
────神官ゆえに人目を憚る恋仲だったふたり。
────人外の力を得たフィーラの幼馴染みの娘。
────……生まれ変わったら、また、一緒に………────

それは恐らくロイドとフィーダの過去世。フィーダはどこまで『思い出して』いるのだろう………。互いに探り合うように交わした瞳───昔日の己の姿を映し出したような気がしたそれは ふ、と閉じられた。





*****************************
その少女はただの村娘だった。

特に裕福でも貧しくもない平民の家に生まれ、山肌にへばりつくような畑を手伝い、農閑期には機を織り、家畜を引きながら馴染みの村の人々と他愛もない言葉を交わす。そうして平凡に村娘として生きて、年老い死んでいくはずだった。
そんな彼女の運命が一変したのは、神殿の遣いが来てからだった。
娘は神に選ばれた。
神殿に召し上げられ、試練を受け、それを越えれば神の化身…いや、神そのものとなれるのだ。小さな村に最高の名誉を得た、と村人たちに歓喜とともに送り出され、慣習と信仰に従って六つの聖杯から一つを選び、満たされた夜露を飲み干した。
粛々と儀式に臨んでいた彼女が抗ったのは、その最後の行程だった。
神殿の最奥の石造りの小部屋……光も射さず、生きるものはなく、音さえも届かない外界から隔離されたそこに閉じ込められる最後の段になって、彼女は初めて自分の意思を発露した。

「いや……!! わたし、死にたくない……! 神様になんてなれるわけがない……!」

突如として暴れだし細い腕で力の限り抵抗する少女を部屋に突き入れ、外からしか開けられない重い石の扉を閉ざした。
選ばれし者はこの部屋で一年を過ごす。先程飲んだ液体…月のもたらす夜露に満たされた六つの聖杯から一つだけ……その選択が間違っていれば死。正しければ、食べ物も水もない牢獄で生き延びることができる。生き延びたならその者は、神に選ばれし代弁者。この国に繁栄と勝利をもたらすであろう………そう言い伝えられ、国とその根幹を支配する神官たちは何代にも渡って連綿と儀式を続けてきたのだ。

今日に至るまで、いまだ儀式に成功した神の化身は現れなくとも、いつか────。




「許してくれ……ッ…」

石の扉を閉ざした後、堪えかねたのか膝をついて扉に縋りながらそう呟いた。
若い二人が神官となるずっと昔から続けられてきた儀式。周囲の小国とのいくさが絶えない豊かとは言えないこの山地において、信仰と儀式、神殿を拠り所とする国家の形態は人々にとって生きるのに必要なものだった。起源や根拠など知る由もない。
この儀式で神の化身と成る者があれば、敵対する小国など物の数ではない───だから今を生き、戦い、勢力の拡大を夢見ることができる。そのために続けられ、幾人もの「失格者」を出してきたのだ。

「許して………」

ことし選ばれたのは、フィーラの故郷の村の娘。フィーラが神官を志して都に上るまで、辺境の村で姉のように妹のように仲睦まじく過ごしてきた同郷の幼馴染みだった。
神の使いの候補を選ぶのは、もう百年以上もその座にあると言われている年老いた神官長。余人には計り知ることもできない何やらの占いで選ばれた娘を都の神殿に迎えた時、フィーラは驚き、動揺していた。それでも自らの運命を受け入れ粛々と儀式に赴く娘を目の当たりにして、フィーラも神官としての務めを果たそうとしていたのだ。

「フィーラ、神官長様の命令は絶対……。我らが異を唱えることなどできぬ」
「わかっている、ロイ……。だからこうして扉を閉ざしたのだ……」

次に扉を開くのは一年後。
神官といえど盲信者ではない。水も食料もない石の牢獄で生き延びる者がいるとは思えなかった。

「エル……………」

そうしてフィーラの心は、娘と共に牢獄に囚われたのだった。



*****************************
────思い出してみれば、あの時からずっとだ。


徐々に高度を落としていく飛行船のブリッジで手摺りにもたれて空を見上げるフィーダの隣、先程までの戦闘の高揚感が嘘のようにロイドはやけに冷静だった。
フィーダの亜麻色の長い髪が強い風になびく。
「エル様……どうかご無事で…………」
この期に及んでもなお、彼女の心は忠誠を誓った少女のものだというのだろうか。
「………フィーダ、お前……もうそろそろ解放されてもいいんじゃないか……?」
ああ、この期に及んでも、というもどかしさだった。ロイドと同じくフィーダも相当に『思い出して』いるはずだ。ラサの賢者メイホウの元に集い、メイリンやペルルたちと行動するようになってからはさらに鮮明になっていた。
「ロイド……それは私の人生を否定するのと同じ。エル様にこの命を懸けてお仕えするのが私の、」
「あの娘は自分の役目を思い出した。それを果たそうとして一人で行ったんだ。エルは───もうあの牢獄から解放された───お前だって………」
「……私は最早エル様に必要ないということか……!?」
そうじゃない。だが言いたいことが少しも伝わっていないのかフィーダは美しい瞳に怒りを燃やして詰め寄ってきた。あの娘のことになるとどうしてこうも冷静さを欠いてしまうのか。
「償いは果たした。『時』は進められる。お前も……俺も、先へ行ってもいいんじゃないのか?」
「先……だと……?」
「エルに向ける十分の一だけでもいい……俺のことも見てはくれないか……?」
「…………っ……」
翠玉の瞳が見開かれる。

────愛してる………生まれ変わったら、また、一緒に………────

それは最期に見たのと同じ、翡翠の色の………

「私はフィーラじゃない」
「え………?」
思いがけない言葉だった。
「お前は私に、前世の恋人を重ねているだけだ。ならばただの気の迷いだろう」
「そんなわけがあるか!!!」
その振るう刃のごとく断ち切るように言い放ったフィーダに、今度はロイドが詰め寄る番だった。
「ああ、確かに前世で恋仲だったし何か約束はしたさ。でもそれはただのきっかけで───!」
美しき孤高の女騎士。国一番の剣の腕と、命を懸けて主に尽くす忠誠心。魂に刻まれた前世の贖罪だけではそうはいかない、今生で積み上げてきた努力と、そして誇り……今の彼女を美しく見せているもの。
「何も知らずに出会ったって、好きにならないわけがない……お前みたいないい女……」
容姿の美しさや剣技を誉める者はいくらでもいただろう。騎士の名門の家系であれば見合いの話もうんざりするほどあったに違いない。その全てを歯牙にもかけず、主に……エルに尽くしてきたフィーダに届く言葉はあるのだろうか。
「ロイ……、ロイド………」
腕を掴まれた力の思わぬ強さに揺れる瞳が映し出すのは、今生のロイド……ルワールの貴族として生を受けながら、親友の仇を討つために流れの傭兵となり人生の全てを懸けてきた────。そして今、世界を救うため、『時』を導く英雄のために共に戦っている。
それぞれの今回の生。それが重なった巡り合わせ。その全てが愛おしい────………。
「ロイド」
はっきりと、名を呼ばれた。
「ああ……そうだ……私も、お前と同じ……今のお前を……」
「フィーダ、」
変わらぬ瞳の色。記憶と感情──約束──過去と現在が混ざり合う……
「お前の目は藍(あお)いな……あの頃と変わらない……」
和らいだ瞳はロイドの奥まで───過去と現在と、心の奥まで見透かすように、互いの瞳が交わし合う。
「あの頃はアスタリカの夕闇のようだと思っていたが、今は……、」
ふと視線を外したその先には、ロイドの背後に広がる海。
「この海のようだ………」
そんな風に思ってくれるのか。
空を抱き、深海を秘める、この地球(ほし)を藍く見せる海のようだと────……



ドォン…!! と突き上げられるようにブリッジが揺れた。どこかで大きな爆発が起きたようだ。
高度は下がり続けていた。
「……………………」
先程とは違う意味で瞳を見交わした。
「……まずはここを生き延びることだな」
「ああ。また来世までお預けにされるのは遠慮したいぞ」
飛行船は狙い通り海を目指し落ちていく。海面が、その瞳のようだと言われた藍色に燦めき、白い波頭がはっきりと見えるまでの距離になっていた。このまま留まれば爆発に巻き込まれるか、墜ちた船体の下敷きになって溺死するか────

「跳ぶぞ………!」

────今生での、未来のために。








*****************************
ザザ………ザァ………と、絶え間なく聞こえる潮騒……
重い瞼を開けると、白い砂が見えた。
「………助かった……のか………」
隣には同じようにフィーダが倒れていた。

まだかなり高さのある飛空挺からダイブすると、その時を待っていたかのように海鳥の群れがロイドとフィーダの周りを取り囲んだ。オオミズナギドリや巨大なアホウドリたちに掴まれ、支えられ、それでも緩やかとは言えない速度で海面に突っ込んだところで意識が途切れたが、鮮やかな紅色の魚の尾が視界を掠めた気もする。
「岸まで運んでくれた……?」
鳥たちのように海の生き物たちも、二人を『英雄』の仲間と認めて助力してくれたのだろう。

「う……ん、…………」
横臥の姿勢のままフィーダがうっすらと目を開いた。
「……ロイド……?」
「ああ」
「……う……海で死んだ女は……人魚に生まれ変わると、聞いたことがあるが……? 私は……」
「人間だ。死んでない」
「………………」
ぼんやりとした瞳のまま、重たそうに身体を起こした。
ロイドも改めて辺りを見回すと、遠い沖合いに墜落した飛行船の黒煙が見えた。天才科学者の野望も命も全て潰えたのだ。
「終わった、のか………?」
緊張の糸が切れてしまったのだろうか、フィーダらしからぬゆるりとした様子で沖を眺め、砂浜を見渡し、ロイドに視線を向けた。
「フィー………、」

────さっきの続きか……?

フィーダの瞳を見詰めていると、今生と前世の記憶や感情が巡り混ざって曖昧になる………。遙かな時を越えて前世の恋人と思いが通じ合ったのだと喜んでしまうこともできるだろう。……そしてこれは今生での経験によるものだが、女性は多少弱っている時の方が男の優しい言葉に靡きやすい。有り体に言ってしまえばチャンスというもの────

「フィーダ……そういえば言い忘れていたが、エルからもう一つ伝言があった」
「な……!?」
その名を聞き、我に返ったように目を見開いた。
「ストークホルムに帰ると言っていた。故郷でもあり、自分の役目が待っている場所でもある、と……」
「……何故それを早く言わない!!??!」
さっきまでのぼんやりとした様子はどこへやら、瞬時にフィーダはロイドの胸ぐらを掴み上げた。
「ぐえっ…………!?」
「行くぞ!! ストークホルムへ! 今すぐにだ!!」

……こうなることがわかっていたのでエルからの伝言を全て伝えずに秘めていたのだ。ユンコウでメイホウの要請を受けてからは『英雄』の手助けを優先するために…という名目で。本心はもう少し一緒にいたかったからだ。
だが、ベルーガを止めるという役目を果たした今なら、そして過去を越えて思いを重ねることができた今なら。

────そうだ……やはりこの方がお前らしい。一途に主に忠義を尽くす、美しき孤高の女騎士。

ロイドが好きになったフィーダの生き様。今生で惚れ直した恋人のあるべき姿。
「ああ……行こう。お前の行くべきところへ」
今なら共に行ける。前世の約束は糧に、今生のロイドとフィーダとして。
エルさま、と呟きながらその瞳はロイドを真っ直ぐに見透かしてくる。

────アスタリカの夜闇はもう明けた……『時』を進めて今を行くんだ

恋人が「藍い」と言ったこの瞳……昔日の藍を染め直すかのように、海の色を映して見返した。






《END》 ... 2021/06/13




 


数年ぶりに何回目かのEDまでプレイしたら再燃しました!
リアタイでプレイした四半世紀前から推しカプだし当時もなんとか幸せにしたいと思っていたけど今書いたらこうなるんですねえ〜。昔書きかけてたのは前世!運命!!エモー!!みたいな感じだったので…。
ロイドとフィーダ様、ゲームだと生死不明っぽいけど小説版には飛行船から脱出する描写があるので美味しくいただきました。ロイドがルワールの貴族だったとか美味しそうな設定もちょいちょい小説版の方です。




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