「灯火」
10月31日、倫敦の街は一斉に黒とオレンジ色に染まる。
「ハロウィンなんて子どもっぽいこと、アタシはもう卒業したもんねー」
そんな風に横目で街並みを見ながらもそっぽを向いていたアリエスも、アイヴォリー博士が用意した黒いコートにコウモリの翼を目の前にすると「パ、パパがせっかく用意してくれたんだしー・・・」と言いながらいそいそとそれらを身につけていた。それを笑ってはまた彼女からお叱りを受けるだろうから、レナードは笑いを必死にかみ殺していたのだが。
レナード自身はヤングゴーストがつけているようなアイマスク(そう思うとちょっと情けない気持ちになる。彼女にはちょっと可哀想だけど)をつけているだけだ。今日の朝、エヴァレット先生から貰ったものだ。
「キミも楽しんでおいで」
いつものようにどこか余裕のある笑顔で手渡してくれた。貰って早速朝食の席でもつけているものだから、大家さんに笑われてしまった。でも朝食が終わった後大家さんは「皆で分けるんだよ」とお菓子をいっぱい渡してくれた。
そして、街を練り歩く。
「お菓子をくれなきゃイタズラするぞっ!」
「わあ怖い、お菓子なら持っておいき!」
笑いながらそんな問答。立ち並ぶ家の前にはカボチャの飾りやランプ。そして奥に用意したたくさんのお菓子や果物。そんな光景がどこまでも続く。
賑やかな商店街を通り抜け、裏通りにも繰り出す。いつもはどことなく静かなそこも、今日は騒がしい。相棒くらいの小さな子どもたちが楽しそうに叫びながら走っていく。この日は子どもたちのお祭りだ。先生に拾われる前までは、この日はレナードにとって『公認で大っぴらに物乞いが出来る日』であったことは頭の隅においておく。
「お菓子をくれなきゃイタズラするぞっ!」
そうやって夢中になって練り歩き、開発地区のほうにまでやってきた。ここまでで疲れきってしまったアリエスは、呆れながら帰っていってしまった。博士とパーティの予定があるからかもしれない。少し名残惜しそうだったし。
パブのマスターに突撃したら、少しだけワインを飲ませてくれた。・・・これはおいしいのだろうか、まずいのだろうか。マスターはレナードに何も言わなかったし、レナードも何も言えない。
そして、ヴァージルの家も近くにある。当然突撃するためにそこに向かって歩きながら、歌うように叫ぶ。
「お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞっ」
『お菓子なら・・・あげましょう・・・』
「え?」
何だかどこか聞き覚えのある優しい声に立ち止まった。ふと気が付けば、どこか見慣れない景色。路地に入り込んでしまったようだ。薄暗くて、しんとしたところだ。
でも、おかしい。倫敦の街ならレナードはほとんどのところを知っている。特にホームグラウンドであった裏通りや開発地区は尚更だ。
「あ、でも」・・・ふと口をつき、レナードは思い直す。今まで出会ってきた事件などでは全く知らないところにもたくさん行ったし(蒸気管や地下水路なんてびっくりだった)、ヴァージルの家だって知らなかったではないか。そうだ、まだまだレナードの知らない倫敦はいっぱいあるのだ。
『お菓子なら・・・』
『・・・あげましょう・・・』
「え、誰?どこ?」
辺りを見回す。真っ直ぐ伸びる薄暗い路地にはレナード一人しかいない。他には、誰もいない。
『・・・あなたに・・・』
『ケーキを・・・』
「えーと・・・お菓子、くれるの?」
途切れ途切れに、重なりながら聞こえる、か細くも優しい声。
思い出した、ヴァージルの家で聞いたことのある声だ。あの植物たちの声によく似ている。それなら姿が見えなくてもおかしくはない。むしろ、彼らがお菓子――ケーキらしい――をくれるということに、どこかわくわくした。でも、植物たちとは少し違う気もする。何かははっきりと分からないけれど。
『・・・魂の・・・』
『ケーキを・・・』
「たましいのケーキ?」
『だから・・・どうか』
いつの間にか真っ暗になっていた路地に、ポツりとひとつ光が宿った。レナードの目の前、何もないところに光がある。弱々しい光だけれど、暗闇の中では確かな光。
『・・・どうか・・・私たちのことを』
『どうか・・・私たちのことを・・・忘れ・・・ないで』
『・・・どうか・・・私たちのことを・・・』
「彼らのことを、忘れないであげて」
遠く聞こえる声の中、今度はしっかりとした人の声が聞こえた。
「ヴァージル!」
レナードが前にしている光の後ろから、ヴァージルは右手にロウソクのランプを持って現れた。そして、左手には四角い包み。
「彼らは消えゆく者たち。せめて、キミだけでも忘れないで」
寂しそうに微笑みながらそう言ってヴァージルはレナードに左手の包み紙を手渡した。
「あ、ありがとう」
「さあ・・・帰ろうか」
「え、帰るって・・・」
「光は・・・灯火、道しるべだ。彼らの行く道を照らし・・・そして、僕たちの行く道も照らしてくれる」
ヴァージルの言葉と共に、真っ直ぐ伸びた路地の道々にたくさんの光がともる。光はちょっと先の出口まで、まるで案内するかのように点々と並んでいる。
彼はゆっくりと出口に向かって歩いていった。レナードはそれを小走りで追いかける。
『・・・どうか・・・』
『どうか・・・私たちのことを・・・』
出口に差し掛かって、レナードは足をとめた。ヴァージルがそれに気付いて振り返る。
「レナード?」
「えーっと・・・」
ぐるりと振り返って、点々と光が並び、声がこだまする路地を眺め見た。少しだけ言葉に迷って、でも結局こう言った。
「――ありがとう!」
気が付くと、レナードは探偵事務所のある住宅街にぽつんと立っていた。もう夜なのか辺りは暗くなっている。しかし今日は街々に並ぶカボチャのランプのおかげで足元には困らない。先程の路地のように、光は街に点々としている。まるでレナードを導くかのように。
「おやお帰り。ふふ、ずいぶんと遠くまで行っていたようだね?」
「あ、はい。ごめんなさい」
先生との会話もそこそこに、レナードは屋根裏の自室に潜り込んだ。ヴァージルから渡された四角い包みを開けると、その中身は干しぶどう入りの四角いパン。
一口かじって、ふと思った。
――このケーキ、ワインに合うのかもしれないなあ。僕にはまだ、分からない、けれど。
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