「コイビトの耳はネコのみみ」




ミドルポートに停泊中の、オベルの巨大船ユーラスティア号。久しぶりの停泊に、船を下りて陸の感触と街の賑わいを楽しむ者たちも多い中、軍主の少年はいつもと同じに船の食堂で昼食を取り、昼下がりのひとときを自室でのんびり過ごそうかと、第一甲板の廊下を一人歩いていました。
お腹いっぱいだしみんな出払ってて静かだし、昼寝でもしようかなーなどと思いながら部屋の前の階段を上ろうとした時、急に足元に何か白っぽいものが転がってきました。
「うわ・・・!なに!?」
驚いて足を止めると、それは一匹の白い猫でした。転がってきた時の勢いをぴったり止めて、少年の足元に身体を擦り寄せてきています。
「君は、ええと・・・・・・・・あれ・・・・?」
ユーラスティア号には、乗組員が連れてきた猫、少年がスカウトしてきた猫、たくさんの猫たちが乗っていましたが、その猫には見覚えがありません。トラヴィスあたりがまた連れてきた新顔でしょうか。少年は、しゃがみ込んで白い猫を抱き上げました。
「ニャア〜〜〜」
猫は甘えるように鳴いて喉をゴロゴロさせています。白い毛はよく見ると所々銀灰色が混じっていて、淡い茶色の瞳はややもすると紅い色に透けて見えそうです。
「・・・あれ・・・・なんだろ・・・・?」
その色合いにはどこか見覚えがあるような気がして、少年が猫の瞳をもっとよく見ようと顔の高さに持ち上げた時、サロンに続くドアがばたーん!と乱暴に開けられました。
「どこ行きやがったアイツ!!」
「・・・猫の足だし、そう遠くまで行くはずは・・・」
海賊コンビ、ハーヴェイとシグルドでした。二人とも息を切らせ、何やら殺気だっているみたいです。
「二人とも、そんなに急いでどうしたの?」
部屋の前から声を掛けた少年に、二人の視線がじっと注がれました。いえ、正確には、少年の腕に抱かれた白い猫にです。
「こんなとこにいやがったのか!ヘ・・・・」
「ハアアァァヴェイ!!!」
何か言いかけたハーヴェイの口を、シグルドが凄い勢いで塞ぎました。
「・・・・・何・・・??こ、この子・・・探してたの?」
二人のただならぬ様子に少年は猫を抱いたまま思わず一歩下がります。心なしか、猫も怯えているみたいです。少年が問いかけるようにじっと見詰めると、二人はちらりと目を見交わし合い・・・その眉間には深刻そうにシワが刻まれています。
「話しても・・・・」
「・・・でもよう・・・・」
「黙っていてもすぐバレること・・・」
怪しいことこの上ありません。
「実はな、その猫・・・」
「待てハーヴェイ、ここでは誰かに聞かれる」
「そ、そうだな・・・そこのお前の部屋、今誰もいないよな?」
「うん、まあ」
「よし、じゃあ話はそこだ」
そう言ってハーヴェイは少年の横を抜けて勝手にドアを開け、部屋に入っていってしまいました。シグルドも何も言わずに続くので、少年も仕方なく、彼らの後から自分の部屋に入りました。

しっかりと鍵を掛け、ご丁寧に声をぐっとひそめて、ハーヴェイは少年に顔を近づけてきました。
「実はな、その猫は・・・」
「はあ」
あんまり勿体をつけられすぎて、半ばどうでもいい気分になってきていた少年は気の抜けた相槌を返しましたが、それも次の言葉で吹っ飛びました。
「その猫、ヘルムートなんだ」
「はあ!?」
何をバカな、と言い返そうとした少年でしたが、二人の超真剣な様子を見て言葉を飲み込みました。
「そんな、まさか・・・・」
人間が猫になるなんて。少年が猫をもっとよく見ようと持ち上げると、それまで大人しくしていた猫が急に動き出し、するりと少年の腕を抜けて床に降りました。
「あ、逃げるのか!?」
猫はとっさに身構えたハーヴェイには見向きもせず部屋の様子をぐるりと見渡すと、落ち着いた仕草で部屋を横切り、少年の寝台にぴょんと飛び乗ってそこで丸くなってしまいました。
「はあ・・・やっぱそこが落ち着くんだな」
「なっ・・・何言ってんのハーヴェイ!!」
意味深な溜息とともに呟いたハーヴェイに過剰反応した少年ですが、少年とヘルムートの仲は船中に知られているのでかなり今更です。
「そ、それはともかく、どうしてこの子がヘルムートなのさ?」
「・・・それなんだよ!」


久しぶりに寄港したミドルポートの港町。美青年トリオは揃って息抜きに出掛けました。特に目的があるわけでもなく繁華街をうろついて、昼時になって飯でも食うかとシグルドお奨めの裏通りの美味い店に入り、ごちそうさまと店を出た途端にヘルムートが腹が痛いとうずくまり、何やらぽわんと煙が立ち上ったかと思うと、もう猫の姿になっていたのだと言うのです。
これはきっと今食べた料理が原因だと店に駆け込み、店主に話を聞いたところ、先程ヘルムートが食べたパスタに入っていたキノコ、なんでもキノコ栽培を専門にしている白衣の男が「新種のキノコだよ〜美味しいよ〜おすすめだよ〜」と売りに来たものだったそうです。

「それって明らかにマオじゃん!!!」
どちらかというとツッコミ属性の少年は思い切りよくツッコミましたが、たぶんどんなに天然さんでもツッコめるほどの美味しいボケでした。
それにしても、マオのキノコだったらこんなこともあるかもしれないと妙に納得してしまうあたり、恐るべしキノコ男です。
「そんなわけでさ、俺たち今からマオの野郎を締め上げてくるから、アキツはその・・・ヘルムート、面倒見てやってくれ」
「もしかしたら元に戻すキノコもあったりするかもしれませんからね」
「うん・・・わかった」
マオを締め上げるのも面白そうですが、ヘルムート猫を放っておくわけにもいきません。
少年に猫を託して、二人は部屋を出て行ってしまいました。

「・・・・・・・・」
二人がいなくなると部屋は急に静かになりました。少年は相変わらず寝台の上で大人しくしている猫の隣に腰を下ろしました。
「・・・君は本当に、ヘルムートなの?」
少年が問いかけると猫は起き上がり、ニャアと一声鳴いて少年をじっと見上げてきました。その淡茶の瞳の色と、少年を見上げる構図が、あの日の・・・ラズリル海戦後のヘルムートを思い起こさせます。
少年がかがみ込んで顔を近付けると、猫は少し考えるように少年の瞳をじっと見返し、それからそっと頬に顔をすり寄せてきました。
その一瞬の躊躇いのような間と、遠慮しながら触れてくるような仕草は、少年と二人きりでいる時のヘルムートそのものでした。
「やっぱり・・・・そうなんだ・・・・?」
少年が驚きとも溜息ともつかないような呟きを漏らしながらヘルムート猫の耳の後ろを撫でると、猫は気持ちよさそうに目を細めて、ゴロゴロ喉を鳴らして少年の膝の上に乗ってきてしまいました。
「わ、ちょっと・・・・!」
いくら二人きりとはいえ、普段のヘルムートだったら絶対に有り得ないような行動です。嬉しいような、恥ずかしいようなで少年は焦ります。もしかして身体だけではなく、心や記憶も猫そのものになってしまったのでしょうか。
「・・・もし、元の姿に戻れなかったら・・・・」
それは困る。色々と困る。でも・・・・
「もし、ずっと猫の姿のままだったとしても、僕はヘルムートのこと大好きだからね・・・!」
猫を持ち上げて、鼻先にそっとキスを。猫の目がすいと細められて・・・・
「・・・・・・・ん?」
部屋の外で、何か気配がします。人がいて、必死で気配を押し殺しているような気がします。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
少年は足音を立てないように静かに戸口に忍び寄り、一気にドアを開けました。
「「「うわっ!!!」」」
内開きのドアにもたれかかっていたのでしょうか、三人の人間が少年の足元に崩れ込んできました。上からシグルド、ハーヴェイ、そして一番下敷きになっていたのは・・・・
「ヘルムート!!」
怪しいキノコで猫の姿になったはずの、ヘルムートでした。


「・・・ってて・・・・」
「ハーヴェイ、お前が笑ったりするから・・・」
「だってよお・・・」
あっけにとられていた少年にも、何となく見えてきました。
「・・・ だ ま し た ね ・・・?」
じっとりと上目遣いで見上げる少年に、ようやく起き上がったヘルムートは焦ります。
「違うんだアキツ、これはこいつらが・・・!」


ミドルポートの街に降りた三人が、昼食にキノコのパスタを食べたのは本当でした。もちろん普通の美味しいエリンギやシメジのパスタです。店を出て歩いていると、妙に人懐こい綺麗な猫がヘルムートの足元にすり寄ってきたのが発端でした。
その猫の毛色がちょっとヘルムートに似ているとシグルドが何気なく言い、本当だ目の色もそれっぽいだとか実は生き別れの兄弟なんだろうとか、冗談を言い合っているうちにエスカレートして、軍主の少年を担いでみようということになったのです。


「・・・まさか、本気にするとは・・・・」
説明を終えると、海賊二人はさっさと退散してしまいました。今頃サロンで成功の祝杯を上げているかもしれません。
「う・・・、だって・・・・」
すり寄ってきた時の仕草がそっくりだったから、なんて恥ずかしくて言えません。
ニャア、と足元で鳴き声がしました。ヘルムートのそっくり猫が、少年の足元にすり寄ってきています。少年は猫を抱き上げて、ヘルムートと見比べてみました。毛色と瞳の色と、それから・・・・
「ニャア〜」
まるで少年の心を見透かして話し掛けているような鳴き声。
さっきの少年の言葉は、きっとドアの外のヘルムートにも聞こえていたでしょう。だからたぶんハーヴェイが笑っていたのです。
それでも少年はもう一度、今度は本物のヘルムートに向かって言いました。

「・・・ねえ、もしも本当に猫になったとしても、僕はヘルムートのこと・・・・」






《END》 ...2008.04.06




 


4月6日はヨンとムーで4ヘルの日記念。 アホですいません!
タイトルは最後まで付けられなかったあげく谷山浩子です。




Reset