ハートランドの街を吹き抜ける風が、ここでは一層強く感じられた。高いビルとビルの間に渡り廊下でも作ろうとして放置されたような空間だった。窓も壁もない廊下が空へと続き、プールの飛び込み板のように唐突に途切れている。
「高いですね……!」
ドルベの案内にきょろきょろしながら付いてきたマッハが感嘆の声を上げた。主従揃って高い所が大好きなのだ。
高さだけならハートランドタワーの方が上だが、ガラス張りの展望台より風を直に感じられるこちらの方が街を見下ろす爽快感は遥かに勝り、空も近く感じられた。
「こんな所、よく見つけましたね」
「ああ。以前ミザエルと人間界に偵察に来た時にな。あの時は空間移動して来たんだが、自分の足で上ってくるとやはり格別だな…!」
人間としてハートランドで暮らす今、僅かに残るバリアンの力を使うことは滅多にない。あの時ほんの少し立っただけのこの場所が何故か忘れられなくて、記憶を辿り、普段から上を見ながら歩いていて探し当てた。
「いい風です……」
マッハが気持ちよさそうに目を閉じて呟いた。ドルベも目を閉じる。風を受け空の音だけを聞いていると、遥か昔ペガサスの背に乗って翔けた空を思い出す───隣でマッハも同じように空を仰ぎ、追憶に思いを馳せているのがわかる。
と。
「そうだ────主、」
不意にマッハが声を上げた。目を開けると、隣にいたはずのマッハがドルベの三歩先に立っていた。
「………どうした?」
精霊は長い髪を揺らして振り返り、笑っている。
「見ていてください!」
そのまま踊るような足取りで風の吹き抜ける廊下を先端まで進み、とん、と床を蹴った。ほんの軽く、道端の水溜まりを跳び越える気軽さで、マッハは途切れた道の先に足を踏み出した。
「────!?」
色素の薄い金の髪が風に煽られて、まるで翼のように広がる。それはあのペガサスの翼にも見えて、本当に翔べるのかと思ったのも束の間、その姿は通路の先からかき消えた。
「マッハ────!!?」
慌てて駆け寄って下を覗き込むと、金の髪が風に翻りながらただ落ちていく。『墜落死』────そんな単語が脳裏をよぎる。
あっという間に遠ざかる身体が地面に叩き付けられるかと思われた瞬間、その姿は光の粒となって四散した。
「………っ…………!!」
途切れた廊下の端にしがみ付くようにして下を覗き込んでいると、吹き上げる風に乗って一枚のカードがひらりと舞い上がった。
────スカイ・ペガサス───!
迷うことなくドルベの手に自ら飛び込んできたカードをしっかりと胸に抱え、渡り廊下の先端から広い床の辺りまで戻った。いくぶん和らいだ風に少し安心してカードをかざすと、表面から放たれた光が青い粒子となって集まり、人型の精霊の姿を現した。
「マッハ!!」
「あ、主………」
床に座り込むような格好で現れたマッハを、ドルベは強く抱きしめる。
「あまり、心配させないでくれ……!」
今はカードの精霊であって、人ではないもの────しかし触れれば温かく、抱きしめればそこに肉体と鼓動と息遣いが確かにある────こうして人の身に閉じこめてしまっているのは自分なのだと、折に触れ思わざるを得ない。マッハ自身がそれを望んでいると知っていてもだ。
「すみません。あんまり風が気持ちよかったものですから……」
ドルベの背をそっと抱き返し、耳元で囁くように謝罪する。
身体を離すと、首を傾げながら苦笑した。
「翔べると思ったんですが……やっぱりできませんね」
ペガサスの魂を風が誘う。───その背に翼はもうない。
(了)
------------- 2015/06/06
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