Tin Waltz |
───カーン……カーン……… 夕刻を告げる鐘の音が鳴り渡る。 街のシンボルとしてそびえ立つ壮麗な時計塔に背を向けて、ゆっくりと家路を辿っていった。 カン!カン!カン! ゆるやかな坂道の下に広がる、夕焼けに紅く染まる廃棄場からは、背後の鐘の音と対照的な忙しい金属音が聞こえてくる。まだ廃機械の解体に勤しんでいる働き者があそこにはいるのだ。 今日の仕事が残って───でも夕食の支度が───ああもう日が暮れる──── ざわめいて落ち着きのない人々の気配を、オレンジから藍色に染まる夕空が包み込んで段々と静めていく。陽が落ちて闇が濃くなった廃棄場に、ぽつりぽつりと明りが灯り始めた。 「ちゅ〜〜」 ちょろちょろと足元を走っていたネズミが走り疲れたのかダスクードの身体をよじ登り肩に乗った。 「ちゅ!」 「ん〜、別にいいよ。君なんて全然重くないし」 チューダーと呼ばれる、ネズミに似た小型のモンスターだ。いつから、何がきっかけで付いてくるようになったのか覚えていないが、懐いてくれているようなので好きなようにさせている。 「ちゅ、ちゅ〜〜?」 「ははは、全然わからん」 適当に合の手を入れながら抱えていた紙袋を持ち直す。中身はお気に入りのカフェのサンドイッチと明日の朝食のパン。今日はトマトを抜いてくれただろうか。ネズミには少しのパンとチーズをお裾分けして、廃棄場の片隅の住処でささやかな夕食を楽しむのだ。 急速に暗くなっていく空と対のように廃棄場には明りが増えていく。 家々の明りだけではなく、屑木を燃やし続ける大きな焚火や、夜通し炉を落とさない精錬所のお陰でここは月のない夜でも真っ暗闇になることがなく、『影』が大人しくしていてくれるのでそこそこ住みやすかった。 ────とはいえ……やっぱり、暗くなると、仕方がないよね…… オレンジ色の明りと夜闇のコントラストが強くなると、『影』の気配がし始める。 着込んだ服の下、ざわざわと皮膚を伝う『影』の感触。 ────ああ……まただ………… 意識すまいとすればするほど集中してしまう。その感触をやりすごすことしか考えられなくなる。それは痛くも痒くもないただの『感触』にすぎなかったが、何故か意識がそちらに向かう。じわじわと思考を奪われていく…… それでも身体は勝手に動いて、呼吸して歩いて、知り合いに会えばにこりと笑って挨拶もする。『影』を隠したまま、ほんの少し残ったまともな意識を振り分けて、やるべきことを淡々と遂行するだけ─── ────そんなの、この街にいくらでもある壊れかけの機械と変わらない。 それなのに、夜の闇の中どんなに不自由な身体を抱えていても、昼の光の下では普通の人間と変わらなく過ごせる。どちらが現実なのか───本当の姿なのか───曖昧なまま、解決する方法を探す気力さえ今はもう失くしていた。 『影』のざわめく誰彼の……彼誰の刻のたび、寄せては引く波のように訪れるその感触に気を取られているうちに色々なことを忘れてしまい、いつしか自分の性別さえも認識できなくなり────………… ────でも、もう……そんなこと、どうだっていいし……… 「ちゅ〜………ちゅ?」 「んっ………、なに……?」 肩に乗ったネズミの綿毛のような尻尾がふわりと首筋に触れ、不意に意識が引き戻された。 「ああ………ううん、大丈夫だよ?」 「ちゅ〜〜!」 「ふふ、なぁに? 家までもうちょっとだよ」 横目で見えるネズミの毛並みが街の明りを映して金色に光って見える。光属性のモンスターの中には電気を帯びて光を放つものもいるらしいが、チューダーはそういう種族ではなかった。 そのはずなのだけれど。 そして自分とネズミが同じ光属性なのはたまたまなのかもしれないけれど。 「ねえ、なんでだろ。君といると、なんとなく明りをひとつ灯して歩いてるみたい……」 『影』に囚われそうな心に、そして物理的にも────。そんな気がして、ほんの少し救われる。 「ちゅ? ちゅ〜〜!」 ネズミは所詮ネズミだから何を考えているのかわからない。ダスクードの言葉を聞いているのかいないのか、中途半端に伸びた髪を引っ張るようにじゃれついてきた。 このネズミといつどんな風に出会ったのか覚えていないのは少し残念だったけれど、今こうして側にいてくれるならそれでよかった。 夜と朝が入れ替わる薄明りの刻。 夕と夜が入れ替わる薄闇の刻。 昼と夜のどちらでもないぼんやりとした世界────人でも影でもない、よくわからない存在の自分には相応しいのかも知れない。 ────いつか僕に朝が訪れなくなったら。 ────こんな曖昧な狭間の時間を漂うだけのなにかになってしまうんだろうか。 ────いっそ全部手放してしまえたら……心も身体も差し出してしまえたら、どんなにか…… 「………でも───、 でもさ…………」 「ちゅ?」 「それでも僕はまだ───、人でいたいと思ってるみたい」 「ちゅ〜〜」 「ふふ………うん。家に帰ってご飯にしよう。『また明日』のためにさ」 小さな友達と一緒にゆっくりと家路を辿る。 そんなささやかな日常が明日も巡ってくることを願いながら。 (了)
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