****2023年9月1日(金)
「……田中、翔です」
夏休みが明けて二学期の初日、転校生としてクラスの皆の前で紹介されたそいつはボソリと自己紹介をした。
「…………」
「………………………」
担任がちらりと視線を投げるものの、名前の他には何も言う気がないらしい。
「えーと、田中君は、ご家族のお仕事の都合で東京から来ました。みんな、色々教えてあげてね。田中君、席はそこの────」
担任に示された窓際の空いている席に、少し俯いて静かな足取りで歩いていく。あからさまには見ないものの、クラス全体が息を詰めて様子を窺っている、独特な空気。
椅子を引いて席に着く音。隣の男子が小声で何か話し掛け、それに答える彼の声が微かに聞こえた。
「それじゃホームルームを始めます。各教科の宿題はそれぞれの時間に提出して────……」
クラス担任の話が始まり、張り詰めた空気が緩んでざわざわと皆がささやき始める。転校生……余所者の登場というレアなイベントに知らず緊張していたらしい智彦は、ふう、と息をついた。
────東京、かあ……
生まれも育ちも福岡柳川の智彦にとっては、外国にも等しい遠い響きだった。
2、3日ほど皆の好奇の視線や質問に晒されていた「東京から来た転校生」は、すぐに教室の風景に溶け込んでいった。
最初に言葉を交わした隣の席の男子や席の近いクラスメイトと自然にグループのようになって移動教室や清掃時間を共にしている。生来の世話好きの智彦も何かと田中に話し掛けてグループに混ざっていたが、まだどこか警戒している風の目には見えない透明な壁を張り巡らせているように感じた。
───本当は東京じゃなくて、埼玉なんだけど……
───母さんが福岡に転勤になって……
───前の学校も同じ、制服学ランだったよ……
ぽつりぽつりと話す。
休み時間に本を読んでいることもある。
智彦と友達のバカ話を聞いているのかいないのか、僅かに首を傾ける。
透明な壁の向こうに佇む物静かな様子の田中は、今まで智彦の周りにはいないタイプだった。その壁を壊してもっと近付きたいような、そのままそっと眺めていたいような────
「なんなんだろうなー、この気持ちは」
「おま……それって恋じゃねーのw」
「ちが……!! 相手男だっつーの!! そんなんじゃねえよー!!」
マク・アヌの中央広場でパーティメンバーの集合を待ちながら、ぽろりとリアルの転校生の話をこぼしたバルドルに、仲間の拳術士がからかい口調でとんでもないことを言い出した。
PC名はトモエ。女PCだが男言葉を使う、『オレ女』のロールをしているのだそうだ。リアルは社会人らしいが、性別はよくわからない。
智彦も、明かしているのは学生であること(中学生とは言っていない。一応。)、リアルは男性であること、それだけ。
リアルの一切を出さないPCもいれば、智彦のように基本情報程度は仲間内だけで教えている者もいる。そんな小出しのリアル情報も本当かどうかわからない。縁があって気が合えばそれでいい。ここはそういう世界だった。
「ってか、まだ転校してきてひと月も経ってないんだろ。まだまだこれからだって。……いやぁセーシュンだねえーうらやましいねえ」
「なになに〜?コイバナだったら混ぜて混ぜて〜^▽^」
いつの間にかやって来た仲間の呪療士の少女、ミルフィが乱入してますますややこしくなる。
「だー! もう!! リアルの話は禁止! 禁止ー!!」
ヤケになって叫ぶバルドルが皆にひとしきりからかわれた後、トモエがそういえば……と話題を切り替えた。
「そういえばさ、R:Xが今年いっぱいでサービス停止になるってやっぱ本当みたいだな」
ああ……とその場にいた皆のテンションが一様に下がる。しばらく前から噂はあったものの、今週になって正式な告知がされたのだ。
「あたしも見た見た! そんで新バージョンが来年3月に公開……ってなってたね」
「あ〜、やっぱり終わっちゃうんだなあ……」
智彦がThe Worldを始めたのはほんの半年前のこと。中学に進学したのを機に、勉強を真面目にする、無駄遣いはしない、家の手伝いもちゃんとする……などなどの条件と共に許可をもらってからだった。『斬刀士バルドル』のPCを作り、地道にレベルを上げて気の合う仲間を見付け、そこそこ高レベルな楽しみ方もできるようになってきた矢先のニュースだった。
「でもさ、R:2終了の時みたいに突然ってわけじゃないし、次のバージョンももう公開決まってるし……オレ的には大分良心的だと思うぜ」
CC社も丸くなったよな〜などと訳知りそうな口調で頷く彼女は、R:2の最盛期頃からThe Worldをプレイしている古株プレイヤーなのだそうだ。
聞けば、無印と呼ばれるR:1はCC2の社屋火災でデータの大半を損失して終了。R:2は突然のサービス終了で理由は不明。ユーザーには何も知らされず、噂話だけがネットで独り歩きすることがしばしばだった。
「割り切るしかないよ。The Worldはネトゲだから普通のゲームみたいなストーリー上の終わりはない。こういう形の『終わり』もあるってことだ」
ずいぶんと年上らしい、そして一度はThe Worldの「終わり」を見ている彼女の言葉は、バルドルの胸の深くに落ちてきた。
「終わり、か……」
バルドル────智彦は、まだそれほど深刻な『終わり』を知らない。
例えばリアルの人生においても、両親祖父母親戚は皆健在だし、小学校を卒業したが中学校もその延長に過ぎず、別れること、終わること、二度とない瞬間を思い返すこと────そんな経験を幸か不幸か知らずにいた。
深刻でない『終わり』ならば、ゲームをクリアすること、本を読み終わること、好きだった漫画の連載が終わること……でもThe Worldのそれは違う。ネットゲームThe Worldは、ゲームには違いないけれど、会話の向こうにいるのはNPCではなくリアルの人間なのだ。
「終わる、とか別れるとか……なんか寂しいよな……。俺、バージョン変わってもまたみんなと一緒に遊びたい……」
「…………」
「……………………」
「あっ、ごめん……俺変なこと言っちゃって……」
シン、となってしまった皆に、バルドルが慌てて顔を上げてフォローすると、ミルフィが体当たりをする勢いで抱き付いてきた。
「もー!! バルドルったら可愛いー!」
「なっ……なんだよ可愛いって!?」
ふと見ると、拳術士の彼女は声を殺して笑っている。
「いやーもうバルドル……、オレうっかり萌えちゃったよwwwwww」
「萌えー☆」
「やっ……やめろおぉぉぉお……!!」
年齢は明かしていないものの、メンバーで一番年下だろうと推測されてしまっているバルドルはいつも弄られ系なのだった。
「次のバージョンでも……ってオレも思うけど、約束はできない。だいたいリアルが忙しくなったら明日にだってやめなきゃいけないことになるかもしれない。……だろ?」
「……うん」
そうして彼女はたくさんのPC───その向こうのプレイヤーと出会い、やがてサービス終了やリアルの事情で別れたり、今も一緒に冒険する仲間だったりする……それがThe Worldの面白いところなんだと語る。
「いつかは別れるかも知れない。ログインしなくなるかも知れない。それでも、ゲームを離れた時に『楽しかった』、って思い返せるような遊び方をしたいよ、オレは」
「……うん」
彼女の経験から語られる言葉を、リアルでもThe Worldでもまだまだヒヨコ同然のバルドルは
静かな重みを感じながら受け止める。
虚実の入り混じるネット世界で全てを真に受けるのは単なる世間知らずのバカでしかないが、自分の未熟さを自覚しつつ年長者の言葉を真摯に聞ける素直さは智彦の美点でもあった。
「うん……そうだよな。サービス終了までまだしばらくあるし、思う存分遊んでおけばいいってことだよな!」
「そうそ☆ バルドル始めてから半年も経ってないんでしょ、まだまだこれからだよ〜!」
仲間の言葉にあっという間に立ち直るバルドルを仲間たちが笑いながら囲む。
「このお調子者めー!」
「なんだよ〜、前向きって言ってくれよー」
いかにも仲良さげにつつき合う一団の側を、幾人ものPCが通り過ぎていく。
淡いオレンジ色の光に染まるマク・アヌはいつでも黄昏時───そういう設定なのだと普段は気にしたこともなかったが、この時の夕暮れは初めて何かの『終わり』を智彦に予感させた。
日が暮れたら家に帰らなくてはならない。遊びの時間はもう終わり。オレンジ色の夕陽に染まる公園、散っていく友達、柳の揺れる水路沿いの小道に長く伸びた自分の影。
今日のマク・アヌの夕暮れは、智彦にそんな幼い頃の『終わりの時間』を想起させた。
───The Worldが終わったら……どうなるんだろう?
この世界にいるPCたちは。やりかけのイベントや、手の届かなかったアイテムは。
The Worldでだけの友達とはそれっきりになって、みんな消えてなくなって、一人でリアルに『帰る』……長く伸びた影の代わりに「ログアウトしました」という無機質なメッセージを引き連れて。
それがThe Worldの『終わり』」になるのだろうか。
───俺たちは、それを受け入れるしかないんだろうけど。
ともかくも、まだ『その時』まで猶予はある。
「もうその話はいいからさー、クエストいこうぜ! 俺、今日は用事あってそんなに遅くまでいられないから───」
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黄昏のオレンジ色に包まれたマク・アヌの港の石畳を、一人でふらふらと歩いていた。
「サービス終了、……か………」
それはたぶん世界の終わりにも等しい。
物理的な距離が生じてもThe Worldがあるから繋がっていられた。
それがなくなったら、どうなってしまうんだろう?
「……僕は……どこに行けばいい……?」
2023/09/01 ... UP
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10年くらい前に書き始めて途中になってた長編です。せっかくなのでリアタイでアップしていきたい。
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