アークライトさんちの44
ぼんやりと仮設定
・クラゲ先輩回後の半パラレル日常パート
・封印のナンバーズがドンサウザンドの封印とは知らない、精霊自身も知らない
・ドルベは記憶を取り戻してない
・アークライト家はバリアン研究中&カード開発中

 

【3】 物理のあしおと


 手を伸ばす。
 さらさらと音を立てそうな長い金の髪を後ろから掬おうとして……すり抜けてしまった。
「あ、やっぱり?」
「……何か?」
 棚に並んだWの人形コレクションを眺めていた長身の鎧姿が振り返る。動きに合わせて兜から伸びる山吹色の布飾りがふわりと揺れた。
「いや、やっぱ触れねーんだなって」
 屋敷の中では紋章の力やDゲイザーなしでも姿を見ることはできるが、触れることはできない。ARビジョンと同じだ。遊馬とアストラルもこんな関係であるらしい。
「そうだな……私の封印されていた遺跡ならともかく、この程度の『濃度』では物理的に実体化するのは難しいだろう」
「『濃度』?」
「カオスの力の」
 謎の紋章パワー……その正体は、バリアン世界に由来するカオスの力と呼ばれるものだった。かつてはその力に取り込まれ、フェイカーへの復讐心との相乗効果で悪魔と化した父トロンだったが、今は逆にカオスの力を利用してバリアンたちに対抗しようとしている。屋敷の中限定だが紋章パワーが満たされているのも、アークライト家によるバリアン研究の一環なのだった。
「触れることはできなくても話はできる……支障はないだろう?」
「まあ、そうなんだけどよ」
「デッキの調整が済んだなら、戻らせてもらう」
「……ああ、うん」
 待てよ、と言いかけたが引き止める理由は特になかった。
 当初に比べれば多少口数は増え、デッキ調整に時折口を挟んできたりするものの、相変わらず無表情で余計なことは喋らない。それでも、兄弟との手合わせ程度のデュエルやチャンピオンの仕事でのデュエルで何度かスカイ・ペガサスを召喚するうちに何となく馴染んできたような気はしていた。
 名を呼べば現れる。いるのか?と問えば、ここに、と応えが返ってくる。一日のうちデッキを身に付けていない時間はほんの僅かで、姿が見えなくとも一日のほとんどを共に過ごしているということになるのだ。
──── もしかして家族より長い……いや、そんなバカな。
 一緒にいても、スカイ・ペガサスではない『マッハ』について知っていることはそう多くない。最初にトロンから聞いた遺跡の伝説くらいなものだ。「私の、主は……」と呟いた溜息が耳に残り、前世の出来事はもちろん、現世に転生した主 ── バリアン七皇のドルベについて聞くことも躊躇われた。
 一緒に過ごしていても、言葉を交わすことがなければこんなものなのだ。
 引き止めようとして言葉を飲み込んだWにちらりと視線を送り、精霊マッハが姿を消そうとした時だった。
「──────!?」
「な、何だ………!?」
 急に空気が変わって重く纏わりつき、息苦しささえ感じられるのがWにもわかった。
「マッハ! 大丈夫か!?」
 いつも無表情で床上10センチくらいに浮かんでいる精霊がまるで糸が切れたように床に膝をつき、踝まで届く長い金の髪がWの部屋の臙脂色の絨毯に流れていた。
「……これは、一体……」
 信じられない、という風にマッハが呟く。
「……トーマス」
 手甲で覆われた左手がすいと伸ばされたので反射的にそれを取り、温かい…なら大丈夫かと思った一瞬後に異変に気付いた。
「さっ……、触れる………!!?」
 子供の姿になって帰ってきた父親や、アストラルやバリアンやナンバーズのことを思えば常識外れの不思議現象には相当慣れているはずだったが、さすがにこれは予想外すぎた。
「なんだこれ!? 実体化してんのかよ!?」
「……紋章の力が、急に強くなったようだ………」
「実験室で何かあったのか……。マッハ、一緒に来てくれ!」
 ナンバーズの精霊がどういう位置付けの存在なのかまだよくわからない。だが例えば幽霊のような魂だけのものが物理的に肉体を得るのなら、それには相当のエネルギーが関わっているのではないかと、理系ではないWにも重大さがなんとなくわかる。
 急いで部屋から飛び出すと、後ろでマッハも立ち上がる気配がしたので付いてきてくれるのだと思っていたら。
「うぁ……っ……!?」
 呻き声と同時にガッッと鈍い音がした。
「!? どうし……た……」
 慌てて振り返ると、精霊の鎧の、翼を模した肩の部分が入口に引っかかっていた。
「…………………………」
「……………通れない……いや、こうすれば……」
 横向きになって、カニ歩きで部屋の外へ出てきた。
「……なんなんだよ……この絵面……っ!」
 実験室で何が!?という焦燥感が一気に崩壊し、Wは脱力して廊下にがっくりと膝をついた。
「驚いた……物理的に姿を現すと、こういうことになるのか……」
「あー、今まではドアも壁もすり抜けてたわけだ……」
「しかも重い」
「おいおい」
 まあ、相当肩が凝りそうではある。
 アークライト邸の廊下はそれほど狭くなく、この鎧姿でもカニ歩きではなく普通に歩けそうだったが、壁にかけられた絵や所々置いてある花瓶をなぎ倒しながら歩く姿が容易に想像できた。
「それ、脱げねえのか?」
「できる……と思う」
 マッハが肩の辺りに手をやり埃を払うような仕草をすると、カードに戻る時のように淡い光が全身を覆い、鎧だけが光の粒となって消えた。
「鎧だけ消せるのか……よかった」
 物理的に脱がれても置き場に困る。どこかの聖衣みたいにペガサスのフィギュアになって箱に収まってくれるなら話は別だが。
「……なんの話だ?」
「いや、なんでもねえ……。それより、その格好も悪くないな」
 鎧を外した姿はオレンジのラインの入ったシンプルな黒の詰襟で、鎧の下にも見えていたオレンジのスカーフを巻いている。やたらと長さのある金髪はまあいいとして、顔の半分を隠す前髪が目を引いた。
「ってか、すげえ着ぶくれするタイプだったか……」
「?」
 胸板と思っていたものは全部鎧だったらしい。Xと同じくらい……もしくはもう少し細身に見える。身長も相当高いように感じていたが、床に足を付けてみれば、Wより5センチほど高いくらいだった。兜を外したことで、今までよく見えなかった目が綺麗な碧色をしていることもわかった。
──── ……兄貴ばりの長髪美形ってとこか……
 なんとなく胸の内で溜息をつきながら、気を取り直して実験室へ向かうことにした。
 Wの後ろから付いてくるサクサクと絨毯を踏む足音が、少し覚束なげに聞こえる。
「………大丈夫か?」
 心配になって歩調を緩めて振り返ると、大丈夫だと微かに頷いた。
「自分の足で歩くのは、久し振りだ……」
「そうなのか」
「遊馬の手に渡ってからは、ずっとカードの中にいた……ここでは姿を現しても歩くことはなかったから」
 封印の遺跡でもずっと眠りに就いていて歩いたことはそれほどない。そして前世は人ではなく、ペガサスだった。
「人の姿で、二本の足で歩くということにあまり慣れていないのだ」
「そりゃ難儀だな。辛かったらカードに戻っても……戻れるんだよな?」
「ああ。カードの精霊であることに変わりはない。辛いわけではないから、このままで行ける」
「わかった。無理すんなよ」

 一緒に過ごすうちにほんの少しわかってきたことがある。
 無表情の下に押し殺した感情と意思。カードの精霊としてではなく、『マッハ』としての想い……現世でも変わらぬ主への追慕が少ない言葉の端に見え隠れする。それでも努めて今はただのカードの精霊で在ろうとしているらしい。ただのカード ── デュエリストに使役される道具で在ろうとしているらしい。
──── 無理、すんなよ………
 身に覚えがあるだけに、Wには敏感に感じ取れた。
 道具として在らねばならない使命感と、相反する自身の感情。
──── 普通のカードと違ってせっかく言葉と声を持ってるんだからさ……



 廊下の角をいくつか曲がって屋敷の最奥近く、地下への階段を降りると、瀟洒なエドワード朝様式の階上とはうって変わったメカニカルな扉が侵入者を阻む。扉の横の認証装置に手のひらを当てると、シュッ…と微かな音を立てて扉が開いた。
「クリス……父さん? いるのか……?」
 大小のモニターが壁面を埋め尽くし、操作パネルや測定装置の光が踊る実験室を恐る恐る覗き込むと、紋章を映し出したホログラムモニターの前で二人が振り返った。
「トーマス! それに……マッハ?」
「おい、一体何があったんだよ? マッハが急に実体化するし、屋敷の空気も変だぞ!?」
 トロンとXは互いに顔を見合わせる。
「実体化……ってことは」
「成功ですね、父様!」
 子供の姿の父と、それに合わせて身をかがめた兄がぱちん、とハイタッチをした。
「カオスの力を圧縮して濃度を高めてみたんだ。さらにそれを増幅する装置を開発して作動させ(以下略」
「濃度が……それでか」
 専門的で長ったらしくなりそうなXの説明を遮って今の自分たちに必要な情報だけをいただいた。
「本当だ……触れるね。鎧姿も良かったけど、これはこれで綺麗だねえ」
「あの格好で物理的に活動するには支障がありすぎたので」
 マッハの側に来たトロンがその手を取った。
「異世界人に近い構造を持つカードの精霊が実体化されたということは、これを応用すれば、あるいは……」
「あのスフィア・フィールド的な結界も(以下略」
「それはともかく! こいつ大丈夫なのか? 俺たちにもなんか影響あったりしねえの? なんか空気重いんだけど」
「この程度なら人体に影響はないはずだよ。精霊も実体化するだけで……たぶん」
「たぶんって!?」
 大人しく手を握られていたマッハがトロンに合わせて跪いた。
「私なら大丈夫だ。物理的に現れただけで、カードの効果も、ナンバーズとしての使命も変わらない」
「ああ……マッハ! いいね……とても高貴だよ、うん」
 精霊の恭しく優雅な物腰がトロンはいたく気に入ったようだ。
「実にアークライト家に相応しい。……そうだ! ねえクリス」
「何でしょう?」
「あのね……」
 マッハの手を解放して代わりにXを手招きし、なにやら耳打ちをしている。……あまりいい予感がしない。
「おい、何企んで……」
「人聞きの悪いこと言わないでよ、せっかく実験成功して嬉しいところなのに。僕たちは作業に戻るから、また後で。お茶の時間になったら上がるから、明るいところでもっとよく見せてね」
 手を伸ばして、膝をついたままだったマッハの頭を優しく撫でた。愛おしげなその手付きからして、相当気に入ったらしい。
「わかったよ、行くぞマッハ! ここにいたら何されるかわかんねーぞ、下手すりゃ実験体だ」
 何故かどうしようもなくイラッときて、腕を取ってマッハを立たせ、引きずるように実験室を出た。
「空気が重い件については調整しておくからね〜」
「あー、頼んだぜ!」
 引っ張られながらマッハが、急にどうしたんだと戸惑っている。なんでもねえよと答えながら、理由は痛いくらいに自覚していた。
 薄暗い地下から階上の廊下へ戻り、窓から差し込む昼下がりの柔らかな日差しの中で改めて実体化した精霊を見ると、なるほどトロンが気に入るわけだと納得できる。
 薄い色の金の髪が陽に透けて輝いている。深い森の奥に隠された泉の淵を覗き込むような透明な碧色の瞳も。白磁のような滑らかな肌と頬のラインの造形も完璧な美しさだ。鎧を脱いで初めて気付いたのかと問われれば、そうかもしれない。今まで正面からじっくり眺めたことなどなかった。後姿の長い髪が気になって触れてみたいと思ったことはあったけれど。トロンの手のひらを返したような気に入りっぷりだって、Wの手元に来てから家族の前で姿を現すことはほとんどなかったのだから無理もないだろう。
 でもそういえばトロンは初対面でも「高貴な魂を持っているね。気に入ったよ」と言っていたではないか。
 人の姿を取っているが、人ではない ─── カードの精霊というだけではない。人の言葉を話してはいるが、その魂はもしかすると今も人というよりペガサスに近いのかもしれない。外見だけではなくそんな曖昧な、人と人外の境界を漂うものの美しさをトロンは見いだし、気に入ったと賞したのだろう。

 マッハは ──── ナンバーズ44は自分の手持ちカードだ。今はもう『4』という特別な数字の引力だけではない。徐々に愛着も湧いていたし、これを託されたのは自分だという思いが強かった。要するに、『自分のもの』を取られてしまうようで不快感を覚えたのだ。
 兄のお下がりを回されたり、末っ子が甘やかされるのを目の当たりにしてきた次男という立場からか、幼い頃から人一倍独占欲が強いことは自覚している。円滑に生きるためにそれを抑えた方がいいことも。
──── あんなあからさまに不機嫌になっちまうなんて……
 トロンには見抜かれてしまっただろうか。
──── ま、それも仕方ねえか。父さんだし。
 3時になれば、この姿のマッハを交えてのアフタヌーンティーになることだろう。家族みんなに構われ倒すのが目に見えるようだが、そうなったとしても、こいつは……ナンバーズ44は自分のものだ。
「マッハ」
「トーマス……何か?」
 廊下に出たきり黙り込んでいたWをじっと待っていたマッハが顔を上げた。碧色の目が瞬きをし、僅かに首を傾げる。
 まだまだ動きは少ないが、W以外の人間と ─── 家族と関われば、もっと色んな表情が見られるかもしれない。
 それはそれで悪くない。
「3時までにはまだあるけど、今日の茶葉を選ぶんだ……手伝ってくれるか?」
「……私にできることであれば」
 Wが手を差し出せば、素直に自分のそれを重ねてくる。
 温かい ─── 触れられる ─── ならばお茶を飲むこともできるはずだ。
「今日の当番俺だからさ、とっておきの美味いやつ淹れてやるよ」
「……そうか、それは楽しみだな」

 お茶を飲むのも、食卓に着くのも初めてだから、と微かに笑った。





(続く)

 

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2014/01/06 ... 3ヶ月ぶりでした。アニメ本編は怒濤の鬱展開でワタシもうシニソウネー。まあそれはそれとして、ドアに肩パーツつっかえるマッハさんがずっと書きたかったので満足です。
Wくんの一人称から三人称に変えました。あとトロン様のことちゃんと「父さん」って呼ぶようになりました。そういやほんとはこの時点でアストラル消えてるしVちゃんは九十九家で楽しい合宿中のはずだけど気にしない方向で!

 

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