「その瞬間に」
夕焼けのオレンジ色に染められたラズリルの空と海と街はその日、夕暮れ時の活気とはまた違うざわめきに包まれていた。ラズリル奪回戦による混乱はようやく落ち着いてきたが、人々の興奮はまだ冷め切らないようだ。騎士団の館に集まった皆の熱気から少し離れたくて、少年は館の屋上へふらりと足を向けた。
少年の足音だけが響く薄暗い階段を上りきると、急に視界が開ける。
いっぱいに広がる夕焼け空と、少し涼しくなった風が少年を迎えた。
騎士団の館の尖塔────見張り台としても使われるその屋上からは近海と、右方に弓なりに続く街の港までが一望でき、視線を下ろせば騎士団の港と前庭が見える。騎士団の港には数本の桟橋があり、今は中型のガイエン艦と、騎士団所有の小型の哨戒船が停泊している。少年が穏やかな夕風を浴びながら、前庭を行き交う人々を見るともなしに眺めていると、街と騎士団の敷地を仕切っている門が開いて、どこか異彩を放つ20人ほどの集団が入ってくるのが目に留まった。
「あれは・・・・クールークの・・・・?」
それは先程のラズリル奪回戦で少年の率いる船団に敗北し、投降してきたクールーク兵たちのようだった。勝敗が明らかになった時、なるべくなら無駄に犠牲を出したくないという敵艦艦長と少年の思惑が一致したお陰で、かなりの数が生き残った。
クールーク艦隊の艦長であり、ラズリル駐留部隊の隊長でもあったヘルムートはユーラスティア号に乗ることになり、彼の部下たちは3隊に分けられ、船団の各船に乗り組むことになった。
今やって来たのは、おそらく下に停泊しているガイエン艦に乗る者たちだろう。灰色を基調としたクールークの軍服はもう身に付けておらず、支給されたらしい一般の海兵服に着替えたようだ。とはいえ、まだ違和感は拭い切れず、一団に気付いた街の者たちは彼らを遠巻きにして何やら囁き合っている。
尖塔の屋上から少年がその様子を見守っていると、桟橋の手前で歩みを止めた一団の中から一人がすいと先頭に進み出た。
遠目からでもわかる銀の髪・・・・「元」クールーク艦長のヘルムートだ。
桟橋に停泊しているガイエン艦を示しながら、部下たちに何か話している。
少し沈んだ様子だった彼らが次第に顔を上げ、熱心に聴き入っているところを見ると、恐らく励ましの言葉でもかけているのだろう。
もちろんこの距離では少年には何も聞こえない。
「・・・戦いが終わったら故郷に帰れる日も来る・・・それまでは・・・・ってところかな・・・?」
やがて話し終わったヘルムートに促され、元クールーク兵たちはぞろぞろとガイエン艦へと乗り込んで行った。それをヘルムートは静かに見送っている。
・・・と、辺りにいた騎士団員や街の者たちもいつの間にか館へ、あるいは街へ続く門をくぐって行ったのか、港にはヘルムート一人きりになっていた。
それに気付いているのかいないのか、ヘルムートはゆっくりと、まるで何かに誘われるような足取りで、何も停泊していないもう1本の桟橋を歩き出した。視界を遮る船のないその桟橋からは、きっと夕焼け空が少年のいる屋上と同じくらい広く見えるに違いない。
そんなことを思いながら少年が何となく見ていると、ヘルムートは桟橋を先端まで歩き、足を止めた。
「あ・・・・・!」
何故だろう、その時少年には、足を止めたヘルムートがそのまま海へふわりと落ちていってしまいそうに見えた。
少年は思わず息を飲み、目を凝らして彼を見つめる。
実際にはヘルムートはもちろん、海に飛び込んだりすることもなく、桟橋の先で静かに佇んでいる。
少し強い風が吹き抜け、少年の髪を舞い上げた。
背後からのその風が、同じようにヘルムートの銀の髪を踊らせた瞬間、不意にヘルムートがこちらを振り仰いだ。
・・・・目が合った、ような気がした。
もちろんこの距離ではわからない。
でもそんな気が、少年にはした。
ヘルムートは、尖塔の屋上の少年に気付いたのだろうか。ふいと顔をそらし、桟橋から戻ってきた。先程とは違う、今度はしっかりとした足取りで、街へ続く門へと向かう。おそらく街の港に停泊しているユーラスティア号に戻るのだろう。
そのまま歩き去るヘルムートの後ろ姿から、少年は目が離せなかった。
────・・・・これは・・・・何?
今すぐ塔から駆け下りて、後を追ってみたい衝動に駆られる。
・・・でも、追いついて例えば何を話せばいいのだろう。
動きたいのに動けない。心臓のリズムがおかしい。
さっきヘルムートが少年に振り向いた、その瞬間から。
少年にとって初めてのその感情。
少年はまだ知らない。それに名前があることを。
華やかな夕焼けのオレンジ色が、やがて薔薇色から菫色、群青色へと落ち着いていく。
夜の帳がゆっくりと降りるように、港からも人のざわめきが引いていった。
こっそりと寄り添う夜気を感じながら、少年が思い返していたのは、昼間の海戦のことだった。敗軍となったクールーク艦長のヘルムートは皆の前に引き出され、膝を折りながらも強い意志を持った眼で少年を見上げてきた。
その時、光の角度のせいか、彼の淡い茶色の瞳が一瞬だけ紅く透けて見えたのだ。
塔の屋上にいた少年を見上げたさっきの一瞬、あの距離では見えるはずのないその紅い瞳が、少年には見えた気がした。昼間と同じように、心臓を射抜かれたような気がした。
あの瞳を、透き通る綺麗な紅い色をもっと見てみたい・・・・・・
・・・・・その瞬間に、少年は恋に落ちたのだった────。
《END》 ...2005.05.03
普段は薄い茶色で、光に透けると紅く見える瞳は自分設定です。わりとこだわる。
源は「ミルモでポン!わんだほう」のOPの「♪目と目が合った〜その瞬間キミが〜この胸に〜恋の魔法〜か〜けた〜♪」だったりする・・・(笑)。
主ヘルは愛っていうより恋なんです。少なくとも4主は。
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