Continuation 3: 二つのセカイ

 

 

****2023年9月22日(金)

 

 福岡県柳川市────このあたりには江戸時代を通し、筑後柳河藩が置かれていた。明治維新まで柳河藩の殿様の居城だった柳河城の跡に智彦たちの通う中学校は建っている。グラウンドの隣に今も形を残す石垣が小高く積まれ、ぐるりと桜が植えられた土台の隅には城跡碑が佇んでいる。学校の敷地をぐるりと囲む水路は城を守っていた堀の名残だ。
 柳川は福岡市の中心まで1時間ほどのベッドタウンである他、川下りとうなぎのせいろ蒸しで知られる城下町と掘割の風情ある観光地でもあった。

 母親からお遣いものにする手土産を買ってくるよう頼まれた智彦は、放課後、家とは逆方向の沖の端(おきのはた)へ自転車を走らせていた。観光客のメッカとなっている川下りの下船場の通りの洋菓子店『パティスリーさくら』は焼き菓子もケーキも絶品で、しばしば自宅用にも買ってこられる母親のお気に入りだった。

 県道を渡って少し先の堀沿いに走っていると、橋の上に見覚えのある人影を見付けた。
───田中!
 背を向けているが間違いない。橋の欄干に肘をついて堀を眺めているようだった。声をかけようかどうしようか迷いながら、スピードを緩めてそろりと橋にさしかかる。
 確か田中の家も智彦と同じ方向だったはずなので、家に帰るには逆方向だ。わざわざ回り道をしてこんなところで何をしているんだろう?
「……た、田中 ………?」
「……っ!?」
 斜め後ろで自転車を止めて、恐る恐る声を掛けると、弾かれたように振り返った。声を掛けた智彦の方が驚く程の勢いだ。
「あ……岡野君……」
「何してんの? 寄り道?」
「うん、まあ……そんなところ。こっちの方には来たことなかったから、ちょっとね」
 すぐに落ち着きを取り戻して曖昧に答えて、ほんの少し笑った。
 教室でも感じていることだけれど、そつのない答えだ。智彦やクラスメイトたちと話をしていて、驚くのも笑うのも全部「この場面ならこう」という演出のように感じる。
 全部田中が自分の中で計算して出している言葉と表情。今だって特に用事がなければこれで会話終了するしかない、完結した答え。
───やっぱ「壁」なんだよなあ……。
 東京から来た転校生。典型的な大人しくて目立たないタイプ。そういう風に見せたいと本人が思っているなら、本来の彼がどうであれそれを智彦が知ることはできないだろう。仲良くなるのに時間がかかるタイプなのか、それとも最初から仲良くなるのを拒否しているのか……どちらにしても始終こんな会話ばかりでは、きっかけも何もあったものではない。
 それなのにどうして自分はコイツと仲良くなりたいと思っているんだろう?
 ちっとも縮まらない距離にふとそんな疑問が脳裏をよぎる。
 理由なんてないのだ。最初はただ漠然とした「異分子」への興味でしかなかったから。今だってその延長線に過ぎないのかもしれないが、それでも近付いてみたいと思っているのは確かだった。
 言外の打ち切り宣言に挫けていてはいつまでたっても進展なんてあるわけがない。自転車を道の端に駐め、田中の隣に立って堀の下流を見渡してみる。
「……そういえばさ、この先ちょっと行くと、柳川の博物館みたいなのがあるんだけど知ってる?」
「博物館……立花家史料館、かな? 行ったことはないけどガイドブックに載ってたね」
「そっか……っていうか、俺も行ったことないんだけど」
地元の人間なんてそんなものである。
「柳川に来る前に、ここのことちょっと調べたんだ。歴史と、名物とか。色々あって面白そうなとこだと思ってたよ」
「へぇ〜、そんなことしてたんだ。さすがって感じだなー」
 柳川の歴史なんてとっさには思い出せないが、地元を褒められて悪い気はしなかった。ちょうど橋の下をくぐり抜けてきた川下り船から船頭の声が聞こえる。
「───この先は『御花』───旧藩主、立花家の───西洋館と国指定名勝の庭園が──」
 船から見上げてくる観光客と目が合い、手を振ると、船の皆と笑いながら振り返してくれた。街を訪れる観光客の浮き立つような話し声。ガイドブックを片手に歩き回る彼らで柳川はいつもざわめいている。
「俺がいつも話してる『The World』に出てくる街がさ、柳川とちょっと似てるんだ」
 ぽろりとそんな言葉が口を衝いて出た。
 街中に張り巡らされた水路、街を歩く人々の賑わい。でも自分の住んでいる街よりもThe Worldの地理歴史の方が詳しいかも知れない。何となくそんなことを話すと。
「……岡野君は………」
 いつものように静かに、言葉を選びながら。
「柳川が好きなんだね」
「え……?」
 The Worldじゃなくて? と思わず隣の田中を振り返ると、川面を見下ろしながらほんの少し笑っていた。
 注視していなければ気付かない程ほんのわずか、口の端が上がり、目元が和らいで。

 好きなんだね。

 住んでいるという事実が空気のように当たり前にそこにあるだけで、そんなこと思いもしなかった。────橋と川面の風景が、不意にマク・アヌのそれと重なった。
 人々のざわめき。絶え間ない水音。揺れる水面。気の置けない友達と、仲間と、自分もその輪に混ざる居心地の良さ。
───『好きなんだね』
……The Worldが?それともこの地元が?
 二つの世界の境界が曖昧になり、バルドルとして、The Worldのマク・アヌの、あの橋の上で田中と相対しているような錯覚に囚われた。
「……田中は………」
───どう思ってる? 柳川のこと。……The Worldのこと。
 智彦の視線に気付いて振り向いた田中が、なに? という風に首を傾げた。
「……いや、なんでも、ない………」
 何故か動揺してその先の言葉が出てこなかった。
 田中もThe Worldをプレイしているのかも知れない。そんな疑惑が確信に変わった。でもやっぱり根拠は何もない。それ以上に今は自分の立っている世界が曖昧だった。
「じゃあ俺行くわ! ちょっと買い物頼まれててさ!」
「あっ………」
 急に調子を変えて踵を返し自転車に跨った智彦に、田中は一瞬驚いた表情になったが、すぐにいつもの様子で軽く頷いた。
「うん。それじゃ、また明日」


 背後に田中の視線を感じながら、それを振り切るように自転車を走らせた。
 買い物よりもこのまま有明海まで突っ走って行きたいような衝動に駆られる。
───『好きなんだね』
 The Worldが。だからこそ終わりの見えたそれに哀惜を感じる。
───『好きなんだね』
 柳川のこと。だからこそ、転校生にも好きになってもらえたら嬉しいと思う。

 今まで無自覚だった感情に、「好き」という言葉を与えられた。
 それだけのことではっきりと形を成した自分の思いに心臓がどきどきする。
 それに気付かせてくれた田中の声が、耳の奥に繰り返しこだまする。
 『好きなんだね』。
 好きなんだ………。

二つの世界は、どちらも智彦にとって区別のない「リアル」だった。

 






2023/09/22 ... UP
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