屋根の上は、彼のお気に入りの場所の一つだった。
上れば市場の屋根は遮るものもなく続いて路地にはない風が吹き抜け、丘陵の斜面に沿って延びる街が遠くアランバードの屋敷まで見渡せる。下の路地を行き交う人たちは市場ばかりに気を取られていて、屋根の上の彼に気付く者はいない。誰も来なくて静か、という意味でもお気に入りだったので、「黒カラス」ではない時でも屋根に上がって一人で町を眺めていることが時々あった。
でも、最近になって、市場できょろきょろ上を見て彼に気付くようになった者が若干名───……。
彼の見下ろす路地を小走りにちょこちょこと動く青い帽子。買い物に来たのか、あちこちの露店を覗き、ついでに柱をずいっと見上げ、値札をめくってみて店のおばさんに叱られたりしている。
青い帽子のその小さな子は、店の看板に触ろうと背伸びをして上を向いて───屋根の上のバジャーに気付いて手を振った。元気いっぱいに手を振るルークに、バジャーも軽く手を上げて挨拶する。
と、さっきめくった値札が風に揺れて、裏からぽろりと何かが落ちてくるのが見えた。ルークも気付いてそれを拾い上げ、嬉しそうに顔を輝かせる。どうやらひらめきコインを発見したようだった。
ルークがこの下町の市場に来るようになったのは最近のことだったけれど、ナゾ大好き少年のルークはひらめきコインや隠されたナゾを探してきょろきょろして、屋根の上のバジャーも見付けてしまう。
でもこの距離では声も届かないし、わざわざ屋根に上がってまで話しかけに来たりはしないのであまり気にならない。ルークは笑いながら拾ったコインをほら、と言うように掲げて見せてから、じゃあねと手を振って市場の人の間に姿を消した。
吊り橋を渡ってくるルークを見つけてからずっと追いかけていた視線を空に戻し、バジャーはふうと息をついた。
隠れているわけじゃない。仲間と一緒にいるのは好きだし、それと同じくらい一人でこうして空を眺めているのも好きっていうだけのこと。
それを知っているはずなのに、屋根上にいるバジャーを探して市場を歩く青い帽子がもう一人。それはうろうろ歩き回っていたルークと違って、まっすぐバジャーを目指してくる。
ここはバジャーの家でも仲間の溜まり場でもなく、ただ一番見晴らしがよくて座りやすかったというだけの古いアパートの屋根だったので、何も言わずにここにいたら、誰も見付けられないに違いない。
それでは緊急の時に困るだろうと思って、リーダーのクロウにだけは、ここが気に入っていてよく一人でいることを伝えてある。そうしたらクロウは緊急でも何でもないのに、町中にバジャーが見当たらない時はここにいるんだろうとばかり、まっすぐこの建物を目指してやってくる。
今もアパートの下で立ち止り、バジャーの姿を見つけたらしい。クロウはするりとアパートと隣の建物の間の路地に入り込み、カンカンと音を立てながらアパートの外階段を上ってくる。最上階は3階で、そこまでの階段を上りきるとあとは少しアクロバティックな技が必要になる。
きし、と手摺りによじ登る音。一瞬の間の後、軽い掛け声と共に隣の建物の庇が軋んだ音を立てる。そこからバジャーのいるアパートの屋根まで少し助走を付けて────……
「よ………! っと!」
クロウだって鈍い方ではないけれど、バジャーほどに跳べるわけではない。いつもながら少し心配で、思わず立ち上がって見守っていると、難なくアパートの屋根に着地したクロウはすぐに体勢を立て直してバジャーに笑いかけてきた。
「やっぱり、ここにいたんだな!」
「うん」
クロウがすぐに傍に来て腰を下ろしたので、バジャーも隣に座り込んだ。
「今日は……下、何もない?」
「ああ。今日はオークションの予定もないし、誰かが闇市を探してるって知らせもない。大丈夫だよ。それに、ここにいたら……」
「……うん。だいたいわかる……」
市場に来る人間は皆、ふたご吊り橋を渡ってくる。それを見ているだけでは町の人か観光客か、普通の買い物か闇市を探しているのかはわからない。でも、ここから見えるマリリンの店────その近くにいつもいるルイスが姿を消すと、だいたいその後、闇市を探している人が来たという一報が皆に回ってくるのだ。
「……別に、見張ってるつもりでここにいるわけじゃない、けど」
「わかってる。ここ、すごくいい所だもんな」
そう言ってクロウは、吹き抜ける風に目を細める。
賢い者と、そうでない者。価値のあるものと、そうでないもの。それを見極めるカラスの目。
でも今は二人とも『黒カラス』ではなく、クロウとバジャーだ。
「さっき下でルークに会った」
「うん、俺も、ここから見た」
「アイツさ、今度ロンドンに引っ越すんだって。町長はガップルに譲って家族で……」
「へえ……」
何でもない会話。クロウならたぶん他の仲間とだってしていることだ。
でもそれを、わざわざこんな屋根の上にやってきてまで自分としているのは、どうしてなんだろう?
バジャーはちらりと、隣に座るクロウを見た。
わざと伸ばしている前髪越しに見えるクロウは、ごくごく当たり前みたいにそこにいて、ここが屋根の上とか、今ふたりきりでいて会話が途切れたこととか、何も気にしていないように見える。
どうして……は、今は深く考えない方がいいかもしれない。
こうして二人でいること、黙っていても別に気を遣う必要なんて何もないことがとても居心地が良くて、今はそれだけでよかった。
「……クロウ」
「ん、何?」
「………やっぱり、何でも、ない………」
何か聞いてみたかったのだけれど、それが何だかわからなかった。
そんなバジャーに、クロウは「何だよー」と笑いかける。
仲間と一緒にいるのは好きだし、それと同じくらい一人で空を眺めているのも好きだ。
そしてもう一つ、こうしてクロウと二人でいるのも同じくらい……もしかしたらそれ以上、
好きなの、かも。しれない。
《END》 ... 2010/01/26
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可愛いルークが書きたかった!
あと自分のSSは思いつくままに書くので、時系列も恋の進展具合も全部バラバラです。あとから並べ替えてみるとしっくりくることもあります。適当に読んでいただけると嬉しいです。 |