「陽だまりの唄 風の声」




「ああ、いい天気だなぁ・・・」
楊ゼンが執務の合間に窓の外を見ると、冗談はよせと言いたくなるほどいい天気だった。
蓬莱島の大気は、地球のそれと変わることなく天気を変え、季節を変えてゆく。今は『春』。淡い水色の空をやわらかな風が渡り、花の香が知らず心を浮き立たせる。一年のうちで一番、楊ゼンの好きな季節だった。
ふと、ここ数週間まともに休みを取っていないことに気付いて、楊ゼンはこっそりつぶやいた。

「こんなにいい季節でいい天気で、しかも今は誰もいない・・・。これはたぶん、
『チャンス』って言うんだろうな・・・・」

十数分後、教主様の執務室を訪れる張奎は、巨大四不象人形が六魂幡をまとって机に向かっているのを発見して仰天することになる・・・・・






「はぁ〜〜、気持ちいい・・・・」
行き先も決めないまま哮天犬に乗って空を漂っていると、まさに『降り注ぐ』と言うにふさわしい春の日差しが肌に心地良い。
「これからどうしよう・・・このまま誰もいないような所で昼寝でもしてみたい気分だけど・・・」
だが哮天犬は、迷っている主人の思考の中から、確実に希望を読みとっていたらしい。何も命令していないはずなのに、いつの間にかワープゾーンにふわふわと近づいてきていた。
「・・・・まさか、ここに入るつもりなのかい?」
「わんデシ!!」
哮天犬は、当然!と言うみたいに元気よく答えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いちおう宝貝である哮天犬の意志は、主人の楊ゼンの意志に他ならない。
「・・・ま、いいか。行ってみたところで案内してくれる人はいないし、会えるとは限らないんだから・・・」
楊ゼンは、今度こそはっきりと哮天犬に行く先を告げた。
「────神界へ。」






ワープゾーン────歪曲空間に浮かぶせいなのか、神界は外から見るとあまり大きくないように見える。だが戦いであれだけの魂魄が飛び、その皆がここで暮らしているのだ。その規模は、推して知るべし。 
ここへは、全てが終わって、始まった時のごたごたの最中に一度訪れたきりだった。神界の機能と、仙界との連携について打ち合わせをしただけで、再会した者たちとゆっくり語り合う暇もなく、あとは多忙に流されるまま、今は「神」となった懐かしい人たちを顧みる余裕さえない毎日だった。
・・・・・・いや、「会いたい」と思うことは何度もあった。けれど、「封神」という形で別れ、ずっと会えずにいたせいか、気恥ずかしさばかりが先に立って、何となく会いに来るきっかけがつかめずにいたのだ。

「・・・・・・別に今日だって、誰かに『会いに来た』ってわけじゃないんだから」

誰に向かって言い訳をしているのか。まあ確かに神界は広く、案内無しに目的の場所に容易くたどり着けるようなものではない。とりあえず、と楊ゼンは、眼下に広がる草原に哮天犬を向かわせた。
降りたところは小高い丘になっていて、何もない草原と、その向こうの山々が一望できる景色の良い所だった。

「あんまり蓬莱島と変わらないみたいだ。こんなのを作った燃燈様は、やっぱり格が違うんだなぁ・・・」

遮るものの何もない丘に、蓬莱島と同じ春の日差しが降り注ぐ。哮天犬にもたれかかってぼんやりと景色を眺めていると、丘のふもとに人影が現れた。
散歩でもしているみたいにのんびりと丘を登ってこちらにやってくるそのひとは・・・・・・
「・・・ま、まさか、普賢さま・・・・?」
楊ゼンは、思わず目を疑った。
こんな都合のいいことってあるんだろうか。
心のどこかで期待はしていた。
だが、そんな夢みたいなこと、とあきらめていたのだ。



「やっぱり、楊ゼンだ。久しぶりだね」

丘を登りきった普賢は、にこにこと話しかけてきた。
少し上がった息を整え、楊ゼンの隣に座り込む。・・・・・夢ではない。

「普賢さま、どうして僕がここにいることがわかったんです?」
「あのねぇ、この丘と、ふもとの草原と、あの一番手前の山、ぼくの家の庭なんだ」
「え」
「っていうのはウソだけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

くすっと笑って、普賢は仔猫みたいに楊ゼンの腕にすり寄ってきた。
触れた箇所から広がるぬくもりと、心地よい重さ。
撫でる髪のふわふわとした柔らかさも、何もかもが以前のままで。

「こんなことならもっと早くに来ればよかった。・・・普賢さま・・・ずっと、お会いしたかったです・・・。」
「・・・ぼくも。会いに来てくれて、ホントに嬉しい。」

降り注ぐ春の日差し。空気がさらに優しく、柔らかくなってゆく。









「それでね、太極符印を神界の結界とリンクさせてあるんだ。誰かが外から入ってきたらすぐにわかるように」
「神界の結界と・・・?そんなことして大丈夫なんですか」
「もちろん、全然余裕だよ。封神台はとにかくヒマだったから、色々カスタマイズしてたんだ。そしたら何だか結構レベルアップしたみたいで、ほら、ジョカのビームだってはね返しちゃったし」
「それってもしかして、最強って言いません・・・・?」
「『最強』かぁ〜、いい響きだね」

どんな顔をして会いに行ったらいいのだろう、どんなことを話せばいいのだろう。そんなふうに逡巡していたのが馬鹿らしくなるほどに、昔とちっとも変わることなく言葉を交わす。ふと言葉が途切れると、風が草を揺らす音が静かな空気に溶けていくようで、沈黙さえもが心地良い。

「・・・・太公望師叔、帰ってきませんね・・・・」

髪を流す風を感じながら、ふと口をついて出た名前。
まるでもう何年も会っていないかのように、ひどく懐かしく耳に響いた。

「う〜ん、仕方ないね。望ちゃんは、風みたいに気まぐれなひとだから」

風のように、現れてはすぐまたどこかへ消えてしまう。
その強烈な存在感とは裏腹に、何とつかみどころのなく儚いことか。
太公望のことを思うと、楊ゼンはいつも少し哀しい気分になる。
生きているのに会いに来てくれないことが哀しいのではなく、その風のような儚さに胸を衝かれて哀しくなるのだ。
そして、儚いと言えば、今楊ゼンの隣にいるこの人だって・・・・。

「普賢さま、あなたはもう、どこへも行ったりしませんよね・・・。師叔も師匠も父上も、一度はあなたも、みんな僕の前からいなくなった・・・・。今こうしていても、いつまたあなたが消えていなくなってしまうか、不安でならないんです」

今は手を伸ばせば、こうして触れることもできるのに。
でもそれは、この神界の中だけでのこと。
結界の外へ出れば、このひとだって、風と同じに空気に溶けてしまうのだ。
叫んで追いかけて、届かずに一人取り残される夢を何度見たことか。

「君はあんまりたくさんのものを失くしてきたんだね・・・。今更ぼくがこんなこと言っても仕方ないかもしれないけど・・・・ごめんね。ぼくはもう、どこへも行ったりはしないから・・・」

頬に触れる楊ゼンの手を、小さな手で包みながらそう言った普賢の微笑みは泣きたくなるほど綺麗で、たくさんの別れのせいで、心に根を張っていた不安や傷や痛みが、全て溶かされていくのを楊ゼンは感じていた。
肉体を持たぬ『魂魄体』ではあるけれど、日差しのせいだけではないこの温かさ、心に沁み込んでくる優しさまでもが幻なんかであるはずがない。
思い出の中の淡い光のようだったこの愛しい人が、確かに『ここにいる』という存在感を、今やっと楊ゼンは感じ取ることができたのだった。




「ありがとう普賢さま、僕はもう大丈夫です。ここに来ればいつだってあなたに会えるんですから。」
「うん。ぼくはいつも、ここにいるから。どこへも行かない。信じていいよ」
「信じる・・・・か。そうですね。一番大切なこと、ずっと忘れていたような気がします」

晴れやかに笑って、哮天犬に乗って空に消えていくその姿を、丘の上の普賢は愛おしそうに見送っていた。
と、辺りの空気が急にざわめいて。

「あれ、望ちゃん、来てたんだ。」
「約束を言葉にしないと安心できぬとは、楊ゼンのやつ、まだまだ未熟者だのぅ〜」
「いいんだよ、そういうところが可愛いんだから」
「か・可愛い・・・?おぬしの感覚もよくわからんな・・・」
「そ・れ・よ・り・・・、もしかしてずっと見てたの?望ちゃんこそ、ちょっと悪趣味なんじゃない?」
「いやその、ちょっと、通りかかっただけで・・・。わ、わしもそろそろ行かねば!ではな!!」

ざあっと吹き抜ける風とともに、太公望もあっという間に姿を消した。
「ホントにもう、勝手なんだから・・・」
丘の上の風の中、また一人になった普賢は、おもむろに太極符印を取り出した。
「う〜ん、やっぱり望ちゃんは感知できないみたいだ。パーソナルデータがもう少し必要なのかなぁ・・・」

────また、来ますね。

ちょっと照れながらそう言った楊ゼンの言葉が耳によみがえる。
「ぼくは君になんにもしてあげられないのに、ここにいるだけでいいって、
そう言ってくれるんだね。・・・・ぼくのほうこそ、ありがとう・・・・」

風が吹く。蓬莱島に吹くのと同じ風。
なんとなく、自分の言葉を運んでいってくれそうな気がして、普賢はいつまでも空を見上げているのだった。






《END》 ...2001.01.02




 




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