Continuation 7: 境界

 

 

****2023年10月13日(金)

 

 帰る方向が同じなのは知っていた。
 田中は徒歩通学だったし、智彦は自転車通学なのでスピードが違う。自転車置き場の近い裏門から出たり、教室で友達とダラダラ喋っていたり、たまに半幽霊部員になっている部活に強制連行されたりで、方向が同じでも帰り道で遭遇したことはなかった。
 週末の放課後の帰り道、自転車を走らせる智彦が歩道を歩く田中の背中を見付けたのは、だからその日が初めてだった。
「たーなかー!」
 何も考えずに反射的に声を掛けた。
「……岡野君」
 スピードを緩めて田中と並び、自転車を降りた。そのまま自転車を引いて歩きながら、いつもの調子で話しかける。
「今帰り? いつもこんな時間だった?」
「ううん、今日は図書室に寄ってたから。明日読む本探してた」
「そっか」
 そのまま何となく、先週終わった中間テストの話になる。田中にも苦手科目はあるらしく、お互い芳しくなかったその結果に嘆息したり、意地悪な引っかけ問題を出した教師に文句をこぼしたり。
 教室で話しているのと同じ、適度な距離のクラスメイトとの当たり障りのない会話。端から見れば仲は悪くないように見えるだろうし、未だ「東京から来た転校生」の空気を纏ってはいるが
実際クラスメイトの誰もが彼を受け入れて自然に接している。いずれ誰もが忘れていく「転校生」という設定とは違う、田中が周囲に注意深く張り巡らせている「壁」を感じているのは智彦だけなんだろうか?
 最初は新しい環境に、クラスに戸惑っているからだろうと思っていた。基本誰とでもそこそこ仲良くなれると自覚していた智彦を、その「壁」は今も強固に拒み続けていた。斬り込んでみれば何かが変わるかも知れない。そう思いながらきっかけが掴めずにいたのだ。

「あ、ごめん……メールだ」
 益体もない話を続けながら歩いていると、田中がカバンから携帯を取り出した。
「……………」
「…………………」
 メールは読んだが返信は後でするらしい。田中が携帯をカバンに仕舞おうとした瞬間、ちらりとそれが見えてしまった。
「田中! それ……!!」
「え、何?」
 隣を歩きながら田中がメールを読み終わるのを黙って待っていた智彦が急に声を上げたので驚いている。
「ごめん、見るつもりじゃなかったけど見えちゃったんだ……。それ、The Worldだろ……?」
 見えてしまった田中の携帯のホーム画面に、見覚えのあるアイコン。見間違えるはずもない、The Worldのそれだった。
「……っ…!」
 携帯がすとんとカバンの底に落ちる音がした。白い頬にさっと赤色が差す。冷静に見ればあからさまに「しまった」という表情だったが、ようやくその事実を確認した智彦は気付かない。
「やっぱり、The Worldやってたんだよな……! そうじゃないかって思ってた!」
 The Worldをプレイしてるならきっともっと仲良くなれる。
 パーティ組んで、一緒にレベル上げして、アイテムトレードして、それから……
「田中のPC、名前何て言うの?良かったらアドレス……」
「教えない」
「え?」
「悪いけど、教えられない」
「な、なんで……」
 期待でドキドキして熱くなっていた心臓の辺りが一瞬で冷たくなる。いつも落ち着いていて物静かな田中の声が、今はそれだけで「壁」だった。
─── 隠しておきたいのかもしれないよ?
 呪療士の少女の声を思い出して、しまった、と思う。もしもThe Worldプレイしているとして、あえて隠しているのには色々理由があるのだろうと。嬉しくて舞い上がって、一気に距離を詰めようとしてしまったが、もっと慎重にならなければいけないところだったのだ。
「……、ソロだから、とか……?」
 恐る恐る訊いた智彦に、違う、と首を振る。
「The Worldは、リアルじゃない……リアルとは違うものに、しておきたい、から……」
 言いにくそうに、言葉を選びながら。
「そんな……。俺だってネットじゃ違う名前で通ってる。リアルと関係ない友達だっている。もちろん、リアルの友達とも一緒にThe Worldしたりするけど、そんな風に線引きなんて」
「僕はそういう遊び方はしてない。そんなのは人それぞれだろう?」
「だからって、」
「君にはわからない!」
 納得できずに食い下がる智彦に苛ついたのか、ほんの少しだが珍しく語気を荒げて早口になる。
「リアルを忘れたいとか、離れたいとか、思ったことないの!? あそこにいるのは僕だけど僕じゃない。The Worldは僕の……っ…」
 声を途切れさせて智彦から目を逸らした。どう言うべきなのか言葉を探しているようだった。
「……わかったよ、悪かった。もう訊かないよ………」
「うん。そうしてくれたら嬉しい」
 全然わかってはいなかったが一応そう言うと、ほっとしたように智彦を見上げた。
「The Worldはリアルじゃない。僕のPCはリアルの僕……田中じゃない。もし万が一The Worldで会ったとしても、赤の他人だから」
「ちょ……!」
 グッサリと心臓を抉るような物言いに抗議しかけた智彦に背を向けて、田中は早足で行ってしまった。
「そんな言い方、ないだろ……」
 早歩きで曲がり角に入って行く背中に呟いた。
 痛かった。友達になれると、なりたいと思っていた。時間をかければ自然と距離は縮まっていたかも知れない。焦りすぎた自分がいけなかったのだろうか。それとも……
「…リアル、嫌いなのか……?」
 叫びだしたくなるような後悔とモヤモヤした気持ちを抱えながら、どうしようもなくて自転車に飛び乗った。



「なんと……!決定的にフられちゃったのねー… カワイソウなバルドルぅ……」
「いや、だからなんかそれ違うし……」
 いつものようにミルフィに話を聞いてもらっているが、さすがに今日はツッコミにもキレがない。バルドル───智彦は本気で落ち込んでいた。
「リアル嫌いっていうか……キミのこと嫌いなのかも……みたいな?」
「そ、う、なんだよなあああ……」
 バルドルはがっくりと肩を落とす。普段から仲良くなろうとしてしつこくしすぎたかも知れない。そんな自覚はあった。
「でもー、The Worldでは他人ってだけで、別にリアルで話しかけるなって言われたわけじゃないんでしょ?」
「まあそうなんだけど……それってもうリアルでも近づくな構うなって言われたのと一緒じゃね?」
 もうダメだ来週からもうダメだーと頭を抱える。
「リアルと別にしたいからっていうのが建前だったとしても、その発言を逆手に取って言いくるめるくらいのことできそうじゃない? リアルとネット分けるのにこだわってるなら尚更」
「そういうことじゃねえだろ……いや、多分それだけじゃないんだ…」
 当たり障りのない距離のクラスメイトでいるだけなら問題はなかった。近付きたくないのか、近付かれたくないのか、「壁」を張り巡らせて距離を保とうとしていた。智彦はThe Worldがその壁を突破できる扉か隙間のようなものだと思っていたのだが、実は違っていたらしい。
「あの拒否り方だと……扉っていうよりむしろ地雷だったような気がする」
「バルドル自爆、か……」
「…………」
「なんでなんだろねー?」
「うん……」
 The Worldで、田中がどんなPCを使ってどんな仲間がいてどんな冒険をしているのか……それを知りようがないので今は何を言っても不毛な憶測でしかない。
「ごめん、俺、今日はちょっと……」
 二人で腰掛けていたマク・アヌの噴水広場のベンチから立ち上がってミルフィに暇を乞う。
「えー、行っちゃうの? もうすぐトモエ来るって言ってたよ?」
「うーん……今日はなんか一人でどっか行きたい気分」
「そだね……。わかった、トモエには言っとくよ」
「ああ。頼むよ」
 ひらりと手を振って、広場を後にした。



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 帰宅して着替えて、一息ついてから携帯を取り出す。いつもならすぐにログインするのに、今日は躊躇われて仕方がない。もしかしたら、彼に会ってしまうかも知れない……。
 傷付けたのはわかっている。わかっていてあんな言葉を投げたのだから。
 『転校生』の自分が物珍しくて近寄ってきているだけだと思っていた。あんなところまで踏み込んでくるなんて……距離無し君なのか、空気が読めないのか……ああいうタイプにははっきり言わないとわかってもらえない。

───The Worldで会ったとしても、赤の他人だから。

 我ながら意地の悪い、酷い言葉だったと思う。
 それでも触れて欲しくないものがあった。
 The Worldはもう一つのセカイ。
 リアルとは違う、もう一つの。

 あんなことを言ってしまった以上、月曜日からはもうリアルでも構ってこないだろう。無邪気に話し掛けてくる彼の人懐こい明るい目を思い出して、何故か泣きたいような気持ちになった。



 






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