「ねこじゃらし」




こんこん、と。
ヘルムートが机に向かって書き物をしていると、ドアをノックする者があった。
「・・・・どうぞ」
答えを待ってドアを開けたのは、予想通り軍主の少年だった。無言のまま部屋に入り、後ろ手にドアを閉める。先刻夕食を一緒に取った後、あとで部屋に行ってもいいかと訊ねられたのだ。

「・・・・・・・・・・」
さすがに4日連続は辛いものがあると思い、答えに詰まったのだが、断ればきっと少年は理由を悟って謝っただろう。ヘルムートの好きなその海色の瞳に陰が差すのも、なかなかに心苦しいものがある。今日こそは断ろうと思っていたのだが・・・仕方がない。自らの意志の弱さに内心溜息をつきながら、ヘルムートは少年の申し出を受けることにした。海色の瞳がたちまち晴天の明るさに彩られる。
・・・それでは後で、と約束をして別れた数刻後のことであった。


「少し、待っていてもらえるか?」
書き物が途中になっていた。
書き物と言っても仕事などではなく、その日にあったことを書き留める、覚え書きのような日記だ。
「うん・・・・・・・・・・・・・・・・」
少年が寝台に腰を下ろす音がして、部屋に沈黙がおりる。
ヘルムートの邪魔をしないように、静かに、音を立てないようにしているらしいが、その視線がじっと背中に注がれているのがわかる。

「・・・・・・・・・・・・・・」
ぱたんと冊子を閉じ、机を片付けて立ち上がると、少年が息を飲む気配がした。
振り返ると、無心な瞳がじっとヘルムートを見上げている。
・・・終わった?
言葉には出さずにそう問い掛けているようだ。
「待たせたな・・・」
実はまだ途中だったのだが、少年の真剣な様子に根負けしてヘルムートが言ってやると、少年は嬉しそうに立ち上がって抱きついてきた。

僅かの身長差のせいで「抱きつく」格好になっている少年は、それでも積極的にキスを仕掛けてくる。少年が繰り返すキスはいつもどこか甘えるようで、そのまま寝台に倒れ込んでもそれはまるでちょっと大きめの猫がじゃれついてくるようでもあった。だからかもしれない、こうして身体を重ねていても、抱いたり抱かれたりの生々しさや抵抗をあまり感じないのは。
「ん・・・・」
くすぐったさに身をよじると、今度は耳たぶを甘噛みし、ぺろりと舐めてくる。
これでは猫のようだと言うより、そのものではないか。

「なに?笑ってるの?」
「・・・思い出した・・・・。昔、猫を飼っていたことがあるんだ」

ヘルムートがまだ6つか7つの頃、知り合いの家の猫が子を産んだからと、父が仔猫を一匹連れ帰ったのだ。いたずら盛りのその仔猫は、一人っ子で大きな屋敷からあまり外に出ることのなかったヘルムートの格好の遊び相手となった。元気いっぱいのその仔猫は頭も良く、ヘルムートが家庭教師についての授業中は大人しくしていたし、宿題が終わるまで待って、とヘルムートが言うと、ソファの上で丸くなってヘルムートが振り向いてくれるのをじっと待っていた。

「それがまるで、さっきのお前のようだと思ってな」
「う〜ん・・・」
そんなに僕、猫っぽかった?と少年は少し不満げな声を上げる。
「いいじゃないか、別に。私も猫は嫌いではないし」
少年の様子が可笑しくて、ヘルムートがそう言ってやると、何故か少年は顔を赤くしてぱたりとヘルムートの上に倒れ込んできた。
「もう・・・それって殺し文句だよー!」
「・・・そ、そうか・・・・?」
そんなに狙ったつもりはなかったのだが、とヘルムートが思わず黙り込むと、少年が顔を上げてヘルムートの目を覗き込んできた。
「その猫、今はどうしてるの・・・・?」
「・・・猫がうちに来たのはもう20年も前のことだったし、それに・・・・・」

猫を飼うようになって1年ほど後に、ヘルムートは士官学校の寄宿舎に入ることになった。良家や実力者の子息が学ぶその全寮制の学校に入学することは以前から決まっていたことで、エリート軍人の家に生まれ育ったヘルムートには、それ以外の道など考えも及ばなかった。もちろん、年に何度かの長期休暇の際には当然家へ戻ることになっていたのだが・・・・

「最初の休暇に家に帰った時にはもう、その猫はいなくなっていたんだ。家の者の話では、私が家を出てからひと月くらいで姿が見えなくなったということだったが・・・・」
「・・・それっきり・・・・?」
「ああ・・・・・。ずいぶん探したが見つからなかった・・・・」
「そっか・・・・・・」

ヘルムートのこと、探しに行っちゃったのかもね、と、わずかに目を伏せて少年は呟いた。
「だが、『犬は人に、猫は家に付く』と言うだろう?」
「そうだけど・・・・・」
何故か少年は目を伏せたまま、何か考え込んでいるようだ。
「それに、もう20年も前のことだ。どんなに長生きしていたとしても・・・」
「・・・うん・・・・。
それでもその子・・・きっと、ヘルムートのこと大好きだったと思うよ・・・・」
どうやら少年は、すっかり猫に感情移入してしまっているようだ。

・・・あの猫と少年と、そして現在と過去のヘルムートとに共通点があるとしたら、それは・・・・・・

「忘れてはいないし、今だって好きな気持ちに変わりはない・・・・・・」
独り言のように呟いたヘルムートに、少年は首を傾げて見せた。
「・・・・好きなの?」
「ああ」
「今でも?」
「そうだ・・・・・」
「僕のことも・・・・・?」
「・・・・・・・・・・」
いきなりそんなことを訊かれ、そのままそうだと答えるのも気恥ずかしくて、ヘルムートが目だけでわずかに頷いて見せると、それでも少年は嬉しそうににこりと笑った。

「それじゃ僕は、その猫の生まれ変わりなんだよ。きっと、生まれる前からあなたに会いたいと思っていたんだ」
冗談めかして少年が言う。くすくす笑いながら、ぎゅっと首筋に抱きついてきた。
「・・・うちの猫は、こんなふうに迫ってきたりはしなかったが・・・・?」
「そうだね・・・・猫じゃムリだったから、今度は人間に生まれてきたっていうのはどう?」
そうして続く他愛のないやりとりの合間に、少年は少しずつヘルムートに熱を灯していく。
・・・こんなのが飼い猫だとしたら、厄介なことこの上ない。
顔を寄せてくる少年の髪が、いつの間にかはだけられた鎖骨に触れる。その柔らかな感触がやはり猫を思わせた。
抱き締めるように背中に回していた手で髪を撫でてやると、少年はそっと目を閉じた。

・・・そのどこか切なげに見える表情が愛おしかった。



そういえば、あの猫の瞳は何色だっただろうか。少年の海色の瞳が印象的過ぎて思い出せない。
今はそれでもいい、とヘルムートは思った。
少なくとも、あの幼い猫のようにヘルムートを慕ってくれる少年と過ごすこのひと時だけは。






《END》 ...2005.3.28




 


うっかり身長差を捏造しました・・・。気持ち程度でいいので身長差欲しいんです。




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