誓う言葉は願いに。
願う思いは約束に。
「永遠」なんて、単なる言葉としてしか、あの頃の僕は捉えたことはなかったけれど、僕の持っているこの紋章、それは永遠という言葉を体現する存在なのだと共に過ごすうちに気付かされる。だからたぶん、僕が生きている限り(もしかしたら死んだ後も)それは永遠なんだと思う。
あの時の願い。
言葉にならなかった約束。
僕はここにいて、今でもあなたのことを想っています・・・・・。
「永遠(とわ)のコイバナ」
「やっぱり、行っちゃうんだね」
「ああ・・・・・。君にだけは、ちゃんと言っておこうと思ってな・・・」
高台にある王宮の中庭から、人々のざわめきが伝わってくる。祝宴の喧噪から離れた人気のない港にはわずかな灯りしかなく、互いの表情すらよくわからない。少年は、桟橋の手前に佇むヘルムートに歩み寄った。
「クールークに戻るの?」
「いや、それはない・・・・。しばらくは、色んなこと、何もかもから離れて静かに過ごしたいんだ・・・」
桟橋の先には、ボートよりは幾分マシという程度のジャンク船が停泊している。暗い中でヘルムートを待っているらしい人影はおそらくコルトンで、二人はこの後いずこかへと姿をくらますつもりなのだ。
少年には、そんな彼らを引き留めることはできなかった。
「ありがとう、言ってくれて。・・・ねえ、僕はたぶんここにいることになると思うから、いつかまた・・・・・」
暗い星明かりに浮かぶ海色の瞳がわずかに揺らいだ。
「・・・・僕のこと、思い出してくれたら、嬉しいな・・・・」
「ああ・・・・。忘れない。それに、ほとぼりが冷めたらまたここに来ることもあるかもしれない」
また会おう、とは言えなかった。
だが、約束の言葉はなくても、会いたいという気持ちがあればそれは叶うだろうと、二人ともが思っていた。
「元気でな」
「あなたもね」
そうして勝利の宴の夜に、元クールーク軍人が二人、人知れず姿を消した。
「またね・・・・」
・・・・それから数年後、群島諸国をめぐる紛争で主役となった少年もまた、人知れず姿を消すことになる。
・・・・ それから、しばらくの時が流れ ─── ・・・・・・・
「・・・・・あ」
「・・・・・・・・え!?」
赤月帝国との国境に近い、クールークの小さな地方都市。田舎とはいえそれなりに人口があって、中心街があって、人混みもある。そんな雑踏の中で二人が互いに気付いたのは、ほとんど奇跡のようだった。
「テッド!!」
「・・・アキツか!!」
「すごい!久しぶり!!」
「・・・っていうか何十年ぶりだよ!」
人波をかき分けて駆け寄ると、それは紛れもなく旧知の友で、お互い何も変わっていないようだ。
・・・・・・80年ぶりの再会だった。
「お前やっぱり、紋章の・・・・うわ!」
何か言いかけたテッドが、通行人にぶつかられてよろめく。こんな通りの真ん中で立ち話はムリだと、二人は雑踏を離れることにした。
商店の建ち並ぶ雑踏を抜けると、大通りに沿って川が流れ、散歩道が整えてある。堅牢なクールークらしく、街のほとんどが石造りの建物で、街路もきれいな石畳になっている。
そして、川に沿って植えられている街路樹は・・・・
「・・・・・すごいな、これ・・・・・・」
「リンゴの木だね・・・・!」
まっすぐ流れる川沿いに植えられた、視界の端から端まで続くリンゴの木には、薄桃色の花が満開だった。時折吹く風に散る花びらは白く、まるで雪のようにも見える。
「これ・・・・これが見たくて、この街に来たんだ・・・・」
リンゴの花に見とれる少年が、夢見心地に呟く。
「へえ、そうだったのか・・・・」
そういえばこの街はリンゴの産地として有名で、果実だけでなくリンゴ酒などでもその名を聞くことがあった。しかし、それを花に結びつけてみることは、さすがの旅慣れたテッドでも思いもよらなかった。
「リンゴの花なんて、初めて見たよ。こんなに、キレイだったんだな・・・」
白い花びらの舞い散る散歩道に沿って、ベンチが点在していた。腰掛けてみると、街路樹を眺めるのにちょうどいい角度にしつらえられているのがわかる。
「そういえばさ、お前のその紋章の・・・・・、宿主の命を削るっていうアレは・・・・・?」
落ち着いたところで、やっと先程からの話を続けることができた。
少年の持つ、『罰の紋章』。
ソウルイーターと同じく、「呪われし」という形容詞が冠せられていた真の紋章とその宿主を、テッドはずっと気に掛けていた。近しい者の命を喰らう紋章と、宿主自身の命を削る紋章。どちらがマシかなどと、比べられるものではない。同じように忌まわしい真の紋章を宿す者として、気にならないはずがなかった。
「『罰の紋章』・・・・これがどうして「呪われた」のか、誰も知らないし、僕にもわからなかったけど・・・・この紋章の「呪い」は解けたみたいなんだ。あの戦いの時に集まってくれたみんなの絆がそうさせたんだって・・・・」
「・・・・そうか・・・・・」
それならば自分のソウルイーターの呪いも、いつかは解けるものなのだろうかと、何故か襲った胸の痛みと共にテッドは思った。
「それでお前は、真の紋章の「不老の力」で、今もあの時のままでいるんだな」
「・・・うん。そうみたい」
最後に紋章の力を使った時にもうダメかと思ったけど、有り難いことに今も生きてるんだ。
そう言って少年は苦笑した。
群島諸国連合とクールークとの戦いが終わってからしばらくの間、島々を巡る交易船を動かしていた少年だったが、数年が経ち、周りと違って全く歳をとっていない自分に気付いたのだと言う。それが自分の宿す真の紋章のせいだと解り、周囲の皆の「時間」に取り残されるのがいたたまれなくなって群島諸国を離れたのだと、少年は話した。
「うーん、やっぱりそうだよなぁ・・・」
テッドにも覚えがある。何年経っても見た目の変わらない自分を、周りの者が不審に思い始めた頃に、旅に出るとか、あるいは何も言わずに姿を消す・・・・・。そんなことを、百年以上も繰り返してきたのだ。
「まだまだテッドにはかなわないと思うけど、僕もずいぶん色んな所に行ってみたよ」
ガイエンから南下してカナカン、ファレナ女王国、そこから西回りでずっと北の都市同盟やハイランド・・・
少年が旅のルートを挙げていく。
「で、ついこの間まで赤月帝国をうろうろしてたんだけど・・・・エレノアさんの・・・シルバーバーグ家の名前を聞いたら、ちょっと群島が懐かしくなっちゃって。もうそろそろ、様子見に戻ってみようかな・・・って思ったんだ」
「ふぅん・・・。じゃ、この街は寄り道だったってことか?」
「まあね。でも、この街のリンゴの花は一度見てみたいって思ってたし、いっぺんくらいはクールークに入ってみてもいいかなと思って」
「あれ・・・・?クールークに来るのは初めてなのか」
意外だった。クールークは、ラズリルを領有していたガイエンと並んで、群島諸国と縁の深い「隣国」だとテッドは認識していた。
「・・・うん、実はそうなんだ・・・。ええと、何となく・・・・・」
「何となく・・・・?何だそれ・・・・・」
テッドが旅先で得た情報では、あの紛争の後、群島とクールークの間には相変わらず緊張はあるものの、交易や協力関係のようなものもあったと聞いている。赤月と都市同盟間のように壁で隔てられているわけでもないかつての敵国に、それなりの好奇心を持ち合わせている少年が、一度も足を踏み入れたことがなかったというのはどういうことだろう。
「あ、もしかして、あの人・・・・、ヘルムート ・・・って言ったっけ・・・?」
「・・・・・」
少年が、わずかに瞼を引きつらせる。どうやら図星のようだ。
「あの人も、クールークの人だっけ・・・。それとなんか関係あるのか」
80年も前のことだが、テッドも覚えている。
ユーラスティア号の乗員は皆、オベル王を筆頭に、うっとおしいほどテンションの高い人間ばかりだったが、そんな中で自分と同じように、極力控え目に、他人と積極的に関わることを避けているヘルムートが多少気になってはいた。あの船には自分を含めて色々な事情を持つ人間が乗っていたが、敵国の軍人まで仲間にしてしまうなんて、懐が広い・・・というか、仲間が増えれば誰でもいいのかよ、と当時のテッドは思ったものだった。
が、少年の傍らで過ごすうちにテッドの心境に変化が訪れたように、いつしかヘルムートの頑なな態度も解けていったようだった。テッドが耳にした噂では、少年とヘルムートは何がどうしてだか恋仲にまでなっていたらしい。あの時は噂の真偽を確かめることはできなかったが、どうやらウソではなかったようだ。
「付き合ってるって、本当だったんだ・・・?」
「うん、まあね・・・・」
でも・・・、と少年は言葉を続ける。
「戦いが終わった後、テッドもすぐにいなくなっちゃったから知らないと思うけど・・・・」
元々が微妙な立場だったヘルムートは、そのまま群島側に居残ることを選ばずに、捕虜となっていたコルトンと共にオベルを出て行った。クールークに戻ったか、或いは他国に逃れたか・・・
二人がその後どうなったのかは、少年も知らないのだと。
「会いたいな、とか・・・探しに行こうかな、とか・・・・。色々思ったけど、結局何もわからないまま僕も群島から離れちゃって。そのあと何となく、クールークに近寄れないでいたんだけど、あれから80年も経ってるし、もしかしてヘルムートがクールークに戻ってたとしても、さすがにもう・・・・」
生きてはいないだろうから。
ぽつりと、少年は言った。
「・・・・・・・・・・・・」
思わずテッドは言葉を失くした。何て声を掛けたらいいんだろう・・・・。
遠い記憶の中に残るヘルムートの、リンゴの花のような白く儚げな風情が思い出される。いたたまれない気持ちで、隣に座る少年を盗み見ると、少年は・・・・微かに、笑っていた。
「・・・どうして、お前・・・・・。それで良かったって言うのか・・・・?」
うーん・・・、と少年は空を仰ぎつつ目を閉じる。
「他の選択肢もあったことは確かだけど、今となっては仕方のないことだしね」
目を開けると、昔と変わらない、群島諸国の海と同じ色の瞳。
「何かを欲しいと思ったことがなかった僕が、初めて自分のものにしたいと思った・・・、それがあの人だったんだ。戦いの最中に出会って、戦いが終わるまでの間だけだったけど、あの人は、僕が求めたもの全てを与えてくれた・・・。だからそれでもう、僕はいっぱいなんだ。生まれてから今までと、これから生きていく分まで全部」
ヘルムートと別れてから80年、他の誰にも恋をしていないけど、それはずっとあの人に恋をし続けているから。
そんなことを言って少年は笑う。
「でもさ、相手がお前と同じ気持ちだったとは限らないし、誰か他の人を好きになったかもしれないじゃないか」
何故かムキになって言ってしまってから、ちょっとまずかったかと眉をひそめるが、少年は全く気にした様子がない。
「・・・昔はそう思ったこともあったけど・・・ でも、今の僕にはもう、あの後ヘルムートがどうなったかなんてわからないし、もしかして生きてる間に一度でも僕のことを思い出してくれたかな・・・って思うだけで充分なんだよ」
二人で恋をしていた時の、甘さや切なさを今でも忘れずに持っているから。
バカみたいって思う?
そんな少年の問いかけにテッドが答えられないでいると。
「テッドはさ、いつか僕たちの船の上で結婚式があったこと、覚えてる?あの時、新郎新婦の『誓いの言葉』を聞いて、「永遠に、なんて不確かなこと・・・」ってあの人は言ったんだ」
でも、と少年は空を仰いだ。
淡い水色の春の空に向けて、左手を伸べる。
「紋章のせいで僕は今もまだ生きていて、今でもあの人のことを想ってる。それなら、きっと僕が生きている限り・・・ ううん、この紋章は宿主の記憶も受け継いでいくから、この紋章が世界から消えてなくならない限り、この想いは永遠なんだと思う・・・」
僕は永遠に、あの人に恋をし続けるんだ。
そう言って少年は、幸せそうに笑った。
・・・・気が遠くなるほど長い、永い恋話だ。
いつか自分にも、そんなふうに永遠を願う相手が現れるだろうか。
昔と同じように、憧れと羨ましさを感じながらテッドは思う。
ざあっ・・っと風が吹き抜け、リンゴの花びらを散らした。
たぶんこれから先リンゴの花を見るたびに、少年と、彼の恋する人のことを思い出してしまうのだろう。
「きっと永遠に・・・・この世界が続く限り・・・・・」
《END》 ...2005.10.17
主人公とヘルムートさん、どうするのが一番幸せなのか、私にもよくわかりません。
私の主ヘルの、色々あるだろう選択肢の中のひとつ、その行き着いた先のお話です。
「こんな主ヘルもアリかもね」と思っていただければ嬉しいです。
◇蛇足◇
・話思いついたのが1月だったので、ラプソが出てしまった今はおかしな部分が色々・・・
・クールークにはドイツっぽいイメージを持っていました。(「ヘルムート」からの連想で)
・リンゴの花は田中芳樹の「アップフェルラント物語」っぽく。
◇さらに追記◇06.05.11
これを書くまでは死ねないという渾身の一作でありました。いやまだ死にたくないけど。
お題「好きだよ」「愛してる」と、SS「スイートキャンディ」と併せて読んでいただけるといいかと思います。
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