「HERE IN MY HEART〜心だけそばにいる」




崑崙を降りた殷の王太子の裏切り────いや、それは「裏切り」と呼べる種類のものではなかったかも知れない。
ともかくも切羽詰まった状況の中、それを二人の師匠と原始天尊に報告し。

ふと気がゆるんだ瞬間、不意にこみあげてきた感情。

────会いたい、今すぐに。

今この崑崙山にいて同じ空気を吸い、同じ抜けるような青空の下にいるであろう彼の人に。

ふとそう考えて太公望は、自分がいつになく弱気になっていることに気付き、苦笑する。

────わしとした事が・・・・。

王太子としての殷郊のあの行動は、誰が見ても「必然」だろう。それは、彼が自分で選んだ道。
それを言うならばこの殷と周の戦争も、自分が軍師になったことも、これから彼と戦わねばならないこともまた「必然」のはずだ。


「必然」=「天数」、逆らうべきではない大きな流れ。
自分は間違ったことはしていないはず。
なのに感じるこの違和感、この不安は何なのだろう────。

────会いたい。会って話を聞いてほしい。

周軍の運命を一手に預かる軍師という立場上、たとえハッタリであっても、強気な態度を崩すことはできない。人の上に立つ者として自分が背負っているものの非常な重さに、自分でも気付かないフリをしているだけなのだ・・・。

そんなことは他の誰にも話せない。ただ一人、普賢を除いては。
自分の強さも弱さも負の面も、普賢は全てを知っている。
だからこそ、何を話しても決して揺らぐことなく、全てを受け止めてくれる。

────会いたい・・・・。だが・・今は一刻一秒を争う急時。今すぐにでも発たなければ、両軍の戦闘に間に合わなくなってしまう・・・


「ゆくぞスープー!!すぐに地上へ戻るのだ!」
「ラジャーっス!」

太公望を背中に乗せた四不象は、勢いよく空へ舞い上がった。
玉虚宮が見る間に背後へ遠ざかってゆく。
後ろ髪を引かれるような思いで、それでもなんとか気を取り直して前方へ向き直ると、不意に四不象がふわりと速度を落とした。

「・・・?どうしたスープー?」
「御主人・・・・普賢真人さんのトコに寄って行かなくていいんスか・・?」
ゆるゆると飛びながら、心配そうに訊いてくる。
「普賢の所に・・・?何故、そう思うのだ?」
「だって御主人、なんだか元気がないっスよ」
「・・・元気がないと、普賢なのか?」
「そりゃ〜そうっス!!普賢さんの家から帰るときの御主人は、いっつも普賢さんから元気を分けてもらってきてる、そんな気がするっス〜」
「はは・・・やはりおぬしには隠せぬか」
太公望は、苦笑する。毎回、普賢の洞府へ遊びに行く度に送り迎えをしてもらっていては、隠すも何もあったものではない。

────元気を分けてくれる、か・・・・

いま普賢に会いに行ったとして、この胸の内の不安や何かを話したとして、普賢はどんな反応を返してくれるだろう。
包み込むように穏やかに微笑って励ましてくれるだろうか。
心配そうに表情を曇らせて同調してくれるだろうか。
どちらにしても、どちらでもないとしても・・・・。

────わしはそれで、元気になれるのだな。

そういう人が、自分の親友で在ってくれる。
それはとても、有り難いこと。
今は会いに行けなくても、その存在だけで十分だ────・・・。

「とりあえず、今はとにかく急がねばならん。その気持ちだけ、受け取っておこう」
「ふふ〜ん、御主人・・・・」
「な、何だ?」
「やっぱり普賢さんて、御主人にとって特別な人なんスね〜。思い出しただけで、元気になるなんて〜〜」
「な・・・っ、いつわしが元気になった!?こっぱずかしいこと言っとらんで、おぬしはさっさと飛べばよいのだ〜〜!!!」
「ギャ────!!わかったっス!!わかったから、髪を引っ張らないでほしいっス────!」

崑崙の空は今日も高く澄んで、彼の人に似た優しい風が二人を包み込んでいた────。






《END》 ...2000.12.12




 







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