さく・さく・さく・さく・・・・

雪の上を、あの人が歩く。
真っ白な、見渡す限りまっさらの雪の上を。
一歩一歩を確かめるように。


ざく・ざく・ざく・ざく・・・・

あの人の後ろを、僕は歩く。
あの人のあとから、僕も足跡を付けていく。
振り返ると、まるで一緒に並んで歩いて来たように見える。



真っ白い雪の上に、月が蒼く影を落として。








『囁く冬の唄を』






「────それじゃ、ぼく、雪を見に行きたいんだけど」
ことの起こりは、昨日の夕刻。とにもかくにも忙しい、教主としての務めの合間に、ようやく丸一日の休みを取ることに成功した。そうとなれば当然やることは決まっている。僕は執務室から帰るその足で、神界の普賢さまのもとへと向かった。

そうして久しぶりのデートに誘うつもりで、どこか行きたい所はありませんかと訊ねたら、普賢さまがそう言いだした。
「雪・・・ですか」
僕の脳裏に浮かんだのは、ひらひらと舞い落ちる雪片、灰色の空、身に沁み込む冷気。想像しただけで────寒い。
「そう、雪。楊ゼン、連れて行ってくれるんでしょ?」
小首を傾げてにこっと微笑まれては、僕に断ることなどできるはずもない。
「もちろん、普賢さまがそうおっしゃるのなら、どこへだってお供しますよ」
「ありがとっ。それじゃ、明日の午前3時に迎えに来てね」
僕は今度こそあっけにとられた。そんな・・・真夜中に?もしかして、ものすごく寒いんじゃ・・・。
「どうしてもねー、見たいものがあって。その時間がいいんだ。ヨロシクね」
普賢さまは、にこにこと笑って話を打ち切ろうとしている。こういう時の普賢さまは、追求したって何も教えてはくれない。ま、寒かろうが夜中だろうがデートには変わりないんだし、と、僕はいそいそと約束を取り付けたのだった。



******************


「普賢さま・・・・寒くありませんか?」
玄関先に現れた普賢さまは、まったく普段通りの道服姿だった。僕の方は、いつもの服の上にしっかり六魂幡をまとっている(これが意外と暖かい)。
「うん、このままだともちろん風邪くらいじゃすまないよ。だから・・・・」
そう言って普賢さまは、おもむろに太極符印を取り出した。まさか・・・・・
「ほらほら、楊ゼンも早く、六魂幡なんて脱いじゃって!!」
促されるままに僕が宝貝を外すと、普賢さまの指が軽やかに太極符印を操作して・・・・
「あ!」
急に、身体全体がふわりと暖かい空気に包まれた。
「身体の表面10cm程に、18℃の空気の層を作ったんだ。これなら全然、普段着でも大丈夫でしょう?」
恐るべし、太極符印。万能とはまさにこういう物を言うのだろう。そこらのスーパー宝貝より、よっぽど役に立ちそうな気がする。
僕の反応を見て、普賢さまは得意そうに、嬉しそうに笑った。
「まったく・・・あなたにはかないませんね」

そうして、僕たちは哮天犬に乗り、ワープゾーンから地球へと向かった。



**************************



特に行く当てがあったわけではなく、とにかく雪が積もっていて寒くて、気温がマイナス30℃くらいの所だったらどこでもいいと普賢さまがおっしゃったので(・・・なんて条件なんだろう??)、僕は以前通りかかったことのある『孤竹の里』とその近くの小湖へ行くことにした。
殷や周の首都があるあたりより、かなりの北方だ。下に見える景色ももう、白一色しかない。
幸い雪は降っておらず、夜空にかかる雲も今夜は少ない。ぴしぴしと凍り付く音が聞こえてくるような星の瞬きが、雪の白さよりも寒さを感じさせる。

念のため、里から少し離れたところに哮天犬を着地させることにした。
「こんな季節と時間ですから、誰にも見つかる心配はないと思いますが・・・」
「孤竹の里、って言うんだ。楊ゼン、来たことがあるの?」
「ええ。まだ、封神計画が始まって間もない頃・・・太公望師叔のヤボ用で。あの時もちょうど、こんな真冬で、何もかもが雪に閉ざされていました・・・」



そう、あれはまだ、「周」が「西岐」と呼ばれていて、殷に正式に宣戦布告した頃。西岐の軍師を務める師叔、その片腕の僕は、地形の探索や殷の勢力を探りに、この辺境を訪れたのだ。
どこまでも白い、冬、野も山も人里も雪に閉ざされ、死んだように静まり返っている。
獣は長い眠りにつき、人さえも里にこもり、この季節には戦はしない。

それなのにこうして雪も寒さもものともせず暗躍し、戦の準備を進めている僕たち仙道はいったい何なのか。
冬にはこうして大人しくしている、せざるをえないのが生き物の摂理だというのに。

ふと、そんな考えにとらわれたことがある。



「・・・・ふぅん、永遠の寿命を持つ妖怪王子の君が、そんなことを思ったんだ」
「って、そりゃないでしょう普賢さま」
「ふふっ・・・・・でも、本当にそうだね。人が何千年もかけて歩いていくはずの歴史ををとうに飛び越えた技術を身につけて、自然の摂理から外された、ぼくたち仙道は、本当に・・・・」
普賢さまの声のトーンが、わずかに下がる。
そう、それは、仙道ならば誰でも一度はとらわれる思いかもしれない。



「・・・・たとえ自然の摂理から外れた存在であっても、ここに在るからには理由がある、そうは思いませんか・・・?」
「楊ゼンは、答えを見つけたの?」
身を寄せるようにして、普賢さまは僕を見上げてきた。

「端的に言えば、僕たち仙道は、『歴史の道標』を倒すために生まれてきたのではないかと・・・。歪められた時間を元に戻すために、『始まりの人』たちを種子に地球が生み出した、必然の存在」
「地球の自己治癒の過程で生み出された、抗体みたいなもの?」
「なるほど、そんなふうにも言えますね。・・・結局のところは、ただの自己弁護かもしれないですけど」

「そんなこと、ないよ」

哮天犬が下降を始め、、僕の服を握った普賢さまの手に力が込められた。
その瞳の思いがけず強い光に、僕は息を飲む。

「普賢さま・・・・・?」
「楊ゼン・・・・───ったね・・・・・・・・・・」
「え?」

ふいっと視線をそらしながら普賢さまがつぶやいたその言葉は全部聞き取れなくて、問い返そうとしたその瞬間、哮天犬が雪原に着地した。それと同時に普賢さまは、するりと僕の腕を抜けて降りてしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
どうしたんだろう。何だか急に、沈み込んでしまったみたいだ。『仙道の存在理由』とかについて、何か思うところでもあったんだろうか。

「さっき言ってた湖って、どこ?」
「あ、ここからまっすぐ東に、もう少し歩いたところです」

そうして僕が哮天犬を袖にしまいこむ一瞬の間に、普賢さまはふらりと一人で歩き出してしまっていたのだった。













さく・さく・さく・さく・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・ざく・ざく・ざく・ざく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


何となく、声をかけてはいけないような気がして、僕は黙って普賢さまの足跡をたどるように後ろを歩いた。
一歩ごとに、雪がきしんだ音をたてる。
太極符印の効果は続いていて、視覚と聴覚から訴えてくる寒さも、現実のものとして身に染み込んでこない。
さっきの話のせいか、すごく中途半端な、頼りない感じがしてしまう・・・・。


と、前をゆく普賢さまの足音が止み、うつむきがちに歩いていた僕が顔を上げると、緩やかな坂の頂上で、普賢さまがこっちを振り返って僕を待っていた。
その表情は、いつも通りの穏やかなもので、なんとなしに引っかかるものを感じてはいたけれど、僕は少し安心して普賢さまに追いついた。

「湖・・・・凍ってるね・・・・・・」

眼下は浅く窪地になっていて、坂の頂上からは小さな湖が一望できる。
湖は白く凍り付き、まばらな木立も霜に凍てついて、月明かりに蒼白く輝いていた。

「そういえば普賢さま、『雪が見たい』とおっしゃってましたが、雪が『降っているところ』ではなくて、雪景色でよかったんですか?」
「うん。今日は、『天使の囁き』が聴けたらなぁって思ってたんだけど」
「『天使の囁き』・・・・・って、何ですか?」
「聴けるかどうかわからないから、今はないしょ。」
「・・・???」
ってことは、目的はまだ果たされていないということなのだろう。
『天使の囁き』が何のことなのか、たぶん訊いても教えてはくれないだろう。




「もうすぐ夜が明けますね」
どこで聞いたフレーズだったろう。『夜が明ける前が、闇が一番濃い』・・・・・・・・・・・
だが今は、傾きかけた半分の月が、辺りを仄かに照らし出している。今この世界を支配しているのは、闇ではなく、静寂。

と。

・・・ヴン・・・・・と微かな起動音とともに、普賢さまの手に太極符印が現れた。いったい何を・・・?と思う間もなく、
「ぅあ・・・・・・・っ!!」
驚きの声と同時に、普賢さまが身をすくませた。目を閉じて、何かをこらえるように。
・・・・・・・・・・まさか!!

「普賢さま!!まさか、太極符印のバリアを解いたんですか!!」
「う、うん・・・・・・・・・・」
普賢さまは、そろそろと目を開く。僕の方のバリアは、張られたままだ。
「普賢さま!!なん・・・・・・・・・・・・・」
「大丈夫!ちょっとだけだからっ!!」
何て無茶を・・・・と言おうとした僕の言葉は遮られてしまった。
わかっている。説得したって、一度言い出したら引かないのが普賢さまだ。
「ほんとに大丈夫だよ。道服なんだから、普通の人間がうーーーーーーーーーーーんと厚着してるくらいの効果はあるよ」
「僕だってわかってますよ、それくらい」
「怒らないでよ。ただちょっと、『本物』の寒さを味わってみたかっただけなんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

やっぱり、さっきの話が引っかかっているのだろうか。
僕はひとつ、ため息をついた。

「それじゃ、身体の芯まで冷えてしまう前に元通りにするなら・・・・」
「うん」
「僕のバリアも解いてください」
「えっ!?だって・・・・・寒いよ?」
「わかります、あなたの様子を見ていれば。でも普賢さまばかり、『本物』を味わうなんてずるいですよ」
言って僕は、普賢さまにウインクして見せた。
普賢さまは、一瞬あっけにとられてから・・・・笑いだした。
「ホントにもう、君ってひとは・・・・・・」
「それはこっちのセリフですよ」
「それじゃ、いい?覚悟してね。3・2・1・・・・・」




「────────────!!」

寒い。というより痛い。冷気が見えない針となって身を刺した。
「こ、これはすごいですね・・・・・・」
一瞬にしてこわばった身体を動かそうとすると、ぎこちない変な動きになってしまう。僕は深呼吸をしようとして・・・・・やめた。なんだか体の中まで凍り付いてしまいそうな気がする。

「やっぱり・・・・やめる?」
「いいえ!大丈夫です!!それより、普賢さまの方が薄着じゃないですか。・・・・これを」
僕は普賢さまの肩に、僕がいつも纏っている肩布を羽織らせた。
これだって仙人界のものだから、かなりの防寒効果はあるはずだ。それなのに。
「ダメだよ!それじゃ楊ゼンが寒いでしょ!」
あっさり脱いで、僕の肩に戻そうとする。
「普賢さまこそ、そんなに肩を出してるんですから」
「これだって、見かけほど寒くないんだよ」

やっぱり、譲り合いになってしまった。なんとなく、こうなる気はしていたんだけれど。

「それじゃ、こうしましょうか」

僕は自分で肩布を羽織り、余った両端でくるむように、普賢さまを抱きしめた。
「・・・・・・・・・お約束ですけど、これで二人とも暖かいですよ」
「役得、とか思ってるんでしょう」
軽く睨むような上目遣いで、普賢さまが見上げてきた。
「もちろん、これくらいの特権は欲しいです」

せっかくのデートなんですから、と、普賢さまの耳元に囁くと、見る間に真っ赤になった顔を見られまいとしてか、僕の胸にぎゅうっと抱きついてきた。僕がちょっと狙ったセリフを口にすると、いつもこうだ。なんだか弱みを握られたみたいで恥ずかしいのだと、以前言われたことがある。そんなプライドはとても可愛らしいのだけど、弱みを握るだなんて、人聞きの悪い・・・。僕は普賢さまの新しい面を知るような気がして、嬉しいとさえ思うのに。


「そうだ!!」
唐突に普賢さまは、がばっと顔を上げた。もう何事もなかったような顔色。相変わらず、鉄壁のポーカーフェイス。
「ほら、もう夜が明けるよ!」
言いながら普賢さまは、僕の腕の中で身体の向きを変えた。自然と、僕が後ろから抱え込むような格好になる。その手にまた太極符印が現れた。
「現在の気温・・・・・マイナス28.6℃・・・・湿度・・・・風力・・・・」
「ま、マイナスで・・・そんなに寒いんですか・・・!?」
「うん。陽が昇るまで、もっと下がるよ。晴れた風のない夜に起こる、・・・・・・『放射冷却現象』って言うの」





やがて深い藍色の空が、少しずつ色を薄れさせ始めた。
それは見る間に色を変え、青紫から薔薇色、薄いオレンジ色へと夜を開いていく。
明け方の空────────その荘厳さは、暮れてゆく空ととてもよく似ているけれど、夕暮れにないのは、新しく始まる一日を察した、大気のさざめき。目覚めゆくものの生命力。


やがて薄い水色に落ち着いた空に、白く太陽が輝きだすと、対のように月は輝きを失い、頼りなげに空に溶けていった。

「普賢さま、そろそろ冷えてきました」
「うん、そうだね・・・・・」
「仕方ないですけど『天使の囁き』はあきらめて、今日はもう────」



「────────!?」
「あ・・・・・・・・・・・・・・・・!!」


眼の奥からわきだすノイズのように、それは現れた。
小さな光のかけらが、しだいに数を増やしながら、ちらちらと舞い踊る。
辺りは相変わらずの静寂。
世界から消えた音が、寒さに凍り付いて光っているみたいで────


「ああ、これを、『天使の囁き』と言うのですね・・・・・・・・・」
「『ダイアモンドダスト』・・・・空気中の水蒸気が凍り付いて、こんな風に見える・・・・・・・・・」
「ダイアモンドダスト!!聞いたことはありますが、初めて見ました・・・・。こんなに、綺麗なんですね・・・・・・・・・。『天使の囁き』と言うのも、わかります・・・」
「よ〜く、耳を澄ませないと聴こえないんだって。それに、すごく運が良くないと」
「普賢さまは、これを見たかったのですね」
「うん。ただ見るだけなら、太極符印を使って人工的に作り出すこともできたんだ。でも、これもやっぱり、『本物』が見たかったんだ・・・・・・・・・・・・・・・・楊ゼンと、一緒に。」
「・・・普賢さま・・・・」

僕は愛しい人を抱いた腕に、そっと力をこめた。

「僕も嬉しいです。この瞬間に、あなたと一緒にいられることが・・・・・」

















────こんな風に、綺麗な思い出をいっぱい作ったら、今まであった色んな辛いこと、忘れていけるかな・・・・・って

それは後日。ふと漏らされた、普賢さまの言葉。
初めて気づいたような気がした。
どうして僕は今まで、普賢さまを強いひとだと思っていたのだろう。
僕だけでなく普賢さまも、目に見えないたくさんの傷を負ってきたのだ・・・・・・・・・。

────忘れることなんてできません。・・・・・・・・・でも、辛かったことが生み出した欠落は、ひとつずつの幸せなことで埋めていけると、思います・・・・・。

それが僕のたどり着いた答えだった。
神界で普賢さまに再会して、普賢さまから受け取ったもの。


「楊ゼン、強くなったね・・・・・・・・・」
「あ、その言葉、もしかして前にも言いませんでした?あの時はよく聞き取れなかったんですけど・・・」
「ん。」

ソファに並んで腰掛けていた普賢さまは、僕にもたれかかってきた。

「それじゃ、ぼくは、もう少し弱くなってもいいかな・・・・?」

「・・・・・はい。もうじきしたら、今度は桜を見に行きましょう・・・・・」
















でも、それは後日のこと。

僕はただ、腕の中のぬくもりを大切に抱きしめながら、光の囁く冬の唄を聴いていた────────。




 

 

 




《END》 ...2002.02.11

 

 

 

 

 

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