プライマリィ・スプリング〜はじまりの春の〜後編
 

 

メグの家は、蒸気管理局の先の角を曲がって、4つ目の通りを右に入った所にある。新聞社や銀行の並ぶ大通りの人の流れの中で、ぼくはふと隣を歩いているヴァージルを見上げた。最近はもう慣れたけど……こんな人通りの多いところでヴァージルと一緒にいるとやっぱり不思議に思う。

ヴァージルときたら、妖精物語から抜け出てきたみたいな不思議な格好でマントをふわふわさせて歩いているし、ぼくが道ですれ違ったら絶対思わず振り返ってしまいそうなキレイな顔をしているのに、こうして街を歩いていても、誰もヴァージルのことを振り返ったり、気にしたりする人がいないんだ。アリエスに話したら、「そういえばそうよねぇ……」と首をかしげていた。もしかすると街の人たちにはヴァージルは、道ばたに咲いているタンポポとか、散歩中のネコみたいに何でもないものに見えるのかもしれない。ぼくはなんとなくそう思っているけど…それじゃどうしてぼくやアリエスは『普通』にヴァージルを『見る』ことができるんだろう? 不思議だなぁ。たまにヴァージルにそのことを聞いてみようかと思うんだけど、実際にヴァージルに会うと、そんなことは別に不思議でも何でもない気がしてくるんだ。……それも不思議だ。

「4つ目の……角……。ここ?」
考え事をしているうちに、いつの間にか住宅街まで来ていた。ぼくはクレスに書いてもらった地図を見る。
「うん。角に小さな公園があって、そこを右だって」
通りに入って少し行くと、前庭のある三軒長屋があって、その真ん中がメグの家だ。低い塀、その門柱に『ワイルダー』の表札がかかっている。
「……マーガレット・ワイルダー……、花の名前だね………」
「え? それってメグのファーストネーム?」
「うん。この子たちが、教えてくれた……」
そう言ってヴァージルは、気持ちよく手入れされた小さな庭を見渡した。まだ少し寒いけれど、春の花がところどころこぼれるように咲いている。
「……つたえて……」
「つたえて、メグに……」
「マーガレット、元気を出して……」
「…つたえて、おねがい………」
「メグに、つたえて……」
花たちのささやきが、さざ波のように響いてきた。鉢の中のスノードロップが、応えるようにゆらりと揺れた。
「行きましょう、エリック」
「うん。やっと、ここまで来たね」
スノードロップにうながされて、ぼくはドアをノックした。


「はい、どなたですか?」
女の人が、ドアを開けた。たぶんメグのお母さんだ。
「あのぅ、ぼく、メグの学校の友達のクレス……の友達です。メグのお見舞いに来たんですけど……」
「まぁ、クレスの……? よく来てくれたわね。メグもきっと喜ぶと思うわ」
うふふ、とメグのお母さんは笑って、ぼくたちを部屋の中へ入れてくれた。廊下の端のドアの前で、ちょっと待ってて、と言ってお母さんは中へ入っていった。たぶんここがメグの部屋だ。中で女の子の話し声が聞こえる……。
メグは会ってくれるかな。友達の友達って、ちょっと遠い関係だよね……。それに、たしかクレスとメグはケンカしてたんだっけ。「クレスの友達になんか、会いたくない」とか言われちゃったらどうしよう? う〜ん……もしそうなったとしても、ムリヤリ部屋に押し込んででもメグに会って、この子を渡さなきゃ。
そんなことまで考えて、スノードロップの鉢を持つ手に気合いを入れた時、ドアが開いてお母さんが出てきた。
「さ、どうぞ」
………よかった。
部屋に入ると、後ろでヴァージルがドアを閉めてくれた。窓際に置かれた椅子に女の子が腰掛けている。そばに松葉杖が立てかけてある。背中の真ん中くらいまでの髪の毛は今は結ばれていない。そのせいか、クレスに聞いたようなオテンバって感じはしない。ピンクのリボンを結んでもきっと似合うんじゃないかな。
「初めまして。ぼくはクレスの友達で、エリック」
「友達? でも………」
「知らないよね。学校での友達じゃないから。……あのさ、クレスから、この子をきみに渡して欲しいって頼まれたんだ」
ぼくは、スノードロップの鉢をメグに手渡した。心臓が、どきんと鳴る。依頼達成の瞬間だ。
「これを……クレスが? あっ、それに、このリボンはもしかしてあたしの?」
「あ、やっぱりそのリボン、きみのだったんだね。それと、もう一つ預かってる。これ、きみが落とした本だって」
メグは鉢植えを出窓に置いて、紙袋を受け取った。
「あ、ありがとう……。ねえ、クレスは何か言ってた? あたし、こんなことになっちゃったけど、本当はもう一度クレスに会いたいなって思ってたの……」
ぼくの心臓が、さっきとは少し違う感じでどきんと鳴った。何かが分かりかけたような気がした。メグを心配するクレスの気持ち、クレスに会いたいと思うメグの気持ち、そして……。
でも、分かりかけた何かのしっぽを追いかけるより先に、メグの真剣に問いかける目に追いつめられてしまった。
「ええっと……、どんな顔して会いに行ったらいいか分からないって言うから、ぼくが代わりに来たんだけど……心配、してるみたいだったよ」
クレスと話した時のことを、よ〜く思い出してみたけど、そう言われてみると特に伝言はない。こ………困ったなぁ。さっきの本に、手紙が挟んであったりするんだろうか?
ぼくが言葉に詰まっていると、それまで後ろでぼく達のやりとりを見ていたヴァージルがふわっと出てきて、椅子に座ったままのメグにあわせてしゃがんで、こう言った。
「……伝言は、この子が伝えてくれるよ……」
「え?」
「この……スノードロップが。キミなら分かるって、クレスは思ったんだよ……」
メグがぱっと、窓に置いた鉢を振り返った。
「スノードロップ………そう、なんだ……?」
その時スノードロップがゆらりと揺れたのは、開いている窓から入ってきた風のせいだったろうか。
「そう……私の足ね、リハビリすればちゃんと元通りになるってお医者様に言われたの。大丈夫、希望をなくしたりはしないわ。・・・ありがとう。クレスに伝えて。今度は私から会いに行くからって。それから、あなたたちにも、ほんとうにありがとう」
紙袋に入ったままの本をぎゅっと抱きしめて、最高の笑顔でメグはそう言ってくれた。
そうして、クレスから受けた依頼は大成功に終わった。終わったんだけど………

大通りの方へと住宅街を戻りながら、ぼくの頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。さっき分かりかけた『何か』のこと、それから、暗号みたいにクレスからメグに伝えられたスノードロップの伝言のこと。う〜ん……。もう少しで、何か分かりそうなんだけど……。
歩きながらうなったり、首をひねったりするぼくを見て、ヴァージルがくすっと笑った。
「……キミは男の子だから、あんまり興味はないかもしれないけど……、あっただろう?  いろんな花に、自分の気持ちを託して言葉に代える方法が………」
「ああっ!そうかっ!」
ヴァージルのヒントで、ぼくの頭にぱっとひらめいたことがある。あの本だ……。メグの落とし物の本をクレスが紙袋に入れるとき、ぼくはちらっとそのタイトルを見ていたんだ。こんな大事なことを今まで思い出さなかったなんて、ぼくも探偵としてまだまだだってことかなぁ。
その本のタイトルは『The Flower Language』───『花言葉』。
「花言葉……スノードロップの……」
そうつぶやきながら見上げると、ヴァージルがふわりと笑った。
「……知りたい? スノードロップの花言葉は…『希望』、『慰め』、 それと……」
ヴァージルは、とても大切な秘密を打ち明けるみたいに身をかがめてぼくの耳元でささやいた。
「……『恋の、最初のまなざし』。」

 

 

 






《END》 ...2000.05.04


ヴァージルさんには自分設定がいくつかあります。ひとつは「性別不明」。
もうひとつは、人間の目にあまり止まらない、ということ。存在感がとても
希薄で、ヴァージルさんの方から関わればもちろんそこにいると認識される
けれど、そうでないときは「道ばたに咲いているタンポポとか、散歩中のネコ
みたいに何でもないものに見える」のです。いわゆる「石ころ帽子」状態みたいな。
それ故、自分を普通に認識することのできる主人公をかなり特別視している
みたいです。
だって倫敦でも相当変な格好してるのにみんなツッコまないんだもん(笑)。
(ひとりだけ近所の男の子が「へんなにーちゃん」って言ってたくらい?)

 

Reset