めまいにも似た「あの感覚」がクローナを襲った。
身体が浮いているみたいで、沈んでいるみたいで。
今、きっと自分は倒れてる。
そう思って目を開けると、何事もなかったかのように二本の足で床の上に立っている。
振り返ると、粗末ではあるが表面には塵一つない机の上に、人形をあしらったオルゴールがぽつんと置かれていた。窓から差し込む穏やかな日差しは袋小路の街と同じに見えて、自分がまだあの世界にいるのではないかと思わせる。
でも、違う。ここは違う。
どこにいても微かに聞こえる波の音。
そして、微かだけれど、いたるところに「気配」。
やっぱり────戻ってきたんだ。
クローナは、ちいさなちいさなため息を、ひとつついた。
ドアを開けると、海風がクローナの髪とスカートを揺らした。
この島に風がとぎれることはない。
周りを海に囲まれたこの島に吹く風は、でも、どこか変なのだ。
海風なら、もっとべたべたした湿気と、潮の香りを運んでくるものじゃない?
強く、弱く、その意志を運んでくるものじゃない?
その海風は、あまりにも「匂い」に乏しかった。
ううん、風だけじゃない。
海も、島の植物たちも、穏やかな日差しも。
みな「存在感」を欠いていた。
生きるものの意志を、語りかける無言の声を、何も感じられない。
なにもかもが、つくりものみたい。
それではどういうのが「本物」なのか。
例えば本物の海風がどういうものなのか。
この島に違和感を感じる以上、クローナは本物を知っているはずなのだ。
だけど、どうして自分がそれを知っているのかが、クローナにはわからなかった。
どこか本物の海辺で、潮風に吹かれたことがある、そのはずなのに……………。
知っているのは、
自分の名前「クローナ」。
自分はかつてここではないどこかにいた。
そして、誰かの放った不思議な魔法。
それだけ。
わたしは誰で、ここはどこ……っていうより、何?
幾度となく繰り返した問いだった。
だが、答えてくれるものがクローナの他に誰もいないこの島にいるはずもなく、彼女はまた歩き出すしかないのだった。
海に沿って少し歩くと、白い石畳の小道に行き当たる。左手にのびるその道の両脇には白い石柱が立ち並び、見る者をその先の神殿へと導いてゆく。典型的な「神の住まい」の光景だったが、視線の隅に何か違和感がある……。
その正体は小道の手前にぽつんと置かれた女神像だった。やはり白い石で作られたその像は、この島で唯一「存在感」を放つものだった。
壮麗な神殿よりも、広がりを見せる空や海よりも。
神殿の最奥で目覚めたクローナに語りかけてきたのは、やはりこの女神像だったのだろうか。クローナを目覚めさせ、なすべきことを示してくれたあの声……。目の前の像のやわらかな表情は、あの優しい声にしっくりくる。
だとしたらなぜ、神殿の主であるはずの女神の像がこんな所で海風にさらされているのだろう?
……わからない。わからないことだらけ。
今はもう何も語りかけてこない女神像を横目に、クローナは神殿へと「帰って」いった。
一階の奥の台所でお茶を入れて、小さなトレイを手にクローナは二階へと上がっていった。
長い廊下の奥から二番目がクローナのお気に入りの部屋だった。
穏やかな日差しが大きな窓から差し込み(これはどの部屋でも同じだったけれど)、ベッドと小さなテーブルセットがしつらえてある。くつろぐのにはちょうどいい、気持ちの良い部屋だった。
セシルの焼いてくれたクルミ入りのクッキーをお茶うけに、マトーヤ特製ブレンドのカモミールティーの香りを胸に吸い込むと、やっと気分が落ち着いてきた。
「ふう………。」
ひとわたり部屋を見回す。窓の横に動いていない大きな置き時計があった。「扉探し」を始めてからずっと気になっていたもの。
「あの時計も、なんだかあやしいよね……」
いくら考えても答えのでない謎は後回しにして、他のことを考えていたかった。
次の扉のこと、今まで見てきた世界のこと。
「そうだ!」
クローナは、子供の世界で新しく手に入れたアークのことを思い出した。仮身にアークを宿した仲間はこの島ではフィギュアに戻ってしまうけれど、アークたちはここでも「生きて」いる。
クローナは、アークのビンを取り出した。
両手にすっぽり収まるくらいの小さなビンの中で、三つの光が浮遊している。
淡い桃色、黄色がかった白、蛍のような緑。
フタを開けると、三つともふわりとビンの外へ飛び出して、不思議な妖精の姿になった。
鉄仮面が印象的な力のアークは自慢の筋肉を盛り上げながらあたりを見回すと、今は出番ではない、とばかりにすぐにビンの中に戻ってしまった。
いかにも妖精という形容の似合う可憐な少女の姿をした光のアークは、優雅におじぎをして見せてから、くるりと宙返りをしてひらひらとあたりを飛び回る。見た目に反して彼女は意外とおてんばで、剣に宿るのが大好きなのだ。
最後にゆっくりと姿を現したのが、先の世界で手に入れたばかりの知恵のアークだった。
知識の象徴である本の形に、しわだらけの老人の顔を持っている。動きこそ緩慢だが、フィギュアに宿らせると素晴らしい魔法の力を得ることができるのだ。
「憂えておるようじゃのぅ?」
テーブル越しにクローナの向かい側に降り立ち、しわだらけの口元をもごもごさせて、アークが話しかけてきた。
「ええ……そうね。次の扉のことよりも、フィギュア魔法の成功率よりも、深〜い問題だわ」
お茶を一口、クローナがそう言うと、知恵のアークは目を細めて笑ってみせた。
「お前さんが悩んでいること………わしらはその答えを知っているかもしれんし、知らないかもしれん。まぁ、お前さんが何に悩んでいるのか聞いておらんから、それは当然のことじゃな」
それは言外に「何も聞くな」と告げているように思えた。
「やっぱり、自分で探すしかないのね・・・・」
クローナがため息まじりにつぶやくと、「そういうことじゃ」と大きくうなずいて、知恵のアークはビンに戻っていった。光のアークも「がんばるの、ついてるから」とクローナの耳元でささやいて、あとに続いた。
クローナはまた、ひとりになった。
次の扉のありかと同様、自分が何者なのか、この島はいったい何なのか、数々の謎の答えも探せばきっと見つかるだろう。奇妙に確信があった。
なぜって、「そういうことになっている」から……そんな気がするわ。
……女神様の「箱庭」……脳裏に浮かんだその言葉は、あまりにも悪い冗談のようだった。
それでもクローナが前へ進んでいけるのは、「そういうことになっている」ものの他に何かがある、そんな気がするからだった。
今だってそうだ。
たとえ神像が奉られていなくとも、神殿のあちこちに女神様の気配、残り香みたいなものが感じられる。
だがそれだけではない。
最初は気のせいかと思った。今だって確証があるわけではない。
女神様以外の何者かの気配……。
時折こちらを伺うような、何か問いかけるような、そんな気配が微かにするのだ。
けれど確かめようとするたびに、尻尾さえ掴ませずにふっと消えてしまう。
悪意なのか、好奇心なのか、そんな意図を感じ取るいとますらない。
でも……ううん、だからこそ………?
このつくりもののような島の中で、自分は扉を、道を探し続けることができる。
いつか見(まみ)える、そんな予感がするから。
──────会いたい………逢いたい。
きみに/あなたに……………────
日差しの中でアークが踊る。
答えを教えてはくれないけれど、彼らは道を開いてくれる。
歩いていこう。扉を開けて、その先の道を……。
今はそれしかできないけれど。 でも 、、、 きっと────────。
《END》 ...2002.07.24
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