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舞い降りる闇を




今日も市場に黒カラスが舞う。
屋根を跳び、路地を駆け抜け、挑戦者を翻弄する。
地面を蹴ってふわりと跳び上がるその所作はまるで重さを感じさせず、近頃は優雅ささえ増して、およそ中に人など入っていないかのようだ───と、路地の陰から屋根上を走る黒カラス・バジャーを見上げてクロウは思った。

やがて挑戦者は途方に暮れて小路に立ち尽くし、そこへ黒カラス・クロウが現れて最初のヒントを与えると、カラスの試練第一章の幕が下りる。役目を終えたクロウは細い路地に入り、辺りに注意しながら扮装を解くと、一軒の空家の裏口のドアからするりと中に入り込んだ。そこは黒カラス「たち」が入れ替わる時に身を隠す待機場所で、案の定まだ彼はそこにいた。窓に板が打ちつけられていて薄暗い部屋の中、ひときわ濃い闇を纏って佇んでいる、それは───
「……────、………」
クロウが声をかけると、それはゆっくりと振り返った。
仮面もマントもそのままの 『黒カラス』 は、ゆらりとクロウに近づいてくる。
「……な………」
これは、誰なのだ。
カラスの纏う闇が膨れ上がり飲み込まれてしまいそうな錯覚に思わずクロウが後ずさると、
「……ク、ロウ……」
呟くような小さな声で名を呼ばれた。驚いたことに、そのままクロウに倒れかかってくる。
「バジャー!」
その動きはゆるやかで、屋根の上にいた時と同じで重さがないのではと思わせたが、咄嗟に受け止めたマントは人の重さと体温を持ち、その下の細い身体は確かにバジャーだった。
縋るように抱き付いてくるバジャーと一緒に床に座り込み、仮面とフードを外してやる。
「大丈夫か………? ケガでもしたのか?」
いつもとあまりに違う様子に心配になったが、小さく首を横に振るのでそうではないようだ。
「だったら、何が……?」
「クロウ、俺……おかしいの、かも………」
「……どうして、そんなこと……」
俯いて言葉を途切れさせるバジャーの背をそっと撫で、続きを促す。
「最近、変なんだ……。黒カラスになって、走ってる時……自分が自分じゃない、みたいで………、今もまだ、俺の中に、残ってる」
顔を上げ、前髪の隙間からクロウを見上げてくる。
「俺は、今、俺なのか……それとも、『黒カラス』、なのか………」
「バジャー、お前はバジャーだ」
「う、ん………」
バジャーは再び俯いて、クロウの腕の中に顔を埋めた。
クロウは少なからず驚いていた。こんなバジャーは見たことがない。
「最近ものすごく動きが冴えてると思ってたけど、まさか、こんな……」
「………クロウ……、どうしよう…、怖いんだ……。もし、黒カラスになったまま、戻ってこられなくなったら………」
消えそうな声は切実で、寄る辺なく、こうして抱き締めていないと今にもどこかへ行ってしまいそうだった。
「バジャー、ごめん……それでも……黒カラスにならなくていいって言えない……。オレには……オレたちには、お前の黒カラスが必要なんだ……。だから、もし……」
「……………………」
「もし、戻ってこられなくなったら………」
クロウは俯いたままのバジャーの頬を両手で挟んで上を向かせた。
クロウの言葉を聞いていたのかいないのか、どこかぼんやりした様子なのは、言った通りまだ心のどこかが 『黒カラス』 だからなのかもしれない。

「バジャー、お前はバジャーだ」

ゆっくりと顔を近付けても戸惑う気配すらないので、クロウはそのまま───、
「………っ…………!?」
瞬間、腕の中のバジャーの身体がびくりと強張った。
突っぱねるでもなく息を止めたまま、クロウのそれをただ受け止めている。
たっぷりと数十秒、最後に下唇を軽く啄んで、ようやくクロウは顔を離した。
「……っ…は………」
同時にがばっと身体を離して、バジャーは闇色のマントの袖口で口元を覆う。
「……っ……クロウ、今、なに…………」
ずっと息を止めていたからか、少し呼吸が荒い。
「戻ってきた」
「……え…………?」
「もう 『黒カラス』 じゃない」
「……え……う、うん…………」
そういえば、とバジャーが今初めて気付いたようにクロウを見、辺りを見回した。
そんなバジャーの様子にクロウが軽く笑うと、先刻の重くのしかかるような闇は払われ、そこはもうただの薄暗い空家の一室だった。

「……ごめん、クロウ……俺、…………」
「謝るのはオレの方だ。お前の黒カラスが必要だなんて、勝手なこと言って……」
「……違う……、黒カラスがイヤなわけじゃ、ない……。屋根の上を走るのは、すごく楽しくて、そのままどこまでも、飛んで行けそうで……、それがいつもの自分と、どっちが本当なのか……わからなくて……」
ぽつりぽつりと、少し苦しそうにバジャーは話す。
願えば空だって飛べそうなくらいの運動神経を持っていて、それと相反する引っ込み思案な性格にあまりの隔たりがありすぎたのだろう。『黒カラス』 は自分じゃない、そう思っていたからこそ力のままに跳んで走って挑戦者にイジワルをして。それが、いつの間にか………
「『黒カラス』 はオレが町の伝説から考え出した架空の鳥だったけど………」
それが今、ここにいるというのか。
バジャーの中で、卵から雛鳥が孵ってやがて羽ばたきだすようにいつの間にか。
そう考えたクロウの背筋がぞくりとしたのは、自分が撒いた種は大変なものだったと気付いたと同時に 『本物の黒カラス』 がここに生まれようとしている事実に心が躍ったからだった。
幼い頃から伝説を聞かされて育ったミストハレリの者なら誰しも漠然とした憧れを抱いている、伝説の・・・求める者を楽園へと導く遣いの鳥。
────バジャー、お前が………そうなのか……?

いいや違う、とクロウはすぐに首を振った。
それはいけない。バジャーにそんなことを求めては。
「……クロウ……、もし俺が………」
でも架空の鳥だったはずの 『黒カラス』 がミストハレリの空を舞う様が見られるなら……
「また 『黒カラス』 に、なったりしたら……、……クロウ………」
でも今薄闇の中で見上げてくるこれはバジャーだ。
「……また……、戻してくれる………?」
「ああ……! 当たり前だろ……! さっきみたいに、元に………」
ん? とクロウが言葉を止め、え? とバジャーが首を傾げる。
「さっきみたいなので……いいって………?」
「……え……! そ、それ、は……っ…でも………!!」
くす、とクロウが笑うと、バジャーは焦っていつも以上に言葉が出なくなる。
「それでもいいなら、いつだって……必ず……」
自分の顔も赤くなっていることを自覚しながらクロウはそっとバジャーを抱き締めた。
「『黒カラス』 になって跳んでるバジャーはすごく好きだ……。でも一番大事なのはバジャーだから。『黒カラス』 も全部一緒でお前はバジャーだ」
「……うん」

「バジャー、お前はバジャーだ」
繰り返す魔法の言葉とキスをひとつで。
「お前がここに降りてきてくれるなら……」

受け止める、捕まえる、目覚めさせる ──── 舞い降りる闇を。


 



《END》 ... 2010/03/18
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そんなわけで、同じタイトルの絵から思いついた黒……くもないか……薄暗い程度の。
でもヤンデレ気味クロウさんが目覚めさせるのは、バジャーとしてなのか黒カラスとしてなのか…だといいと思う。バジャーは北島マヤのごとくに黒カラスになりきってしまえばいいと思う

 

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