目覚めたのは私、そして

 

 

 意識を眠りの底から引き上げたのは、遠くから響く微かな足音だった。
 目を開けると、広々とした石造りの広間……所々風化した壁や床、広間の奥には玉座でも据えられていそうな階段の付いた高台が設えられている。
────ここは……そして自分は─── …?
 思考を働かせたその途端、一気にたくさんのものが記憶に浮かび上がってきた。
 いにしえの王国、空を翔け風を切る感覚……そして。

 コツン……と、また足音が響いた。近付いてきているのだ。
 倒れるように横たわっていた広間の中央で身を起こすと、自分が以前とはまるで違っていることを自覚した。自分はもうペガサスの姿をしていない……それどころか、この世の生き物ですらなくなってしまったのだ。
 物理法則も時間の概念も超えて、ただカードのルールと所持者の運命にこの身は委ねられる。
────ナンバーズ、44……?
 この世に二枚とない特別なカードそのものとして、そこに宿る精霊として、なすべきことは。

 コツ、と扉の前で足音が止まった。
  ここに来るということは、ナンバーズを手に入れようとする人間なのだろうか。そうであれば、デュエルを───知識も戦略も、既に魂に刷り込まれている ───だがそうでなければ、どうすればいいのだろう。扉を開けて広間に侵入し、近付いてくる男をただ見ていることしかできない。大柄な男は、すぐ傍まで来 て足を止めた。
「……君は……?」
 座り込んだままの自分に合わせて膝をついた男に手を差し出され、反射的に身が竦んだ。本能的な恐怖から逃げ出したかったが、翼も蹄も持たない身ではどうすることもできない。
────逃げる……闘う…?それとも……
「怖がらせるつもりはない。君は何者なんだ?」
 だが男の声音は穏やかで落ち着いていた。すぐに危害を加えられることはなさそうだ……
「…まもる、……カード…」
 答えようとして発したそれが、初めて話した人の言葉だった。
────人の言葉と、思考……私に…
「そうか、やはりここが封印のナンバーズの遺跡…」
 男の呟きに、再び身構える。やはりナンバーズを手に入れるためにここに来たのか。
「まもる……デュエル……!」
「ああ、違うんだ…!俺はナンバーズを取りに来たんじゃない。この遺跡が『そう』なのか、確かめに来ただけだ。闘うつもりはない」
「……………」
 それでも完全に警戒が解けずに睨みつけていると、男は人好きのする笑顔でニカッと笑った。
「俺は九十九一馬、探検家だ。君はナンバーズを守護する者……ガーディアン、か…」
 ナンバーズのガーディアン、そう言われてようやく自分の存在が腑に落ちた気がした。
────カードを護る、そして、伝える……
  少し警戒を解いて、改めて男を見上げると、力強い光を湛えながらも底の知れない目がこちらを見返している。ナンバーズの遺跡を探しているだけで、ナンバー ズを取りに来たのではないというのは、どういうことなのだろう。デュエルを知らないようには見えないが、探検家というのはそいういう種類の人間なのだろう か。
「はじめて……。ここに、ひとが、来た……。めざめた」
 まだ上手く思考を言葉に乗せられなくてもどかしい。
「そうか。ここへ来た人間は俺が初めてか……そして君はさっき、目覚めたばかり」
 肯定の意でこくりと頷く。
「なるほどな……」
 九十九一馬と名乗った男は、顎に手を当て考えるような仕草を見せた後立ち上がった。
「ガーディアン、俺と一緒に来てくれないか?君に見せたいものが…いや、訊きたいことがある」
「いっしょ…?…でも外、は…」
 遺跡に封印されたカードそのものである自分は遺跡の外には出られない。首を傾げながらどうにかそれを伝えると、九十九一馬は大丈夫だ、と笑った。
「外じゃない。この部屋へ来る途中で俺が見たものを、君に見て欲しいんだ。…もっともこの遺跡の主である君ならよく知っているものかもしれないが」
 そうと言われて考えてみると、この遺跡の構造が脳裏に浮かぶ。侵入者を選別する罠を備えた試練の道のり。これもデュエルのルールと同じく魂に刻まれたものであるらしい。それでも全容を把握することはできていなかった。
「……しらない。全部、ではない…」
「そうか。だったら行こう」
 差し出された手を取り、立ち上がろうとした。
「……あ…っ…!?」
 立つことはできた。が、その後はどうしようもない。四つの脚で立っていた時の感覚と、人の形をしたこの身体のバランスが違いすぎた。がっくりと膝から力が抜けて倒れ込みそうになり、九十九一馬に抱き留められた。
「おい、大丈夫か……!?」
「……っ…」
 縋り付きながら、なんとか二本の足で立ち上がった。
「…ご、めん、なさい……」
「ああ……」
 足の裏で石畳を踏みしめる。首筋に力を入れて背を伸ばす。前脚だったものは二本の腕に。深呼吸をして目を開けると、幅の広い肩が目の前にあった。力強い腕が支えてくれている。
「だいじょうぶ……立てる。つれていって」
 腕に縋りながらゆっくりと歩き出す。三歩、四歩と歩くうちに次第に力の入れ方がわかってくる。
────これが……ヒトの身体。
 天馬の蹄と翼と比べれば、なんとも覚束なく頼りない。だがこの姿なら、人とデュエルができる。言葉を交わす───意思を通じることもできるのだ。
「………これだ」
 自分の手を取り支えながら歩いてきた九十九一馬が足を止めた。
 狭い通路を抜けた一室、見渡すと壁一面に色鮮やかなレリーフと文字が描かれている。
「………『とおい、昔、とある国につかえる、ゆうかんな、騎士たち、が、いた』────」
「…読めるんだな」
 やはり、といった風に九十九一馬は頷く。
 短い線と点を組み合わせただけのそれを「文字」と認識できるだけではなく、それが意味を成していること、絵と共に物語を紡いでいることがわかった。
「……これ、は……なに……?」
 知っている。自分はこの物語を確かに知っている。なのにそう呟かずにはいられなかった。
「ガーディアン、もし、君にも名前があるなら……」
「……なまえ…?」
 唐突な九十九一馬の言葉で咄嗟に思い浮かんだのは、
「ナンバーズ44、スカイ・ペガサス………?」
 魂に刻まれたナンバリング……でも、それは違う。それだけではない。
 遠い記憶の向こうから声が聞こえる。彼の名を呼ぶ優しい声……
「……マッハ」
「それが君の名前?」
 記憶の中で名を呼ぶ声の正体を掴めないまま、こく、と頷く。

────きみが好きだよ。
────きみが傍にいてくれて良かった。
────ありがとう、私のペガサス……

「……泣いている、のか……?」
 九十九一馬が戸惑ったように目を見開いた。そう言われて初めて、頬を伝う温かい液体に気付いた。
 何故泣いているのかわからない……否定のつもりでふるふると首を振ると、大きな手で頭を撫でられた。
「この壁画に描かれているのは、大昔ここにあった王国と、英雄と呼ばれた騎士と、その愛馬の物語……。英雄の愛馬ペガサス、名は『マッハ』。ほら、ここに刻まれている……これは君のことなんだろう?」
「……そう……。そして、わたしの、主は……」
 遠のく意識の中、仲間の騎士たちの手にかかり力を失ってもたれかかってくる主の身体の重さを覚えている。
 主を背に乗せて翔けた空、差し伸べられる手、自分の名を呼ぶ優しい声。
 共に在った全ての瞬間が胸に迫る。
 全身全霊をかけて仕えるべき主を、なぜ一時といえど忘れていられたのだろう。

「……っ……」
 視界が歪む。涙が止まらなかった。
「……マッハ」
 いつの間にか壁の前に膝をついて座り込んでいた自分に合わせてしゃがみ込んだ九十九一馬にあやすように軽く背を叩かれた。
「英雄と共に天に召されたはずの君が、ナンバーズとしてカードに封じられたのか……」
「…っ…、どうして…あるじは、どこに……?」
「それは……、」
 言葉を濁す九十九一馬は、何か知っているのだろうか。
「おしえて。…わたしは、あの方のそばに……!」
 縋り付くように服の袖を掴みながら見上げると、九十九一馬は目を伏せながら首を振った。
「…いや、俺も多くを知っているわけじゃない。すまないが、今は何も話せない。ただ……」
「……ただ?」
「ナンバーズ44 スカイ・ペガサス……君の力を求めていつかここへやって来る者がいるだろう」
「…その人間を、試す。デュエルを、する」
「そうだ。そして君が人の手に渡る時、おそらく世界が動く……」
「…………」
 重々しい言葉にまた記憶の扉が開く。ナンバーズと化した魂に刻み込まれたプログラムが、相容れぬ二つの世界が近づきつつあるのだと感じていた。
「君を手にするのは君の主かも知れない。あるいは……」
「……、それでも…」
「君は、君が認めた者の手に渡る。そうだろう?」
「……はい……」
 カードは所有者の手にあって初めて真価を発揮する。それが誰であろうとも、カードを繰る者がいなければ存在する意味がない。ナンバーズの精霊としての使命と相反する主への思慕を抱えながら、カードを手にしようとする者を待たなければならないのだ。
「…わたしの、あるじは……」
 手を伸ばして目の前のレリーフに触れる。
 記憶の中の主とは似ても似つかない青い鎧を纏い、天馬に跨った姿で描かれていた。
「いつかここに、来て、ください……」

────貴方のために、私は今もこの世界に在るのです。



 用は済んだと遺跡を去ろうとする九十九一馬は、去り際に一枚のコインを投げてきた。まだ上手くバランスの取れない身体で腕を伸ばし、なんとかそれを受け止める。手を開くと、獅子の意匠が掘られたコインが鈍い金色を放った。
「……これは」
「『覇者のコイン』。俺がここへ来たことの証だ。もしもいつか、俺の───がここを訪れることがあったら……」
「え……?だれ、?」
 よく聞き取れなかった。誰かの名前のようにも思えたが……
「いや、何でもない。いつか君が認める人間がいたら、君のカードと一緒にそいつを渡してやってくれないか」
 奇妙な依頼だった。
 カードを求めるでもなくデュエルをするでもなく、訪れただけで一枚のコインを残して探検家は去ろうとしている。このコインが何なのか、九十九一馬と名乗る男が何を知っていて、何者なのか……尋ねても恐らく何も答えてはもらえないのだろう。
「……わかった、預かって、おく…」

 遺跡の入り口で森に消えていく男の後ろ姿を見送った後、ふと自分の姿をかえり見た。
 肩越しに見える薄い金色の髪は踝まで届くほどに長く、耳元でさらさらと音を立てた。
 遠い記憶の中、舞踏会とやらで主と踊っていた女性もこんな髪をしていたようが気がする。
「…………………」
 今の自分はペガサスではないし、こんな姿では主が来ても誰だかわかってもらえないかもしれない。
「…それは、こまる……」
 いっそ主を真似て鎧を纏ってみるのもいいかもしれない。
 かつて王国と友を護った主のように、今の自分にも護るべきものがある───その決意の証として。





 ナンバーズ44 白天馬スカイ・ペガサス……またの名をナンバーズの精霊「マッハ」。
 この世に二枚とない特別なカードとして魂を封じられた忠実なペガサスは、それからまた長い時を一人待ち続けることになるのだった。



(了)

 

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2013/08/24 Pixiv投下。
ほとんど書いちゃってからミザエル伝説回をちゃんと見たら、ジンロンさんが地上に留まっていた魂がナンバーズに触れてカードになったって言ってたから、時系列的にマッハさんがナンバーズになったのは本編冒頭のゆまアス衝突事故以降のことかもしれないです。まあそれはそれとして。

 

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