「面影」






クールークの皇都・グラスカの街灯りが間遠に瞬く。
街から少し離れた草原に、キャラバンの焚き火が揺れていた。
幾つものテントに、幾つもの灯り。
今や大所帯となったキャラバンは、中でまた幾人かのグループに分かれ、それぞれの
夜を過ごす。テントと焚き火の間を抜け、少年はテント村の中心になっている大きな焚き
火へと近付いていった。

「あ、アキツさん?」
目的の人物だったキリルより、彼と一緒にいた少女の方が、先に少年に気が付いた。
「こんばんは、コルセリア」
クールーク皇王であった祖父の死と、長老派のクーデターから数日が経ち、少女は
だいぶ落ち着きを取り戻したように見える。今も、深い湖を思わせるサファイア色の瞳が
静かに少年を見つめていた。
「キリル君のこと、探してたんだ。アンダルクさんが何か話があるみたい・・・」
「アンダルクが・・・?わかった、行ってみるよ。ありがとう」
アンダルクとセネカに、キリルを見かけたら伝えて欲しいと言われていた。
伝言を聞いたキリルは少年に礼を言い、コルセリアと、篝火のそばにいた人物に挨拶を
して離れていった。そこで改めて少年は、コルセリアと一緒にいた者たちを見ることになった。
クールークの軍政官だという、オルネラとバスク・・・彼女たちは姉弟で、コルセリアには
「おばさま」「おじさま」と呼ばれる血縁であるらしい。

「・・・『群島の英雄』、アキツか・・・」
口を開いたのは、向こうが先だった。独り言とも取れるようなオルネラの言葉に返事を
しながら、少年は火のそばに腰を下ろした。
「ええ、まあ・・・。今はただの、オベルの居候ですけど」
群島に平和が訪れた後は、罰の紋章の強大な力も必要なく、リノ王が同盟の盟主として
皆を統率している。
少年は、ようやく手に入れた何もない暮らしをそれなりに気に入っていたのだが・・・・

「まさか、クールークの皇都にまで来ることになるなんて、思ってもみませんでした・・・。
僕たちはクールークと戦ったけれど、それは海軍とのことだけで、クールークの内情が
あんな風になっていたなんて」
群島から来た者は皆、平民と呼ばれる者たちの暮らしの貧しさや、中央と地方との
格差に驚いているようだった。そして、国政を二分する派閥があったことにも。
群島への侵攻も、彼らの勢力争いに絡んだ思惑があったのかもしれない。

「長老派と、我ら皇王派は、ずっと危うい均衡を保ってきたのだ。だが、それももう・・・・」
言葉の最後は溜息に混じって聞き取れず、長い睫毛が伏せられた。
炎に浮かび上がるその横顔に、少年はどきりとする。

皇王派はその名の通り、クールーク皇王とそれに連なる血縁の者たちで構成されて
いるそうだ。そして、『海神の申し子』トロイを始めとする海軍士官は皆、皇王派に
属していたという。
・・・ならば、やはり気のせいなどではないと・・・・。
彼女が仲間になってから数日、遠目に見かけるだけで、こうして間近で会うのは
初めてだったが・・・

「・・・・私の顔に、何かついているのか・・・・?」
薄く金に色づいたプラチナ・ブロンドに、透けるような白い肌。
クールークではよく見かける風貌だったが、遠目からでも少年の目を引いたのは、
それだけではない。気難しげに引き結ばれた口元と、憂いを帯びながらも意志の
堅そうな眼差し。凛としたその雰囲気が、少年に・・・・・そのひとを思わせた。

「あの・・・・あなたたちは、クールーク海軍の・・・・ヘルムートという人を知って
いますか・・・?」
「・・・・・・・!」
オルネラとバスクが息を飲んだ。コルセリアは、きょとんと首を傾げている。
「ヘルムートは・・・群島に派遣された後、行方が知れない。どうなったかは、お前たち
の方がよく知っているのではないのか?」
オルネラは一転、敵意をも感じさせるような、挑むような目で少年を見つめてきた。
「いいえ!ヘルムートは・・・ええと、ラズリル占領部隊の隊長でした。それは・・・」
「知っている」
「僕たちがラズリルを取り戻した時、ヘルムートは僕たちの仲間になってくれたん
です。そして、戦いが終わるまで力を貸してくれていた」
「な、仲間に・・・だって?」
バスクが驚いた声を上げる。
「ラズリルが落とされて、捕虜になったって噂は聞いたことがあったが・・・」
「捕虜だなんて!・・・コルトンさんの方は確かにそうでしたけど・・・」

ヘルムートが部下の命を救うという名目で仲間になった後も常に迷っていたこと、
「戦いを終わらせるために」と口癖のように言っていたことを、少年は話した。
「・・・なるほど、あいつらしい選択だ・・・・」
バスクが溜息混じりに呟くと、合間を見計らったようにコルセリアが口を挟んだ。
「・・・・おばさま、私も思い出しました。ヘルムートさんって、確か・・・・」
「ええ。少し遠いですが、確かにあなたのお母様の血縁の方です。会ったこともある
はずですよ」
「そうですよね・・・。なんとなく、覚えています・・・・」
そう言って小難しい顔で考え込むコルセリアに、やはり親戚だったかと少年は思う。
皇王派・・・皇王ゆかりの者など、二、三代くらい遡って兄弟や婚姻関係まで含めれば
その人数はかなりのものだろうと思っていたが、皇女コルセリアとも顔見知りとなれば、
想像していたより遠い関係でもなかったようだ。

「それじゃヘルムートは・・・クールークに戻ったわけじゃないんですね・・・・」
半ば予想していたことではあったが、クールークに入ってからずっと、一抹の望みを
抱いてもいたのだ。彼の故国・・・クールークに来れば、何らかの手がかりが掴める
のではないかと。
どこかで隠遁生活を送っているかも知れない。あるいは、軍人として復帰したので
あれば、群島の少年たちと再び敵対することもあるかも知れない。
それでもよかった。居場所が分かれば、どうにかして会いに行くこともできただろう。
だが、かなり近しい関係であったらしいオルネラたちもその消息を知らないとなれば、
もう手がかりはないと言ってよさそうだ。

「ヘルムートを、探しているのか・・・?」
「・・・ええ・・・。できればもう一度、会いたいと・・・・・」
「会って、どうするのだ?」
「・・・・・・え・・・・・?」

オルネラの、思いもよらなかった質問に、少年は言葉を詰まらせた。
もう一度ヘルムートに会って、どうしようかなど、考えたこともなかった。
・・・自分とヘルムートが、人目をはばかりながらも恋仲だったことなど、言えるはずもない。

「・・・会って、どうするか、なんて・・・・・」

会いたい。
ただ、それだけで。

戦いが終わって、捕虜だったコルトンとヘルムートが密かにオベルを脱出したのは
やむを得ないことだった。少年もそれはわかっていたし、ヘルムートも少年にだけは
別れを告げて行った。
あれは仕方のないことだった。
だからこそ。

例えば、長すぎる春を過ごした恋人たちが倦怠期を迎えて別れるとか。
そうでなくても人の心は移ろい、蝶が花を求めて舞うように次々と出会いと別れを繰り返す。

だが、少年とヘルムートはそんな終局を迎えたわけではなく、だからこそ余計に想いが募る。

会いたい。
一度でもそれが実現すれば、今のこの想いを伝えられる。
一緒にいたいと言ってそれが叶うかも知れない。
叶わなくても、居場所が分かっていれば、また会いに行くことだってできる。
もう会わないと言われても、それでもずっと好きでいることを告げられるだろう。


今もこの先も、どんなに時が経っても、これ以上の恋をすることがあるとは思えない。


「・・・一度でいい・・・・もう一度だけでも、会いたいと・・・・・」
胸が詰まって、それ以上は何も言えなかった。



「・・・・・・・・・・・・・・・・」
いたたまれない沈黙が場を包み、ここはもう退散した方が得策だろうと、少年は黙って
立ち上がった。背を向けると、ぱちんと炎のはぜる音が聞こえた。
「・・・・・・・アキツ殿」
オルネラが、敬称をつけて少年を呼んだ。
「グラスカの南西・・・風光明媚な海岸線で知られる観光地の外れに、彼らの所有する
別荘がある・・・・。それが、売りに出されたという噂を聞いたことがある。彼ら本人か、
代理人かは知らぬ。が、何かのツテになるのではないか・・・?」
「姉上、それは極秘の・・・・!!」
「ヘルムートが群島で何を見、何を感じたかはわからない・・・。だが、戦いが終わっても
国に戻らないとなると、それはたぶんヘルムートにとって余程大きなものだったのだろう。
クールークで生きてきたそれまでの全てを変えてしまうほどの・・・・」
「オルネラさん・・・・・」
背を向けたまま、少年は呟く。
「ヘルムートは、そう思ってくれたんでしょうか・・・。僕たちとの、戦いの日々を・・・・」
「それは、私たちには知る由もない。貴方が自分で確かめることだ」
振り向くと、火のそばに腰を下ろしたままのオルネラが、少年をじっと見上げていた。
その真摯な眼差しは、少年にあの日のヘルムートを思い起こさせた。
ラズリル奪回戦で敗北し、敵将として捕らえれたヘルムートと初めて対面した時の、
強く見上げるあの瞳。違っているのはその色だけ・・・・。冷静なその薄藍色の瞳が、
ふと和らいだ。
「もしもどこかで彼に会えたなら・・・・どこにいても、何をしていてもいい、幸せである
ようにと伝えて欲しい・・・」
「・・・わかりました・・・」

彼の人の面影を宿す佳人と出会えたことに感謝しながら、少年は力強く頷いた。







クールークの皇都・グラスカの街灯りが間遠に瞬く。
あの人もかつてこの光を見たのだろうかと、少年はしばし草原に佇むのだった。






《END》 ...2006.02.01











「・・・あんな風に想ってくれる者がいたのだな・・・・」
少年が去った後の闇から目を戻し、炎の眩しさに目を細めながらオルネラは呟いた。
群島を勝利に導き、今も仲間達から高い信頼を得ている、そんな少年が何よりも切に
会いたいと願っている。
二人にどんな出会いがあり、日々があったのか。
伝え聞くことしかできなかったあの紛争の中に、ヘルムートが確かにいたのだと、
少年の話を聞いて改めて実感した。
彼の苦悩を思い、その行方を案じる。
「ヘルムートさん・・・・どこかで元気にしていますよね・・・・」
「ええ、きっと・・・。生きていなければ、何も始まらない・・・・。そう、思います・・・・」
ヘルムートとは別に、オルネラの脳裏をよぎったのは、かつて『海神の申し子』と呼ばれた男。
ヘルムート以上に生死の危ぶまれる・・・・・・。

どこにいても、何をしていてもいい。  ・・・・生きていて、くれさえすれば。



  涙は出ない。  ただ、苦しいだけで。




 


ヘルムートさんは母親似だろうなと思いつつ、皇王派の血縁を捏造しました。
蛇足にトロイ×オルネラだったり・・・。ちょっと可哀相になってしまいましたが。
三十路バンザイ。
この後再会できてもできなくても、80年くらいすると「コイバナ」のような悟りの
境地に達するらしいです。





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