傷跡




「んっ……」
傍らのルシフェルが脇腹に残る古い傷跡に触れてきて、リゼルは思わず声をあげた。少し冷たい指先は離れることなく傷を辿り続ける。行為の後の心地良い疲労感を漂っていたリゼルは目を開け、そんな所を触るなと抗議しようとした。
「………………」
ルシフェルは神妙な面持ちで見下ろしている。物思わしげな視線は、彼が思索の淵に沈んでいる徴しだった。
「……またなの?それだったら、このあいだ話したじゃないか」
「ああ……。これは、子供の頃、練習中だった魔法が暴発してできた傷だ、と…」
それは過日の情事の折に、これは何だと訊いてきたルシフェルに話して聞かせた傷跡の由来だった。膝の傷も、手のひらの引き攣れたような跡にも、それぞれ由来や思い出がある。十数年も生きていれば、ましてやガイアマスター候補生として戦いの中に身を置いていれば、傷ができるのも跡が増えるのも当然の話だ。人間は重い怪我を負うと身体に傷跡が残ることもあるのだと言うと、「そうか……そうだな…」と納得したような曖昧な返事を噛み締めていた。
陰の月に縛られ、人間と戦っては封じられることばかりを繰り返してきたルシフェルにとっては、地上の物事も、殺し合うためではなく人間と接することも、何もかもが初めてだったのだ。創造主は魔王に最初からあらゆる知識を与えていたようだが、知っていることとそれを経験することではそれこそ天と地程の距離があるものなのだろう。

「…私と戦った時の傷は、残っていないのか……?」
「ああ…そういえば結構食らったけど、もう残ってないかな」
天使達の言葉に半ば流されるようにして辿り着いた陰の月での決戦の折には、後方支援と魔法担当のリゼルも相当の傷を負ったものだったが、その時の跡は見た限りでは残ってはいない。
「昔と違ってあんまり大怪我することもないし、回復魔法も自分で使えるから、すぐに癒せば跡になることもないんだ」
「……そうか……」
声のトーンを僅か落としたルシフェルは傷跡から手を放し、代わりにそこに口付けを落とした。
「……っ……」
「お前に傷が残っていれば、私が消えてもこの世界に存在していた証になるかと思ったのだがな……」
自嘲とも聞こえるような口調でルシフェルは呟いた。
「………………」
いつもそうだ。このひとは、遍在者に勝利して、望みが叶えられること────この世界から消えていなくなることを前提に話をする。
…でも……今のこれは……と、リゼルは胸の内で昏く嗤う。
ただ消えるのではない。何かを残したいと、そう思ったのか。それなら密かな努力の甲斐があったというもの。
絆されてしまえばいい。もっと。この世界に。この僕に。

寝台を共にして、抱かれるたびに刻み込まれる、傷跡にも似た消えない何か。

……だったら僕もあんたに残してあげる。
身体に傷を付けることはできなくても、その心に、少しずつ────深いところまで。
いつか本当に消える瞬間が来た時に、迷いを感じる程に、忘れられない存在として、僕のことを。


でも、それは、今は言わないでおくことにするよ。
いつかもっと、一番効果的なタイミングで。





『消えるなんて言うな』
『ここにいて』
『この世界に────僕の傍に。』






《END》 ...2009/03/127




 


ルシフェル様に「消えるとか言うな!」って言ってやる話は一回は書かないと、と思ってたけど
なんでかこんなになった。

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