****2023年10月14日(土)
「それじゃ行ってきまーす!!」
「あー、行ってらっしゃい」
「帰りはちょっと遅くなるかな。お皿洗っといてね、ついでに洗濯物入れといてね」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はーい……」
バタバタしながら母親が出かけて行った。
土曜日の朝、休日の今日、智彦はThe Worldに入り浸る気満々だった。
「とりあえず、皿洗っとこ……」
インしてしまえば時間はあっという間に経ち、うっかりすると皿洗いどころか何もかも忘れて後で母親に小言をもらうこと必至だ。両親と自分の三人分の皿洗いはそう多くはない。油の残るベーコンエッグの皿に洗剤の泡を立てながら、今日はThe
Worldで何をしようかと考える。
昨日の田中との一件がまだ心に棘のように刺さっていたが、ログインしないという選択肢はなかった。
「ってか、田中のPC知らないからすれ違ってたとしてもわかんねーしなあ……」
昨日からずっと続くモヤモヤを振り払うように洗剤の泡を勢いよく洗い流した。
長時間プレイの必須アイテム、お菓子と2リットルペットボトルの麦茶を用意して、居心地の良いクッションにもたれかかる。ゲームパッドをリンクさせれば準備完了だ。
FMDの電源を入れてログインすると、休日のタウンはいつもより人通りが多くごった返していた。
「誰かいるかな……っと」
カレンダーどおりの社会人ゆえせっかくの休日に午前中など存在しない、オレは全部睡眠に充ててるんだと言い切るトモエは休日も午後になってからしかインしてこない。
フレンドリストを開くと、ミルフィがログインしているようだった。
「どうだろ……、今日はギルドがどうとか言ってた気がするけど」
ログインしたばっかりだし、とりあえずクエストでも見てこようと街を歩き出した時、ポーンという通知音と共にメッセージが届いた。
『オレオレ! 待ってた! 今日ヒマ?』
「あっ……ヤヒロ!」
先日紅い花のエリアで知り合ったちびっ子ネコヒト撃剣士だった。彼も今日は休日なんだろうか。
『今んとこは何もないぜ!どこにいる?』
『ドル・ドナ』
『俺マク・アヌ。今からそっち行くわ』
『了解〜』
今出てきたばかりのカオスゲートに足早に戻り、サーバージャンプを選択した。行き先は
Θ高山都市ドル・ドナ。決定ボタンを押すと転送の光の環がバルドルを包み込んだ─────。
青く抜ける空。石造りの円形の建物。紋章を描いた連凧が幾本も風になびく。カオスゲートの設置された広場を見渡していると、ネコヒトPCが駆け寄ってきた。
「おはよーバルドル!」
「お早う! 呼んでくれて嬉しいぜ!」
駆け寄りざまにガツンと拳を合わせる。やはり2回目の顔合わせとは思えないほどノリが合う。
「早速で悪いんだけどさ、紅い花のエリアがここのサーバーにもあるんだ。行くだろ?」
「ああ!」
初〜中級者向けのΘサーバーなら特に装備を整えなくても大丈夫なレベルで、二人はそのままカオスゲートの前に立った。
「Θ ・・・・ ・・・・ ・・・・(ワード3つ)」
「それって? 俺色々検索したけどそれは出てこなかったな」
「ん〜〜、これな……実は例のオレの友達が女の子見たっぽいとこなんだよね……」
「マジかよ!?」
ヤヒロもはっきりと教えてもらったわけではないらしい。だが彼が紅い花の少女を見たと言い出す前に行こうとしていたサーバー、気にしていたちょっとレアなモンスターが出ると噂のフィールド条件、その少し前に二人で入手した新しいワード等々、色々推測した結果の「それっぽい」晴れた草原の昼間のフィールドなのだという。
「だから、確定ってわけじゃないんだけど」
「えええ……、でもなんかすげえ近そう……! もしかしてほんとに出るんじゃね!?」
「だったらいいけどな。せめて紅い花くらい見つけられたら……」
最初は勢いが良かったが、段々と自信がなさそうに語尾がしぼんでいく。
「見つからなくても……いや、もし本当に見つけてしまったら……」
「……? どしたの? やっぱ怖いとか?」
「…っ……、そんなんじゃねえよ! オレは確かめたいんだ。あいつが何を見たのか……どうして、あんなに……」
「ヤヒロ……?」
「……ごめん。オレの友達、女の子を見たって言い出してからなんか変でさ……。心配なんだけどあんまり話したくなさそうだから無理にも聞けないし、こうしてこっそり調べるしかなくて……」
「それでエリア回ってて、たまたま俺と会って?」
「うん。こんなことリアルの友達には言えない。The Worldの……言っちゃ悪いけど通りすがりのバルドルだから色々気軽に漏らしちゃうっていうか」
リアルの自分を知らない、The
Worldだけの繋がりだからこそ話せるリアル……転校生とのあれこれをパーティメンバーにいちいち話してしまうバルドルだからヤヒロの気持ちはよくわかる。
「だからって軽く見てるわけじゃないんだぜ? こないだ聞いた、紅い花の女の子に「はい」って答えたらって話……そんな風に考える人もいるんだって思って、こいつなら……バルドルなら大丈夫かもって思ったんだ」
「そっか……うん。それはそれで嬉しいな」
出会ったばかりなら性格も相性もわからない。でも交わした短い会話の言葉遣い、思考の断片から直感できることもある。ネットで出会うたくさんの通りすがりの人の中から、そうして繋がりを拾い上げていくのだ。
「俺もそういうのアリだと思うから気にしないよ。紅い花には興味あったし、ヤヒロがガッツリ手伝って欲しいならそうするけど、ちょっとクエスト付き合って? くらいがいいならそれでも構わない」
「へへ……ありがと! バルドルやっぱオレの見込んだ通りだったぜ!」
ちょっと下がり気味だったネコヒト少年の耳と尻尾がピンと伸びた。
「オレとしてはガッツリでもいいんだよなあ。でもさ、バグとか危なそうなやつだったらすぐ逃げような。オレも逃げる」
「そうだな。うっかりバグってキャラ消えるのもやだし」
まあ何もなくても、もうすぐ消えてしまうキャラと世界だけど。とバルドルはこっそり胸の内で付け加える。どうしてもサービス終了が頭の片隅から消えないけれど、そんな中でヤヒロみたいな新しい友達ができるのはやはり嬉しかった。
と、再び通知音と共にメッセージが飛んできた。
『おっはよー☆ 今日はあいてるの?』
バルドルがインしたのに気付いたミルフィからだ。
「そうだ……なあヤヒロ、俺の友達も一緒に行っていい? いつもパーティ組んでるやつで、紅い花も何度か見てる。呪療士だからなんかあった時助かるかも」
「うん、いいよ! 呪療士ってことは、ちっちゃい子の方?」
「あれ、知ってんの?」
「紅い花を見てるバルドルたちを見たって言ったろ。そん時一緒にいた子かなって」
どちらも話は早そうだ。バルドルがミルフィに事情を説明すると、すぐ行く、とリプを返してくれた。3分も経たないうちに、ドル・ドナのカオスゲートから現れた小柄なPCが二人に駆け寄ってきた。
「来ったよ〜! 面白そうなことしてるじゃん! 呼んでくれてありがとね☆」
二人並ぶと、ヤヒロもミルフィと同じくらいの身長だった。
「オレ、ヤヒロ! バルドルとも知り合ったばっかだけどよろしくな!」
「ミルフィだよ〜! ジョブは呪療士、ギルドはトライフル! よろしくね〜(^▽^)ノ」
「それじゃ行くか! 『Θ ・・・・ ・・・・ ・・・・』、さっきも言ったけど確定じゃないから、ハズレだったらごめんな!」
幾重にも重なった金色の光の環に包まれて、三人はエリアに飛んだ。
「ほほ〜〜〜〜、やっぱり晴れの草原なんだねぇ」
ミルフィが手を庇のように目の上にかざしてフィールドを見渡す。目に優しい水色の空と草の色、地平線には低い山並みが連なっていた。ヤヒロと出会ったフィールドと違いここは緩やかな丘が配置されていて、全部を見渡せるわけではない。
「……ここ?」
「まあ、オレもここ来るのは初めてなんだけどね。全然レベル高くないし、適当に歩いても大丈夫そうだな」
「よ〜し、紅い花探そ!」
いきなりミルフィが駆け出した。
「あっ、ちょっと待てよー!?」
「あはは、面白い子だなー! オレも行くぜー!!」
「ヤヒロも!?」
草原をダッシュしていくちびっ子たちを、バルドルは慌てて追いかける。
「俺引率のおにいさんかよーww」
バルドルが追いつく前に二人で勝手に戦闘に突入し、あっという間に終わらせていた。
「よっしゃヨユウだぜ!!」
「すごぉい! ヤヒロ撃剣士なんだっ!? 剣でっかくて重くないの〜〜!? って、それはナイナイ……」
ヤヒロと出会った時のバルドルと同じように、ミルフィも大剣を振り回すちびっ子ネコヒト少年に驚いていた。
「なー! 面白いだろ! そういえばヤヒロの友達もなんか変なキャラにしてるって言ってたよな」
「うん。まあそれは、実際会った時のお楽しみってことでさ」
「ふーん?」
なにやら変わったキャラメイクをしているらしい。そいつがつまり、紅い花の少女を本当に見て、それ以来様子がおかしくてヤヒロに心配されている友達なのだ。
「会ってみたいような、なんか恐いような……」
「あぁ?? 恐いとかw ないしww 俺の───まあ、リア友でさ、ちょっと大人しめだけど時々鋭いツッコミかますし、The
World大好きでゲーム上手いし、いいやつなんだぜ」
ヤヒロがさりげなくリアルをポロリした。そうか……リア友なのか。だったら余計に心配だよな。
The
Worldでキャラを作って時にはロールをしていても、リアルを完全に切り離すなんてありえない。ネットだけの友達にもリアルをポロリしてしまうバルドルはそう思うのだ。
「そんじゃ、ともかく紅い花探そうぜ!とりあえず北の端っこから……ん??」
歩き出そうとしたヤヒロがふと宙を見つめて立ち止まった。どうやら何かメッセージを受信したらしい。
「……………」
「………………」
「…………」
「………ごめん、お待たせ!」
『戻ってきた』ヤヒロがバルドルたちに向き直る。
「今さ、例の友達からメール来て。なんかもうめんどくさいから全部ぶっちゃけて女の子のこととか紅い花のこと訊いたらエリアはここじゃないって……教えるからタウン戻って来いって言われた」
あれだけ直には訊き辛い、色々調べるのもこっそりなんだと言っていた割にあっさりとぶち撒けてしまったらしい。
「だってさー! 元々そういうの苦手なんだってば! バルドルだって早く解決した方がスッキリするだろ!?」
「うんまあw 俺もどっちかっつーとそんな感じだからわかるけどw」
「そんじゃ、来たばっかりで悪いんだけどタウン戻ろうぜ。ゲート前で待ってるってさ」
踵を返してフィールドのカオスゲートに向かおうとするヤヒロを、バルドルとミルフィは追いかけた。
「ねえねえ、あたしもついてっていいの? バルドルはともかく、あたしはさっき知り合ったばっかりだし。もしもおジャマだったら消えるけど?」
普段はお気楽そうに見せているが、彼女の気配りと空気読み能力はかなりのものなのだ。
「いや、いていいよ……っていうか、いて欲しいな。あいつももっと、フレンド増やしてもいいんじゃないかと思うんだよな……」
「ふーん? 行ってもいいなら行っちゃうけどぉ、あんまりトモダチいない子なの?」
「おいこらミルフィ……もっとオブラートに包むとかしろよ」
案の定ヤヒロは苦笑いしている。
「そういうわけじゃないんだけどさ。まあ……その辺は本人の事情もあるしな」
何かリアル事情でも絡んでいるのだろうか、少し歯切れが悪くなった。
「なんか色々ありそうだな……俺は友達増えるの嬉しい派だから、あっちがいいって言ったらアドレス交換とか全然オッケーだぜ?」
トモダチになってももうすぐサービス終了だけどな、とまたまた心の中で付け加える。───バルドルの来世にご期待ください? ミルフィの声が浮かび上がる。もし、次のバージョンでも出会えたなら……
「……バルドル!」
ヤヒロの声に、サービス終了スパイラルに落ちていた思考が引き戻された。
「どしたの? タウン戻ろうぜ?」
「あ、うん、ごめん!」
ゲートに向かって歩き出した二人がこちらを振り返っている。ミルフィが少し首を傾げているのは「またなの?」とか思われているのかも知れない。
たとえセカイが終わっても、そう、『次』があるのなら────
ゲートの光に包まれて、タウンに戻ってきた。透き通るドル・ドナの青空に連凧が揺れている。
「あっ、いたいた!こっちこっち!」
前を歩いていたヤヒロが手招きする。
「シロナ! バカ!! 今日はちゃんと話聞かせてもらうからな!!」
ヤヒロが小走りに駆け寄った先には一人の青年PC────細身の身体、黒のローブ、右手には長い杖。紋章士か呪療士か……いずれにしても魔法系のジョブに違いないだろう。
シロナと呼ばれたPCが振り向いて、ヤヒロの後ろから付いてくるバルドルとミルフィを視界に捉えた。
「…………!? 君、君たち………!?」
「え?」
何故かバルドルを見て驚いているようだ。
「ど、どうして君がここにいる……僕の友達と、パーティなんて組んで……!?」
黒いPCの声が揺れた。
「この人たちなの……!? 紅い花の女の子、探してるって……」
震える声、黒いPCの視線は、バルドルに向けられている。
「は? 俺? ってかお前誰……」
「え? シロナ知り合いなの?」
引き合わせたヤヒロも戸惑っている。
「どうして!! ここにまで……! 赤の他人だって言ったのに……!!」
叩き付けるように叫ぶその声はとても聞き覚えがあった。脳裏をよぎる傾きかけた陽の光、目の端を掠めて揺れる柳の枝。それをはっきりと認識する前に、黒ずくめのPCが叫んだ。
「The Worldは! リアルじゃない!! リアルを忘れたくてここにいるのに! 浸食して来ないで……僕の『The World』…!!」
「……た、田中……!?」
逃げるように背を向けて走り出し、黒いPCはカオスゲートに消えた。
2023/10/14 ... UP
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ここまでが10年前に書き溜めてた分。
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