「狭いところ」
「……怖くない」
「高いところ」
「わりと好き……」
「まんじゅう」
「………?」
バジャーと二人で倉庫で作業をしている。
手を動かす合間に、ぽつぽつと言葉を交わす。
会話というほどちゃんとしたものではない、ただの言葉。お題は「怖いもの」だ。
「暗いところ」
「……怖くない」
「大勢と話す」
「それは、怖い……っていうより、苦手………」
「じゃあ、怖いものなし?」
「……そんなこと、ない」
クロウの作業中の棚で本がぱたんと倒れた。それを元通り直しながらバジャーの方をちらりと見ると、クロウの視線には気付かずに陶器の花瓶を磨いている。持ち上げて電球の明かりにかざし、また手元に戻して布で擦る。
「俺が、怖いのは……」
「うん」
クロウも目を手元に戻し、棚に本を並べる。
「……貯水池」
「え?」
「……………………」
思わず聞き返しながらバジャーを振り返ると、少し俯いたまま黙々と花瓶を磨いている。クロウの「え?」が聞こえたはずなのに応えないのは、それが花瓶磨きに気を取られてうっかり出てしまった言葉だったからなのかもしれない。
バジャーは俯いたままいつにも増して強力に話し掛けるなオーラを出しているが、クロウは構わず追求する。
「貯水池って?」
「……丘の上の、貯水池……」
話したくない様子がありありと見て取れたが、クロウがじっと待っていると仕方ないという風にぽつぽつと話しだす。
「例えば雨がたくさん降って、いっぱいになって、あふれてきたらどうしよう……って、小さい頃から思ってた……」
クロウの脳裏に、満タンになったコップの縁からふくらんだ水がぱちんと弾けて零れ出すイメージが浮かんだ。
「ちゃんと、管理されてるから、そんなことにはならないって……わかってる、けど」
なんでも子供の頃、親戚のオジサンにそんなことを言われて以来、気になって仕方ないのだと言う。子供をからかうトンデモ話でも、当の子供にしてみたら大変な事で、幼心に刷り込まれた恐怖は大きくなってもなかなか消えてくれない。そんなことはありえない、とわかっていてもだ。
「なるほど、貯水池か……」
「……恥ずかしい……から、みんなには、黙ってて……」
「ああ、もちろん。変なこと話させてごめんな」
「………ん」
そんな会話を交わしたのはいつのことだったか。
バジャーは貯水池を見上げて固まってしまっている。恐竜図鑑から抜け出してきたような巨大な水竜───ラグーシ、とユラ・アランバードは呼んでいた────が、その巨体を貯水池の板壁に繰り返し体当たりさせているのだ。
「一体、何を……」
駆け寄ってきた黒カラス団の仲間たちも、水竜が何をしているのか理解できずに立ち尽くす。
「水……? 機械……そうか!」
ラグーシの意図にいち早く気付いたのはクロウだった。
「みんな、こいつを手伝うんだ!!」
「何を、しようって……?」
「水門を壊すんだ!」
「……っ、これを……壊す………!?」
バジャーが信じられない、という風に呟いた。
貯水池の水があふれて町に流れてくる……幼い頃から心の底にじわじわとたゆたう得体の知れない恐怖。そんなことはあるわけないと理屈を捏ねて納得させようとしていたことが起ころうとしているのだ。
「そうだよ、バジャー! 町を守るためだ!」
「……でも、でもクロウ……………」
「これくらいの水なら、たぶん坂を伝ってすぐに下の川まで落ちてくはずだ。アイツもそれをわかってるから」
「……っ………、」
「大丈夫だ! バジャー! ……オレを信じろって!!」
呆然と立ったまま動こうとしないバジャーの両肩をぐいと掴み、前髪に隠れて見えない目を覗き込む。その力の強さにバジャーは息を飲み、ようやくはっきりとうなずいた。
「……、わかった、俺も………手伝う!」
「よーし!」
二人が水門に駆け寄ると、仲間がすでに投石器の余りの角材を抱え上げていた。どこかの家の柱だったそれは結構な大きさで、これで門に突っ込めば少しは水竜の助けになるだろう。
「よし……そのちょっと左の隅、板の継ぎ目を狙うんだ!」
「オッケー!!」
水竜の体当たりのタイミングに合わせて二度、三度と突きを入れると、何度目かで手応えがあり、角材が板を突き破って壁に穴を開けた。その小さな穴から水が噴き出し、水圧で壁全体がみしみしと音を立てる。
「もう、そろそろ……」
「逃げろ!」
と、クロウが叫ぶのと同時に、水竜がひときわ強く体当たりを放つと、壁板がはじけ飛んで水があふれ出した。
「うわーーーーー!!!」
貯水池の西側、上り坂になっている方にみんな駆け出したが、水の勢いの方が早すぎた。一瞬、ふくれ上がった巨大なゼリーのように見えた水の塊は、次の瞬間形を崩してクロウたちに襲いかかってきた。
「伏せるんだ!!!」
クロウの声に、みんな地面にダイブする。が、その中で水門を振り返って一人立ち尽くしている
バジャーの姿が見えた。
怖がるでもなく、逃げるでもなく、……まるでそれを受け止めようとしているかのように。
「……バジャー!!!」
クロウはとっさに地面を蹴って飛びかかった。
「わ………!」
飛びかかった勢いで倒れ込むと同時に圧倒的な重さの水が降りかかり、押し流されそうになる。目を閉じ息を詰め、下敷きになったバジャーを抱えながら、流されまいと踏ん張る。数十秒……数分にも感じられたその水流は、本当は数秒くらいだったのかもしれない。唐突に圧力が消え、体が軽くなる。息ができる。
「……う、ん………」
まだ水にのし掛かられているような錯覚を覚えながら重い身体を起こすと、バジャーもごほごほと水にむせながら起き上がった。
「みんな……大丈夫か?」
辺りを見回すと、黒カラス団の皆が石畳の地面の上に無事でいた。メガネを外して水を振り払っているルイス、いつものボヤキも忘れてほっと溜息をついているプチック、アメが一個足りない! ときょろきょろしているゴン。
「……バジャー……?」
「うん、……大丈夫………ありがとう」
あの水流の中、無事で良かった……仲間たちと、バジャーが。
「クロウ!」
ジャケットの裾から水を滴らせながらルイスが駆け寄ってきた。
「みんな、無事だったみたいだな」
「ああ。それにしても……すごかったな。あの、ラグーシ……」
貯水池をぶっ壊すという前代未聞のことをやってのけた水竜は、どうやら水と一緒に坂の下の広場に流れていったようだ。
「あの機械、止まったみたいだよ」
ルイスが広場を見下ろしながら言う。
「本当か! やったな………!!」
「俺、ちょっと見てくるよ」
「オイラも行く、ついでに町の方も見てこようよ!」
仲間たちはクロウの了解を取ると、連れ立って坂を下りていった。石畳の街路からはもう水も捌けていて、走っても危ないことはなさそうだ。
坂の上に残されたクロウは、まだそこで呆然としている風情のバジャーに声をかけた。
「本当に……大丈夫か?」
小さい子供がオバケや暗がりを潜在的に怖がるように、貯水池の水を怖がっていたバジャー。
「うん……もう、怖くない……。ホントにあふれたら、こんなことになるんだ、って、わかったから……」
バジャーはもう一度、壊れた壁を見上げた。
「あの水と一緒に、全部、流れていったみたいだ……。………それに……」
クロウに向き直り、わずかに口元を緩ませる。
「クロウが、言ったから。……信じろ、って」
「あ………」
その言葉に、クロウは不意を衝かれた。
あの時、咄嗟に出た言葉だった。恐怖に立ち竦むバジャーをとにかく動かさないと。
焦る気持ちと、町を守るんだという高揚感。きっと上手くいく、大丈夫だ、だから────
「オレを、信じろ、って………」
クロウのその一言に心を全て預けて、バジャーは行動してくれたのだ。そそり立つ壁とその向こうにある巨大な水……恐怖の根源に対峙して。
「……っ…、……バジャー……!!」
「わ……! な、何……?」
気が付くとクロウは、目の前のバジャーの肩を引き寄せ思い切り抱き締めていた。
「……ありがとう……信じてくれて……」
「う、ん………?」
戸惑った声を上げたバジャーは、それでも、おずおずとクロウの背を抱き返してくれた。
黒カラス団、自分がそのリーダーであること、そしてバジャーが仲間であること。
その全てが奇跡のように思えて愛おしかった。
「……ありがとう、は、俺の方……」
「なんで?」
「怖いもの、ひとつなくなったから……」
「じゃあ、怖いものなし?」
だからそんなことないってば、とバジャーは笑いながら身体を離す。
「オレはいっこ増えたかな………」
「え? な、何……?」
心配そうに首を傾げるバジャーに、クロウはあははと笑ってみせる。
────失くしたくない、と思うこの気持ち……
少し厄介で、時々手に負えなくて、怖いような、でもわくわくするような。
それはたぶん、「恋心」とか言うやつだ。
「せっかく増えたんだし、大事にしておくよ」
「………???」
────そのうちお前にも分けてやるから、覚悟しろよ……?
「オレたちも行こう、バジャー。オレたちが守った町だ」
「───うん」
差し出されたクロウの手を、躊躇うことなくバジャーは取った。
《END》 ... 2010/03/05
********************
あの名ゼリフをこんなことに使ってごめんなさいー!(笑) 書いてる時は意図してなかったけど、自分とこのクロジャーの始点ができました。すなわちクロウさん恋に落ちるの巻。
しかし相変わらずタイトルが決まらない……「まんじゅうこわい」じゃあんまりだよなあと思って適当に……。 |