02「笑顔」




「あ、リーダー!こんちは〜!」
「アキツさんお帰りなさい!」

第一甲板、艦長である少年の部屋へ続く階段前の廊下はけっこう人通りが多い。
サロン二階からえれべーたへ向かう者、交代でブリッジへ行き来する者。
すれ違う乗組員と挨拶を交わしつつ、自室へ戻ろうとしていた少年は、部屋への上り階段の側で佇んでいる人物に目を留めた。
「・・・ヘルムート?」
独り言のようにおもわずその人物の名をつぶやくと、背中を向けていたヘルムートがはっと振り向いた。
その前にあるのは、目安箱。
「・・・・・・・・・・・!」
今まさに手紙を投函したところだったらしい。なにかまずいことをした瞬間を見られたかのように、ヘルムートは少年の脇をすり抜けて早足に廊下を去って行った。

目安箱には、皆が色々なメッセージをくれる。
船での生活のこと、戦いのこと、あるいは個人的な悩みや相談事など書いてくる者もいる。いつも少年の部屋の前に置いてあるので、誰かが手紙を入れる瞬間を目撃することもある。どうせ後で読まれるのだからと、全く気にしない者もいるし、あとで読んでくださいねと、少々気恥ずかしそうに言う者もいる。

「・・・あんなに・・・あからさまに逃げるなんて・・・・ねえ?」
いったい何を書いてきたのだろう。気になった少年は、箱を開けた。







サロンの吹き抜けをぐるりとめぐる二階通路を通り抜け、ドアを開けると、海風が髪を揺らす。昼下がりの甲板を探すまでもなく、定位置のごとくになっている甲板中程の手摺りにもたれてヘルムートは海を見ていた。近づく少年の足音に振り返るその表情が硬くなる。
「な、何か用か・・・・?」
「何かってことはないでしょ・・・・」
少年は、手に持った小さな紙を見せた。いうまでもなく、先ほどヘルムートが目安箱に投函した手紙である。
やっぱり、それか・・・・と、ヘルムートは溜息をつく。
「それはもう気にしないでくれ・・・。私の独り言だと思ってくれていい」

『寝返りそうだと思うのなら、その時は俺を殺すがいい』

限りなく後ろ向きに思い詰めたようなメッセージだった。
方向を変えれば、『裏切らない』という言葉を使うこともできただろうに。逆説を使って切実に信用を求めているのか、それとも投げやりになっているだけなのだろうか。

「目安箱の返事って、あんまりしないんだけど・・・・」

今日は特別。

「僕はあなたを殺さないし、あなたは絶対に、裏切ることなんてない」
「それは、私の部下の命が懸かって・・・・」
「そんなことがなくても、あなたは裏切ったりしないよ」
きっぱりと言い切る少年に、頑なだったヘルムートの表情が変わる。
「どうして、そんなことが言える・・・・・?」
「あなたのこと、信じてるから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
途方に暮れたような、少し苦しげな様子で、ヘルムートの視線が床に落とされる。
「信じてる・・・って、どうして・・・・」
眉根を寄せ、目を伏せて疑問詞ばかりを口にするので、少年は言葉に詰まった。
「どうしてって・・・・僕、あなたのこと、好きだから・・・・・」
と、思わず言ってしまってから、少年は驚く。

────な・・・なにいきなり告白してる・・・・っていうか僕、ヘルムートのこと「好き」だったんだ・・・・!?

言葉に出してみて初めて気付いたそれは、驚きというより青天の霹靂だった。

『好き』という言葉の意味するところはなかなか広い。
騎士団時代からの仲間への感謝を込めた思いや、尊敬に近いキカへの気持ちだって『好き』と言い表すことができるだろう。
だが、今のそれは明らかに違う。
突然速くなった心臓のリズムがそう告げていた。

「・・・・・・・そうか・・・・・・」
ヘルムートの方は、いたって普通の反応だった。少年とは違い、『仲間として』のそれだと受け取ったのだろう。
「それほどまでに信頼してくれると言うのか・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・どうかしたのか?」
「な、なんでもないよ!」

今初めて気付いてしまった自分の気持ちばかりで、手紙の内容なんてすっかり吹き飛んでしまっていた。
「・・・では、返事ももらえたことだし、その手紙はさっさと廃棄して・・・」
「廃棄なんて、するわけないよ!」

────だって、ヘルムートからもらった最初の手紙だよ?

「また何かあったら手紙書いてね!待ってるからさ」
「・・・待っている、と言われても・・・・」

今度は少し呆れたようなヘルムートの表情に、少年はあれ?と思った。
さっきの困ったような様子もそうだったけれど、初めて見る表情ばかり。
彼が仲間になってから、思い詰めた硬い表情や、物思いに耽る沈んだ様子しか見たことがなかったから。

次々と変わるヘルムートの表情は、そのどれもが魅力的だった。
怒っていても泣いていても、きっとその魅力は変わらないだろう。だとしたら・・・・

────ヘルムートが笑ったら・・・・きっと、最高に素敵なんじゃない?

初めて知った特別な『好き』の気持ち。
それに気付くきっかけになったこの手紙も、少年にとっては特別なもの。
そしてもちろん、目の前にいる特別な人と、そして今のこのひととき。

色々なことで満たされた少年の心は、今の空と同じように晴れ渡っていた。


改めて告白するのは後日にするとして。
今は、どうしたらこの人を心から笑わせることができるのか、考えてみようと少年は思う。




────今日のお天気みたいに、晴れやかに笑える時が来ますように・・・・。






《END》 ...2006.05.197




 






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